父叫ぶ
すっかり行きつけになった大学附属病院に今日も行った。
オムツに尿取りパッドの補充、ついでに転院時に必要なパジャマをナースステーションまで届けた。来週転院。
看護師が「お父様が気にされていることがあるんです」と言う。
「何ですか?」と尋ねたら、「文献を大学に送って欲しい」との事、看護師は「お父様と息子さんは別々に暮らしているので、わからないと思うのですが」と言ったが、ああ、あれね。
机の上に置いてある源氏物語の論文のことだろう。
気の利く看護師だった。
「ちょうどお父様、お昼をとってるところなので、様子を見てみますか?」「遠くからですが」ええ是非と答えたら、「こちらです」案内されたのはナースステーションの奥の方、車椅子に乗った父が居た。
「お父さん!」と声をかけたら振り向いた。
食事はまるまる平らげて、皿はみな空っぽだった。
そして第一声「なんで来ないんだ!」
その元気な声にビックリ。
想像したのは、小さく弱々しくなった父が、介助されながらヨボヨボと食事しているシーン、全然違った。
「コロナで面会禁止なんですよ」
横にいた看護師も「言ったでしょう?コロナなので」とフォローするのだが、それを遮るように父は言う、というより叫ぶに近いか。「なんでも、コロナ、コロナのせいにして!」
いやはや。
この元気さって。
慌てて話を変える。
「お父さん、山口大学に送る論文があるんでしょ?」
せっかく書いたのだから、しかも自分でもよく書けたと思っていると僕に言ったので、「送付前に、一式を一度チェックしましょう。転院の日に介護タクシーの中で」と答えたが、覚えていてくれるだろうか。
そうして父はさらに続けた。
「北区上十条三丁目に、ミュージカンテあまねという」
「ピアノのある、おかしな店があるから」
「一度行ってくれとみんなに言ってるんだ!」
え?
何をまた・・・
「あまねはここでは有名だぞ!」
「宣伝してるから」
お父さん。
そんなことはいいから。
自分のこと・・・
死ぬまで心配かけてしまったのかという思いと、だから父も死ねずに生きているのかとの思いが交差しながら病院を後にした。近所の中学生達が、何かの試合だったのか、体操着姿で大勢で歩いているのが眩しかった。
これからは、思いもしないことが待っているのだろうな。