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シクラメン事件簿

今年に入ってシクラメンを頂いた。

うちの店、ミュージカンテあまねの少し先、道路を渡って十条駅方面に歩くとアンフィニという花店がある。そこを通ったうちのお客様が「安くなっていたのよ」と買って届けてくださった。その後、花店の主人と会うことがあり、その話をしたら「年を越すとシクラメンは誰も買わなくなる」と教えてくれた。

ある時まで毎年シクラメンを頂いていた。故郷の中学の同級生が冬の贈り物としてシクラメンを大量に買い、親しい友達に届けるのが恒例になっていたのだ。彼は難病を患っていた。

10年前、彼がこの世を去ってからも、しばらく彼のお母様が送ってくださっていたが、いつの間にか途絶えた。彼のことも時々しか思い出さなくなった。

うちの店には窓がない。入り口はガラス戸で明るいが、北を向いているので太陽の光が全く入らず、シクラメンなど鉢植えを頂くと、日に当てるには歩道に一定の時間出すしかない。それもうちの前は建物の陰で当たらないので、一軒先の、歩道の角にある消火栓の横に、午前11時から午後1時くらいを狙って出している。

週に3、4回出していたせいか、頂いたシクラメンは元気いっぱいだった。枯れた葉や花をこまめに取ってやり、土の表面が乾いてきたら水を、こんなにも自分は花の世話好きだったのかと不思議だったが、シクラメンは特別、毎年難病の友が贈ってくれていた花だったからとは、事件が起こった後に気づいた。

「あれ?」
「ない!」

いつもの定位置は消火栓の横なのだが、その日は午後3時でその場所には日が当たらず、道路を渡ったシャッターの降りた店の前にシクラメンを置いた。その店は十条むしパンを売るカフェ、フォースマイルで、経営者とは20年来の付き合い、カフェのほかリサイクルショップ、無料寺子屋などドッキングさせて地域貢献をしている。連休中だったので場所をちょっと拝借した。

置いて店に戻り、15分くらいしてフォースマイルの前を見たら、薄紅色をたくさん蓄え、白いシャッターを背に堂々と鎮座していたシクラメンが消えているではないか。

「え?」
「なんで?」

外に出しっぱなしで大丈夫なのと聞かれたことがある。今まで何十回と出してきて何ともなかった。「鉢ごと持っていく人、盗む人なんていないでしょ?」深夜ならともかく、昼間は人通りがある。人目があれば躊躇すると思っていた。ところが。

急に悲しくなってきた。
「シクラメン、可愛がっていたのに」持っていかれたことが悲しいのではなく、もうそのシクラメンと会えないことが残念で悲しかった。ほんの数分、店の中から早く出てくれば間に合ったかも知れない、いや、午後3時なんかに外に出して日に当てようと思わなければ・・・

ふらふらと歩いた。もしかしてどこかに運ばれていないか?誰かが自分の家の前に持って行ってないか?「そうだ、ひょっとして」捨てられたと勘違いしてアンフィニ花店に届けたとか?自然に足が向いた。

「あの〜」
「あ、あまねさん、こんにちは!」
主人がいた。
「妙なこと聞きますが、シクラメン、届いてないですか?」

経緯を手短に話す。消火栓の横にシクラメンが置かれていたのを主人は知っていた。ああ、あのシクラメンと言いながらも、首を横に振る。届いていない。まあ、当たり前だろう。持っていかれたと諦め、仕方ない、帰ろうとした。その姿がよっぽど悲しそうに見えたのか、主人が言った。「あまねさん、よければうちのシクラメン持っていってください」

店の表の一番端に、可愛がっていたのと同じ薄紅色のシクラメンの鉢が置いてあった。売り物である。「え?」「そんな」「いいんですか?」日焼けした南国育ちの主人がニヤッと笑い、「どうせ売れませんから」「可愛がってあげてください」何とも有り難い申し入れ、いや買いますと言ったら、それなら上げませんと言う、お言葉に甘えることにした。

新しく来たシクラメンは、前のより少し花や葉が控えめだった。傷んだ葉を取りながら、今度は持っていかれないよう工夫しようと、大きく案内の紙を鉢の下に敷くことを考え、いつまで咲くかなど新しいシクラメンに気を向けるが、やっぱり前の可愛がっていたのを思い出し、切なくなる。

そしてその思いは、シクラメンを贈ってくれた難病の友、彼を応援していた仲間たち、その中には既に旅立った友もいるが、のことに繋がっていき、40代の様々な楽しかった記憶、50代の辛い別れの記憶と巡り、心がいっぱいになっていった。

店では他にも花がときどき飾られ、つい数日前まではカラーが見事に咲いていた。季節によっては薔薇があったり百合があったりもする。どの花も美しく店を華やかにしてくれる。が、それだけ。「シクラメンは特別なんだなぁ・・・」

そうして数日が過ぎた。少しずつ前のシクラメンのことを忘れていった。

「あまねさーん」
道路の向こうから女性の声がした。消火栓の横に置いた新しいシクラメンを仕舞おうとした時だった。白いシャッターが上がり、フォースマイルがオープンしていた。

「あまねさん、シクラメン!」
「えっ、なんで?」
持っていかれたはずの、あのシクラメンが店先にあるではないか!
「どうして?」

話はこうだ。
フォースマイルが休みの日は、隣の家主兼管理人のガンさんが、店の前の歩道の掃き掃除や、時々シャッターの前に置かれていくリサイクル品を片付けたりしている。つまりガンさんが、シクラメンを提供品と思い、片付けてくれていたのだ。

「あまねさん、ガンさんがね、ここに仕舞ってくれてたの」

呼んでくれたスタッフの後から出てきた経営者、豊原きよみさんが、店の横の小さなドアを指して言った。「ずっと連休で、今日から店を開けたんだけど、昨夜準備に来たら、シクラメンの鉢が置いてあって」「鉢を見たら『あまねちゃん』とシールが、あ、これ、あまねさんが可愛いがってたシクラメンねとスタッフと話してたの」

シールは、大分の甘ネギ「あまねちゃん」のゆるキャラが可愛くて、自分と同名ともあり、愉快で貼ったのだった。

フォースマイルに「あまねちゃん」をそのまま置いてもらうことにした。南向きだから元気に育つだろう。アンフィニ花店には見つかったことを報告した。二つ並べて撮った写真も見せた。おお、立派ですねと主人が、カウンターで奥様が笑っていた。

「結局、自分の独り相撲で・・・」
「みんな優しく、花が好きだったんだなぁ」

新しいシクラメンにも名前をつけようか。スマイルはどうだろう?

【追記】
十条は温かいところです。機会があればお運びくださいませ。動画は難病の友に贈った曲『小高い丘』よろしければご覧ください!
https://youtu.be/Vnm7tRddCp4


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