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突然の別れ

今朝、妻を車で仕事に送った帰り道、桜の散った石神井川が急に見たくなった。なんでもない、いつも通りになった景色をしばらく眺めた。そして家に帰ったところで訃報が届いた。ふるさと山口の同級生がまたひとり、この世を去った。

彼とは中学で同じバスケ部、入部時、お互い背が小さく、そのせいかすぐに仲良くなった。彼の家に泊まりに行ったこともある。いつも笑っていて優しかった。

40歳を越えたあたりから、同級生が集まるようになり、彼とも20数年ぶりに再会した。少し太ってメガネをかけていたが、優しい眼差しはあの頃のまま、低い声でゆっくりと話すふるさと訛りが懐かしかった。

その後、山口に帰る度に彼とはよく会った。当時、難病の友人を中心に同級生が結束していて、そのメンバーに彼もいた。車でよく送迎をしてくれた。

彼と最後に会った日も、車で行動を共にした。

2019年8月12日、前日の同窓会の流れで、翌日有志で同窓会に参加できなかった恩師を訪ねた。彼もそこにいて、またしても、訪問後の空港までを車で付き合ってくれたのだ。

飛行機の時間まで少し時間があった。
「そうだ、海、見に行こうよ!」
中学生の頃の甘えた感じで彼に言う。
「ええよ」

答え方がなんとも心地よい。
ふるさとの言葉は、もう僕には使えない。たとえ使っても、ぎこちなく聞こえるだろう。

「わしがよく行く、秋穂にするか」

釣りが趣味の彼は、向かう車中、夢中で釣りの話をした。釣った魚を他人に食べさせるのが嬉しいんだと。

海は随分と開かれていた。

「おおー、変わったのう」
彼も久しぶりだったようだ。

砂浜を歩き、一緒に眺めた。しばらく経って車に戻り、空港に向かう。中で何を話したか覚えていなかったが、僕が毎日書いているブログに、こんなことが記されてあった。

(前略)

翌日、空港まで送ってくれた同級生が、
やはりそのバーでは視界に僕が入ってなかったか、
「はじめ、ずいぶん上手なピアニストが」
「この店には、いるんだと思ったら・・・」
「よく見たら、関だった!」

(後略)

これは同窓会の二次会での話、会場のバーにピアノがあったから、僕が余興と練習で弾いていたのだ。翌日空港まで…、は彼で、会話は、うまく書けないから標準語、この話を車の中でしたのだろう。

別れ際も覚えていないが、いつものように、
「元気でやれよ!」
「おう」だったと思う。

なあ、そうだろ?
元気でって言ったのに。
今度会ったら、バスケを教えている話をしたかったよ・・・

ご冥福をお祈りします。年を取ってからの同級生との別れは、いよいよ人生の終わりが見えてきた感じがします。同じ思いをしている方も多いでしょうね。

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