滋養にしたいなら紙の本を選ぶべき

 本は情報の塊だが、脳を本とケーブル接続してファイル移動するわけでもないから、その情報をありのままに受け取れるわけではない。

 電子書籍の本当の利点は、品切れを回避できるというところだ。物理的な本は、書店になくなったらもう買うことはできない。電子データは容易にコピーできるから品切れということがない。携帯性とか収納性といった利点よりもこちらの方が重要だ。買えるか買えないかは1か0の問題。

 最近は書店を何件か回ってもほしい本が手に入らないという事態によく直面する。たとえば先日、東畑さんがこう言っていたので、当該書を買いに行ったが、二件書店を回って売っていなかった。

 それでいうと、知泉書館版のヘーゲル全集を見に大きな書店にいったのだが、これもまた前は陳列されていたのを見ていたからこそいったのに、今回のタイミングでは影も形もなかった。在庫はあったようだが、倉庫送りのようだ。

 仕方なく電子書籍を買うのだが、僕は電子書籍が苦手だ。特に哲学や文学の本は、たまに買うこともあったが、めったに買わない。電子読書が得意な人は選ばれた人なのでラッキーと思ってぜひ電子書籍を楽しんでほしい。

 僕が電子書籍が苦手な理由はつるっとしているからだ。目が滑る。なんか体に入ってこない。マーカーなどをつけることもできるが、紙に線を引くのとは体験が違う。スタイラスペンを使えればいい、というものでもないだろう。

 もちろん利点は山のようにある。すでに述べたが、まずほしくなったらすぐ買える。これは凄すぎることだ。通販で頼んだら早ければ翌日に届くが、この一日が我慢ならないという贅沢な病にはみんな心当たりがあることだろう。次に場所を取らない。スマホはみんな常に携帯しているから、常に情報を持ち歩くことができるい。スマホが発光するから暗いところでも読める。電池がなくなったらおしまいかもしれないが、スマホの電池切れがクリティカルすぎるので、むしろそちらを対策すべきだし、そうしたらこの点での電子書籍のデメリットはなくなる。

 しかし、読まないのである。いや、読むこともある。しかし、なんだかまともに読めない。マジで情報をサーチする営みになってしまって、フリックによってするするとページが流れていく。文章が身体化する感じがしないし、最終的にそもそも電子書籍アプリを開こうとしなくなる。習慣の問題といってしまえばその通りだが、結局そうなってしまっている。ただ、情報をサーチするのには極めて適したメディア形式だとも思う。

 しかも僕のような人種だと、紙で買ったか本で買ったかがわからなくなり、二重に買うリスクも出てくる。紙で足りないものが電子にあると、情報はあるけれど陳列上は歯抜けなので、それが気にもなってくる。

 電子書籍に最適な形態は、超短期的な実用性があるものと、マンガである。たとえば料理のレシピとかは検索してすぐ出せる方が便利で、しかも今すぐ使うから、情報としての価値や純度が境遇的に高い。そしてマンガ。これは売れているという現実からもすでにその適合性が証明されているが、「続きを読む」ことを目的としているメディアにおいては、続きを表示しやすいというこの形式が最高に合っている。動画を見るようなものである。

 紙の本の利点はまさにそれがであるということだ。スマホというのは僕の用語でいえばフロート的、他の人の用語を援用するなら、たとえば村上隆におけるスーパーフラットなようなものである。コンピュータは多くのものをデータ化したが、そのようなノリで、ここでは全ての情報が指を滑らせることで操作でき、そしてスマホ画面という同一平面上で見ることができる。本についていえば、ブラウザとかアプリとかと本が同一平面に配置されているのである。

 それはいいことでもあるのだが、逆に言えば、メディアというかプラットフォームが変わる体験がそこにはないということだ。体験上のひっかかりが失われているといってもいい。この逆の言い方に基づけば、本とは、情報が物質化したものである。電子的にしか操作できないものを、物として個別化しているのだ。だからスマホの外において、持ち歩くこともできるし、置く場所を変えたり、並び方を変えたりもできる。ペンで書き込みをし、ページを折ったり、なにかを挟んだりすることもできる。これらはもしかしたら情報摂取においては効率を妨げる摩擦に思えるかもしれないが、表面的に効率化されたものの摂取が滋養に直結するわけではない。たとえば野菜などの元の形のものを食べずに栄養素を加工食品やサプリメントだけで摂るのは不健康だとされている。食事の形は人それぞれだろうが、料理をする・料理を食べるという過程にも当然意味はある。

 速くすることを重視すると本より電子書籍の方が都合がいいが、本のもう一つの利点は、遅くすることが得意だということだ。紙であること、ページをめくらなければならないこと、途中で栞を挟んでやめられること、なんなら書き込んだり付箋を貼ったりするというような、いちいちの減速のプロセスが思考を促す。人は電子書籍の速度で思考できるわけではない。別に意図的にスローリーディングをしろと勧めたいわけではない。本は、読書という摂取形態そのものが情報を、あるいは知を滋養にするのに適した形になっている、ということだ。それが当てはまらないものも多くあるが、少なくとも活字を用いて説明されるかなり多くの内容に、この話は当てはまると思っている。

 そういうことで、紙の本をオススメする。合わなかったら売ったりあげたりすればいい。電子書籍ではそういうこともできない。


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