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なんのはなしですか

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なんのはなしかわからない。だけど、重要なものなんて判断は誰にも出来ないでしょ。そんなはなし。
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#純文学

恐怖から見つける自分への疑惑。続くのは、大江健三郎を再び読める日まで。

恐怖から見つける自分への疑惑。続くのは、大江健三郎を再び読める日まで。

大江健三郎と古井由吉が、対談している。

大江健三郎は、「短編の文章の緊迫を復活して、日本の文学、表現の世界を再建する必要があるんじゃないか。」と言っている。

古井由吉は、「言葉がぼろぼろに崩れがちな時代ですし、これは敗戦に劣らぬ文学の危機ですね。」と言っている。

大江健三郎が亡くなって、大江健三郎を読めなくなった。どうすることも出来ない気持ちが続いていて、新潮名作選「百年の文学」を読みはじめ

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大江健三郎の一つの出口にあたる作品を読み、私の出口は入り口かもしれないと思ふ。

大江健三郎の一つの出口にあたる作品を読み、私の出口は入り口かもしれないと思ふ。

大江健三郎27歳の長編作品「叫び声」を読んだ。これは、以前いだいた本からだ。大江健三郎が描く青春の鬱屈は、こうなるかと考えた。

その心の叫び声を表現するのに、こういう物語になるのかと感じていた。「生は性」であると最近聞いて納得していたが、こんなに近くて遠い「生は性」が、間違いなく存在していて、それが確かに青春だったなと感じながら、自分の想像を簡単に越える表現力と、それを描く世界観が面白くて悔しい

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高橋源一郎の「さようなら、ギャングたち」の疾走に思いっきり声を掛けた。

高橋源一郎の「さようなら、ギャングたち」の疾走に思いっきり声を掛けた。

読書を巡る旅の途中に、出会うべく出会うような、出会いの本があったりする。それは僕がそう思って生きているのだからそうなのだ。

自分の人生に彩りをつけるのは自分でありたい。noteにおいてそういう出会い方は初めてで、即読んだ。

noteは、どうやって僕の好みの記事を見つけてくれているのか。この記事にすぐに惹き込まれた。本当にありがたい。

それは、高橋源一郎の「さようなら、ギャングたち」について海

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一人の作家を通して、実際出会うまでに至る引力を知る。それが大江健三郎の凄さだ。

一人の作家を通して、実際出会うまでに至る引力を知る。それが大江健三郎の凄さだ。

僕は大江健三郎が「大切なことを正面にもって来る」というのを小説のスタンスとして持っているのを大江健三郎のエッセイから知った。

大江健三郎は、僕の読書に於ける尤も核になる部分に潜んでいる。まだ数冊しか読んでいないのにだ。これを言い切れる僕は、大江健三郎を介してのSNS上でのその特性を活かした特別な出会いをある方達としている。

その方達が書くその文章には、大江健三郎の熱をそのまま帯びたような感触で

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第8回《ふるさとと文学2022》「開高健の茅ヶ崎」に行ってきた。

第8回《ふるさとと文学2022》「開高健の茅ヶ崎」に行ってきた。

12月下旬一枚のハガキが家に届いた。

ハガキは、往復ハガキの返信用で少しでも市役所の方に上手く見せようと、若干細目に書いた見栄っ張りな字がバランス悪く中央より若干下に書いてしまっていた。

僕は、そのハガキが何を意味するかは知っていたが、裏を捲る心の準備をしてからハガキを覗いた。

入場整理券〈売買禁止〉
ふるさとと文学2022~開高健の茅ヶ崎

と目に飛び込んで来た。

当選に胸の高鳴りを覚え

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横光利一に自分の嫌なところを炙られて約一世紀越しに本質を問われる。

横光利一に自分の嫌なところを炙られて約一世紀越しに本質を問われる。

前回の記事で年末年始の読書に閉じ籠ろうかと思っていたが、どうしても今年中に書き残したいと思える作品に出会った。

一回読み、すぐにもう一度読み返した。こんな事は初めてで、あまりに不明瞭で落とし込めず、だけど「人間」としての本質的な事を物凄く明瞭に描いてる。

機械とタイトルがついているけどそれは歯車みたいだ。ズレを把握していても一定の法則で回っていく。誰かが入れ替わり立ち替わりその歯車になる。

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室生犀星の私小説は、改めて自分に向き合う時間をくれたみたいだ。

室生犀星の私小説は、改めて自分に向き合う時間をくれたみたいだ。

室生犀星の全集より、私小説にあたる三作を読了した。

「幼年時代」
「性に眼覺める頃」
「或る少女の死まで」

詩人でもある室生犀星が描く私小説に興味があったのか、自分でもどこに引っ掛かりがあったか忘れてしまっていたが、メモに室生犀星と書いてあったのだから何かに引っ掛かったのだろう。

しかし自分の動機などは、読む本に関係ない。ある種の出会いだと思っている。

少し前に、徳田秋声の「仮装人物」とい

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谷崎潤一郎が好きである。それと同じくらい方言が好きである。

谷崎潤一郎が好きである。それと同じくらい方言が好きである。

📚
谷崎潤一郎全集より

日本に於けるクリップン事件 を読みました。

私は、関西弁を喋れない。

これは勉強すれば喋れるようになるのだろうか。
卍で操られる言語は、関西弁を喋れない人が本当に書いているのだろうか。

同性愛を告白する女性の話しで綴られていく男女4人の交差にタイトルの意味を感じる。

私が借りた全集には、谷崎潤一郎が、卍はモデルや種本はなく、上方言葉の甘美と流麗とに魅せら

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