関 周

せき あまね Amane Seki 1962年10月8日生まれ。東京都北区でピアノバ…

関 周

せき あまね Amane Seki 1962年10月8日生まれ。東京都北区でピアノバー【ミュージカンテあまね】を2003年より経営、2019年に「パパの作りばなし」で歌手デビュー。高島平バスケットボールMet'sの「あまねコーチ」。山口県山口市出身。

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新一年生

縁あって東京の北の方でバスケットボールを教えている。正式には去年4月からで、およそ1年になるが、去年はまだコロナ禍で練習が少なく、フルで出来るようになったのはご…

関 周
1年前
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水商売の道

何歳のときか忘れたけど、家族で早起きして初日の出を見に、山に登った記憶がある。どこの山か忘れた。数年続いたはずだが、いつ止め、なぜ止めたのかも知らない。 父も母…

関 周
1年前
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白いピアノよ

その白いピアノは、父の入院している病院のロビーに置かれていた。 父は8月下旬に脳出血で倒れ、近くの病院からリハビリテーション専門のこの病院に転移して来たのである…

関 周
1年前
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父叫ぶ

すっかり行きつけになった大学附属病院に今日も行った。 オムツに尿取りパッドの補充、ついでに転院時に必要なパジャマをナースステーションまで届けた。来週転院。 看護…

関 周
1年前
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父倒れる

8月の終わりなのに暑い日のこと、夕方スマホが鳴った。見たら父の名前で、その時点で既に覚悟をした。出たらやはり父でなく男性の声、「赤羽消防隊の者ですが、関一雄さん…

関 周
1年前
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900文字の歌

駐車場の隅に咲いた黄色い花が、 踏まれて惨めな姿になっていた。 どうしてなのと訴えてみたけど、 それはしょうがないと敷地の方。 そこは大金持ちの方の持つ敷地、 お世…

関 周
2年前
5

最高シュート

「あ、コーチ!」 「どうやって帰るの?」 バスケットボールの練習を終えて、駐車場に向かおうと道路を歩いていたら、自転車に乗った坊主頭の子が通り過ぎたので声をかけ…

関 周
2年前
8

突然の別れ

今朝、妻を車で仕事に送った帰り道、桜の散った石神井川が急に見たくなった。なんでもない、いつも通りになった景色をしばらく眺めた。そして家に帰ったところで訃報が届い…

関 周
2年前
12

一枚の扉

「隣がおかしいのよ」 妻が言った。 小さな家に住んで長くなった。マンションとは言い難い、鉄骨造りの3階建ての1室が我が家である。2004年2月に借りた。 それまでは…

関 周
2年前
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出逢いからレコーディングまで

彼女を見たのは2年前、代田橋のLIVE HOUSE FEVERだった。うちの店 (ミュージカンテあまね) に出入りしていた小林君 (ギターマガジン編集D) が主催したライブにゲスト出演…

関 周
2年前
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シクラメン事件簿

今年に入ってシクラメンを頂いた。 うちの店、ミュージカンテあまねの少し先、道路を渡って十条駅方面に歩くとアンフィニという花店がある。そこを通ったうちのお客様が「…

関 周
2年前
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ぴいぴいぴい〜訪販回顧録〜

今日、住宅街を自転車で走っていたら、清潔な明るい色の作業服を着た2人が、大きな声で話をしていた。若い方が上司らしく、白髪混じりの、人の良さそうな中年男性の部下に…

関 周
2年前
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新一年生

新一年生

縁あって東京の北の方でバスケットボールを教えている。正式には去年4月からで、およそ1年になるが、去年はまだコロナ禍で練習が少なく、フルで出来るようになったのはごく最近のことである。

小学校を開放して行われるバスケットボールの教室は、通常よくあるミニバスチームの練習、大会に出て優勝を狙う練習ではなく、バスケットボールに親しむ練習、週末、土日の3時間、参加は自由である。

主宰しているコーチは、前任

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水商売の道

水商売の道

何歳のときか忘れたけど、家族で早起きして初日の出を見に、山に登った記憶がある。どこの山か忘れた。数年続いたはずだが、いつ止め、なぜ止めたのかも知らない。

父も母も厳しかった。特に母は、自分が小学校の教師だったこともあり、低学年の頃から算数のドリルをしつこくやらせた。毎日、日記を書き、交換した。

お陰でまあまあ学校の成績はよく、中学はエスカレーターで、高校は、一番の親友が山口高校の理数科に行くと

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白いピアノよ

白いピアノよ

その白いピアノは、父の入院している病院のロビーに置かれていた。

父は8月下旬に脳出血で倒れ、近くの病院からリハビリテーション専門のこの病院に転移して来たのである。父に付き添って病院のロビーに入り、まず目に飛び込んできたのが、この白いピアノであった。

病院にピアノがあるのは珍しいことではない。時々ピアニストが院内コンサートを開いているのはよくある話だが、何しろ今はコロナ禍である。この白いピアノも

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父叫ぶ

父叫ぶ

すっかり行きつけになった大学附属病院に今日も行った。
オムツに尿取りパッドの補充、ついでに転院時に必要なパジャマをナースステーションまで届けた。来週転院。

看護師が「お父様が気にされていることがあるんです」と言う。
「何ですか?」と尋ねたら、「文献を大学に送って欲しい」との事、看護師は「お父様と息子さんは別々に暮らしているので、わからないと思うのですが」と言ったが、ああ、あれね。
机の上に置いて

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父倒れる

父倒れる

8月の終わりなのに暑い日のこと、夕方スマホが鳴った。見たら父の名前で、その時点で既に覚悟をした。出たらやはり父でなく男性の声、「赤羽消防隊の者ですが、関一雄さんのご家族の方ですか?」「はい、息子です」「お父様が倒れました」

父との連絡は常にメールで、電話を使うことは殆どなかった。一緒に出かける時マンションの下まで車で迎えに行き、「着いたから降りてきてください」と、こちらから父に電話をする程度であ

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900文字の歌

900文字の歌

駐車場の隅に咲いた黄色い花が、
踏まれて惨めな姿になっていた。
どうしてなのと訴えてみたけど、
それはしょうがないと敷地の方。
そこは大金持ちの方の持つ敷地、
お世話になっている人々も多い。

踏まれて死にそうになった花が、
笑いながら僕に話しかけてきた。
あなたがここに車を停めたのよ、
痛かったけど私はそれでいいの。

🌼

どうせ私達なんて踏んづけられ、
それならまだしも引き抜かれて。
でな

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最高シュート

最高シュート

「あ、コーチ!」
「どうやって帰るの?」

バスケットボールの練習を終えて、駐車場に向かおうと道路を歩いていたら、自転車に乗った坊主頭の子が通り過ぎたので声をかけたら、振り返ってそう尋ねた。
「車だよ」

4月から、ミニバスのコーチをしている。坊主頭の子は、そこの部員だ。三兄弟の一番上、妹、弟も練習に来ている。

「え?」
「車なの?」
「それじゃ、お金、大変じゃん」

びっくりした。
それ、小学

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突然の別れ

突然の別れ

今朝、妻を車で仕事に送った帰り道、桜の散った石神井川が急に見たくなった。なんでもない、いつも通りになった景色をしばらく眺めた。そして家に帰ったところで訃報が届いた。ふるさと山口の同級生がまたひとり、この世を去った。

彼とは中学で同じバスケ部、入部時、お互い背が小さく、そのせいかすぐに仲良くなった。彼の家に泊まりに行ったこともある。いつも笑っていて優しかった。

40歳を越えたあたりから、同級生が

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一枚の扉

一枚の扉

「隣がおかしいのよ」
妻が言った。

小さな家に住んで長くなった。マンションとは言い難い、鉄骨造りの3階建ての1室が我が家である。2004年2月に借りた。

それまでは店で暮らしていた。2003年5月20日に開業した「ミュージカンテあまね」が住居だった。契約では違反なのだろうが、それとなく大家さんは察していたようで、見逃していたのだと思う。

その頃の僕は荷物がほとんどなかった。多店舗経営に行き詰

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出逢いからレコーディングまで

出逢いからレコーディングまで

彼女を見たのは2年前、代田橋のLIVE HOUSE FEVERだった。うちの店 (ミュージカンテあまね) に出入りしていた小林君 (ギターマガジン編集D) が主催したライブにゲスト出演、華奢な体に大きなアコギを抱えて歌う姿に、ひょっとして彼女と縁があるかも知れないと思った。理由はない。

その後、小林君の友人のロマンチック☆安田君 (爆弾ジョニー) が彼女をうちに連れてきて、木綿のハンカチーフを安

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シクラメン事件簿

シクラメン事件簿

今年に入ってシクラメンを頂いた。

うちの店、ミュージカンテあまねの少し先、道路を渡って十条駅方面に歩くとアンフィニという花店がある。そこを通ったうちのお客様が「安くなっていたのよ」と買って届けてくださった。その後、花店の主人と会うことがあり、その話をしたら「年を越すとシクラメンは誰も買わなくなる」と教えてくれた。

ある時まで毎年シクラメンを頂いていた。故郷の中学の同級生が冬の贈り物としてシクラ

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ぴいぴいぴい〜訪販回顧録〜

ぴいぴいぴい〜訪販回顧録〜

今日、住宅街を自転車で走っていたら、清潔な明るい色の作業服を着た2人が、大きな声で話をしていた。若い方が上司らしく、白髪混じりの、人の良さそうな中年男性の部下に、「こうこう言われた時は、こう突っ込んで」「こうこう言われたら、わからないので上司に相談と言って」など教えている。住宅街で辺りに丸聞こえなのになと、心の中で笑いながら通り過ぎた。

昭和の後半、訪問販売の会社にいたことがある。住宅街を回り、

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