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新一年生

縁あって東京の北の方でバスケットボールを教えている。正式には去年4月からで、およそ1年になるが、去年はまだコロナ禍で練習が少なく、フルで出来るようになったのはごく最近のことである。

小学校を開放して行われるバスケットボールの教室は、通常よくあるミニバスチームの練習、大会に出て優勝を狙う練習ではなく、バスケットボールに親しむ練習、週末、土日の3時間、参加は自由である。

主宰しているコーチは、前任者から引き継いで10年、毎回工夫した練習メニューで子供達を楽しませていた。僕は主に初心者担当、始めたばかりの子、まだ、まともにシュートを打てない子に基礎を教える役目になった。

5月のある週末、新一年生が数人来た。

団地のある地域柄か、親が日本人ではない子供が多い。日本語が片言だったり、全く話せなかったりして、コミュニケーションになかなか苦労する。

子供を連れて体験に来た保護者、親は、練習が始まると、体育館の舞台の上で座って待つ。大体が我が子の様子を見ているのだが、この日は驚いた。

少し行動に問題のある子、コーチの言うことが理解できないのか、練習中に寝転んだり、勝手なことを始めてしまう。一生懸命フォローするのだが、日本語もわからないのだろう、ニヤニヤしている。

どうしたものかと舞台の親を見た。すると全く関心のない様子、ずっとスマホをいじっている。まあしょうがないか、子供の体験コースに付き合っているわけだし、親は引率するだけだしな。

練習メニューが変わるたび、その子のフォローに回った。もう一人、同じ一年生で日本人ではない子がいたが、その子はわりと練習をこなし、親もニコニコ笑って見ていたのだが、問題の子はダメだった。

それから時々、その子の親の様子を見た。ずっとスマホをいじっている。2時間ある体験の時間のほとんどが、そうだった。スマホの画面を見ることが、その子の親のすることだった。

悶々とした。

バスケットボールを教えること、まして教育となると僕はズブの素人である。ノウハウがあるわけでもなく、こういうケースの場合、黙認するしかない、親に対しては見て見ぬ振りをするしかないのだろう。だけど、どうなのか?

自分がその子の親だったらどうかなと考えた。自分の親だったらどうしたかなとも考えた。

僕の親は厳しかった。

小学校一年生の一番の思い出は、僕の誕生日にプレゼントを持って遊びに来た同級生に、そのプレゼントを受け取らないよう言って、全員を帰したことだ。元来お調子屋で目立ちたがり屋の僕は、誕生日の前、クラスのみんなにうちにプレゼント持って遊びに来るように告知、いや、お願いしたのだ。

たくさんの子が遊びに来た。10人以上は来たか?嬉しかった。やったー!とみんなを家に入れようとしたら、母が「あまね、ダメです。みんなに謝って、帰しなさい」そんなふうに僕に言ったと記憶している。

プレゼントを貰うということは、そのお返しをしなければならないということだと母は教えてくれた。貰いっぱなしではダメ。大勢から貰えば、大勢に返さなくてはならない。ではそのお金はどこから出てくるのか?自分の小遣いの範囲では到底無理だろう。

しかしこれは母の教育方針で、これが正しいわけではない。僕の家庭がこうだったということである。

翌る日も体験の子が来た。

主宰するコーチが「今日も体験の子が」と、その顔を見たらなんとなく申し訳なさそうな感じ、彼も前日のことをヤレヤレと思っていたに違いない。本職は会社役員で、地位もあり聡明な方なのだ。

三人ともやはり日本人ではなかった。しかしその中で一年生は一人、その子さえ重点的に見れば、あとは大丈夫だろう、親と最初に話したが、良い感触で安心した。

練習メニューは、バスケットボールのスキルを養うもので、低学年、一年生といっても容赦ない。同じメニューをやって、出来ないことにチャレンジしていく形で、出来ないことを理解し、練習をする、出来た喜びを味わえる良い方法だと僕は考えている。

前日ほどではないが、一年生の子は、時々やる気が失せ、やめたり座り込んだりしていた。促して、さあやろうと言っても、じっとしていたり、時に涙ぐみそうになる。大人という物体が怖いのかと思った。

前日も、時々、四年生や五年生の慣れた子に、ほら、あの子に教えてあげてとお願いしていた。本来は彼らも練習しなければならないのだが、そこはチームプレー、協力することも練習の一部だろう。

ドリブルで体育館を往復するというメニューになった。

初めてのその子は、ドリブルを続けてやることが出来ず、みんなとなんとか体育館の向こうまで行ったけど、そこで止まってしまった。ずっと突っ立ったままだった。僕が走り寄って行ったけど、涙目でじっとして動こうとしない。

泣くのは禁止である。体験の最初に、子供達と約束する。

みんな待っていた。その子が戻ってくれば休憩、次の練習に移るのだ。はて、どうしたものか。

そうだ、彼女だ!

閃いた。いつも練習に来る兄妹の妹、彼女なら。

「あの子、迎えに行って!」彼女に指示を出す。はいと答える間もなく、一目散に駆け寄って行った。優しく話しかけている様子、するとその子はボールを床に突きながら、ドリブル、のようなもの、を始めて歩き出したではないか!

すごい。

心の中で彼女に大きな拍手を送った。

僕の父は大学の先生だった。母は父と結婚する前は小学校の先生だった。その家庭に育った自分は、先生になんて絶対なりたくないという反面教師だった。学校、教育というものに関わって来なかった。

人生は不思議である。その自分が、今、この歳になって・・・

大好きなバスケットボールで少しでも子供達のためになれたら本望である。

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