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どんな「読書」をする?

みなさん、こんにちは。綺羅です。

今日もnoteをご覧いただき、ありがとうございます。


今日は朝は太陽が照っていたのですが、午後からは雨が降っています。

とてもややこしい天気なのですが、「晴れ」があるから「雨」の穏やかさが恋しくなり、「雨」あるから「晴れ」の暖かさが恋しくなるのかもしれません。

河が流れるように、天気の移り変わりを味わえたらいいのですが、天気の大荒れ振りを見ていると、なんだか人間の心身が削られている様を見ているようで、切なくなります。


みなさんは、本を読まれる時、どのように読まれますか?

人によって、BGMを聴きながら読む人、電子書籍で読む人、あるいは音声で読む人・・・それぞれにあった読書方法をされていることと思います。

それだけではなくて、場所でも、自室でゆっくり読んだり、カフェでコーヒーと焼き菓子とともに優雅に読んだり、街中のベンチで風を感じながら読むこともあるでしょう。


かく言う私は、1章分を一通り読んでから、そこから印象に残った文章を大学ノートに書き写すために、もう一度読んで書いてから、次の章に行きます。

印象に残った文章を写しながら本を読み進め、自分の好きな文章を組み合わせていくことによって、自分だけの「ヒーリングブック」に変身してしまうからなのです!



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私の所感ですが、世の中ではまだ「速読」や「斜め読み」が流行っている気がします。

これに加えて、今では、本を「音声で聴いて読む」という方法も、浸透しつつあると、感じています。

「読書」の必要性が叫ばれている現代ですが、ゆっくりと読書の時間を取れるような生活様式が整っていないということも、あります。

今であっても、感染拡大の警鐘が声高に言われていても、経済を回すことを強調される社会です。


そうした状態を考えると、「速読」「斜め読み」「音声での読書」が盛んになるのも納得できます。

私も、ビジネス書や、世界情勢の体系を知りたい時には、思いっきり「速読」しますし、「斜め読み」も活用します。

少ない時間で必要な情報を手に入れること、知識を「量」として手にするのには、最適な方法だと思います。


ただ、自分の心や内面を豊かにする・癒すという面を考えた時に、この方法は、私には不向きでした。

精神疾患を患った時に、とにかく早く効率的に回復したくて、自己啓発系の本や心理学関連の本を速読・斜め読みしたのですが、余計に悪化したのです。

「速く読めてしまう方法」であるがゆえに、「要点が掴める方法」であるがゆえに、

「速く読めて速く回復方法が分かったんだから、速く実践して速く回復しなきゃ!!」

という考えを持って、実践してしまったのでした。

ですが、頭で読んで理解することと、心で読んで理解することは、読む速度も、内容の理解度も、全く異なります。

「頭では理解できているけれど、心がついて行けない」という状態で、泣きながらでも「よくなろう」と必死に努力しているのに、その努力に見合った成果が全くついて来ない。

むしろ、自分の気持ちとは裏腹に、本が嫌いになってゆく・・・。

「本なんか読んだって、よくならない・・・」

こう自分で口にした瞬間、私はすごく悲しくなりました。

”本”のこと、”なんか”なんて言っちゃった、酷いこと言っちゃった・・・

このショックから、自己啓発系の本、心理学関係の本を、「速読」「斜め読み」をやめました。


その代わり、今までとは逆の方法で、自分が「読みたい!」と思った本を、自分のペースで読むことにしました。

それに加えて、私は「自分の印象に残った文章を書き写す」ことも加えて、自分の読書方法としようと、考えたのでした。



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私は、今まで読んでいた方法とは逆に、一文一文の単語や文の並びを意識しながら、読み進めていきました。

効率的に読み進めていくには「気にしなくてもいい部分」が、私にとっての探究心や文字に対する感性を深めてくれました。


「この部分は、どうしてこんな書き方をしたのかな・・・」

「この本は旧字体?・・・こんな昔から読まれていたなんて」

「この言い回し、いいなぁ。私もそばに置いておきたい言葉だなぁ」

これらに対する明確な答えは、どこにも書いてありません。

前後の文脈だったり、今まで読んできた部分から、「作者がこう考えていたのかな?」「いやいや違う、こうだよ!」と、自問自答を繰り返しつつ、今までの自分が学んできた知識や経験を総動員させて、「これだ!」と思う答えを探しました。

答え合わせはできませんが、そのかわり、”その時”の自分の答えを、いつでも変形させたり、改めて考え直すことができます。


そうして読んでいく中で、自分の心が「何か感じる」一文に、出逢うことがあります。

私はその一文を、本にあるままの文体で書きます。

書く時には、声に出して、耳で聴いて、その「言葉」そのものを視るように、見つめてみます。

見つめて考えていると、

「あ、私、この文字の並び、好きかも!」

「この言い回し、会話で使ってみたいなぁ♪」

「この漢字、こういう言い方があるのね、覚えておこう・・・」

「なんか、私のこと、励ましてくれているような文章だなぁ・・・」

と、思ったり、考えたりする時が出てきます。

こう思った時の私は「楽しい」「不思議だ」「もっと知りたい」「癒される」「ありがとう」「嬉しい」といった、「明るい気持ち」になれるので、そう感じさせてくれた言葉をノートに書き連ね、自分だけの「ヒーリングブック」を作っています。

自分が「癒し」だと感じる言葉や文章は、人によって違います。

また、「癒し」を感じる文章の並びも違います。

作成するのに手がかかりますが、それは「どこにも売っていない、自分だけの本」になるのです。



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自分の心や内面は、普段の社会生活をしている時の、自身の喜怒哀楽を治めている部分でもあると思うのです。

人の前では笑っているけれど、本当ははらわたが煮えくり返る状態であるとか、泣き叫びたいほどに悲しいとか、表では取り乱さない分、その我慢や負担は、自分の心や内面が引き受けてくれます。

「嫌なこと」や「怖いこと」に対する心の負担は、それを味わうことになる期間も重さも、予告して来るわけではありません。

それらに対する、自分の心の耐性は人によって違いますし、負担からの回復方法や回復期間も違います。

それを一律に「速く」「今ある方法」では、片が付かないのです。


読書をするのには、いろいろな方法があり、目的があります。

どれが正解で、どれが間違っているといった方法はありません。

その人が「あー、読書楽しかった!」と思える方法で満足している状態こそが、「読書している」と言えるのではないかと思います。


私にとっての「読書する」ことは、自分の心や内面を豊かにして、癒して、自分だけの本を作ることです。

あなたは、どんな読書が好きですか?



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トップ画像は 浅水様 からお借りしました。

ありがとうございました!


みなさんからの、スキやコメントやフォローも、私の「嬉しい」「楽しい」の一部です。

この記事にお時間をいただき、ありがとうございました!


それでは、今日はここまでです。

みなさん、いい読書日和を。



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