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最高シュート

「あ、コーチ!」
「どうやって帰るの?」

バスケットボールの練習を終えて、駐車場に向かおうと道路を歩いていたら、自転車に乗った坊主頭の子が通り過ぎたので声をかけたら、振り返ってそう尋ねた。
「車だよ」

4月から、ミニバスのコーチをしている。坊主頭の子は、そこの部員だ。三兄弟の一番上、妹、弟も練習に来ている。

「え?」
「車なの?」
「それじゃ、お金、大変じゃん」

びっくりした。
それ、小学生が言うことなの?

ミニバス、「高島平バスケットボールMet's」にコーチとして行くようになったのは、昨年の10月、ひょんなことから中学校でバスケの外部コーチ、正式には「部活動指導補助員」を引き受け、そこの指導方法に悩んでいたことが発端である。

自身の健康管理を兼ねて、週一のペースで赤塚公園の中にあるバスケのコートへ通っている。20年になるだろうか。太陽の日を浴びながら、急な雨に濡れながら、今の自分はこれでいいのか問いかけ、悩んだら答えを出そうとシュートを打った。

その日も、部活動の指導のあり方が疑問で、赤塚公園に向かった。12月の寒い朝、バスケのコートには先客、ときどき顔を合わせる高校生だった。聞いたら3年生で進学先も決まっているとのこと、なぜかその日は彼と話が弾んだ。そうして彼の父が、「高島平バスケットボールMet's」を主宰し、彼もコーチとして手伝っていることを知った。

彼には弟がいる。実はそれを随分前に見ていた。弟は大きなお兄さん達に混じって、懸命にボールをついていた、あのときの弟は小学校低学年、そして兄の彼は中学生だったのだろう。みんながバスケを楽しんでいる中、彼は、弟の面倒を見ていた。「へぇ〜、しっかりしたお兄さんだなぁ…」

「ねえ」
「高島平バスケットボールMet'sの練習、見学に行っていい?」
いきなり口に出ていた。

「父親に聞いておきます」と彼から返事、こちらもちょっと調べて主宰の父親に連絡して、快諾、練習を見学出来たのはクリスマス前、2021年、年の瀬も迫った頃である。

いろんな子がいた。
いろんな、とは、高島平団地がそばにあるという地域性もあるのかも知れないが、日本人ではない子も、の意味である。シューズを見たら学校の上履きの子がいて、そうか、これなんだと思った。なぜか腑に落ちた。

スポーツは、もちろん勝つことがベストだろう。けれど、そうでない、その競技自体が好きで楽しむのも悪いことではない。自分の出来る範囲内で、努力し、練習に励み、うまくなって自信をつける、そして社会に出て。

思えば自分もそうだ。
狂ったように毎日体育館に行った。高校時代は特に。だがその後、その道に進むことはなかった。

彼の弟は4月に中学生になった。地域の強豪校に進学した。彼は大学生になり、子どもたちの指導を続けている。「高島平バスケットボールMet's」主宰の父は、そんな息子たちを見守っている。

昨秋、バスケの部活動指導補助員を始めて、ふと浮かび出来た曲があった。とりあえず形にして保存したものを引っ張り出し、彼の家族を見、ミニバスの子たちを見、思ったことを加えてレコーディングした。

「最高シュート」
それぞれの人生を最高に。そして平和でありますように。
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