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AIにnoteを読ませてみた。そして、私の情緒を書き出させてみた。
AIに、失感情症の気を持っている自分の書いたnoteを読み込ませてみたら、ちょっと涙が出そうだった。
→【正月】だれかの不機嫌で、私の1日の気分が決まる場所【モヤモヤ】
https://note.com/mishi_aki/n/nba5b27b92c40
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家族ってなんだろう。子どものころから、家族というものがよくわからなかった。親の顔色を見ながら生きてきた。親が怒ったり悲しんだりした
【正月】だれかの不機嫌で、私の1日の気分が決まる場所【モヤモヤ】
毎年、正月はモヤモヤする。
なぜなら、血縁という縛りで集まらなければならないからだ。
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私には、家族というカテゴリーがよくわからない。
幼少期は、とにかく長時間一緒にいなければならない対象者の集団=家族だと思っていた。
自分の知っている家族とは、だれかの不機嫌で、私の1日の気分が決まる場所。
親による気まぐれな情緒と気分が、家庭内最優先事項。
しかし、それをきまぐれとして扱うことは許
インストールだけじゃ、ものたりなくない? ー森美術館のワールド・クラスルームー
森美術館のワールド・クラスルームを観たときのMETA的な感想を述べてみる。
※森美術館開館20周年記念展ワールド・クラスルーム:現代アートの国語・算数・理科・社会 みんなで学ぼう、アートと世界 https://www.mori.art.museum/jp/exhibitions/classroom/
本テキストはアーティストや展示作品の感想ではない。キュレーションそのものの感想でもない。強いて
私は、好き嫌いを言ってもいいの?【身代わり人形】
「なんで、ちゃんとしないの?」
親の機嫌が悪いとき、
よく聞かされた言葉だ。
《どう答えればよいの?》
自分の心が足踏みし始める。
呼吸が浅くなり、頭の中で答えを探す。
過去の事例を、思い出す。
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自分は、一生懸命伝えようとしている。
そして、なにを言っても、怒られるしかなかったことを。
次に目の前の他人の顔を観察する。
自分の口を開こうとする瞬間、
喉が閉まる。
また、今
あなたの感情と感覚は、あなたのわがままだから。
ホルモンバランスって言葉を知ったのは、いつだったろうか?
発音として耳に入っていたのは就学前、もしかすると3歳、いや、生まれてからすぐだったのかもしれない。
気付けば、
バカバカしいくらいに、
母は毒親であった。
与えられ続けた言葉は、
私という魂に、
不安とリテラシーの欠如を育て続けた。
それはおそらく、
この世に生まれ落とされてすぐに始まったのだろう。
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なにもわからない幼少
【笑ってはいけない】他人から笑われることは、私を傷を付けようとしているようにしか見えなかった。
子ども時代の記憶。
ざわめきが満ちた教室で、
「 笑うんじゃない!! 」
授業中、先生の口から良く出ていていた言葉だ。
その言葉を聞いた直後、私は周りを観察する。
隣の生徒はどこかニヤニヤした表情をしている。目の前の生徒からはそのセリフに対してどこか冷めた感情を発しているように見える背中とうなじ。
そんな姿が見えていた。
しかし、そのときの自分は、
いつも怯えていた。
怯えが頭を一杯
なぜ、無理をしてしまう選択肢を選び続けるのか?
たぶん、自分は他人から親切に見える。
他人の感想だから、本当にそうかは自分ではわからないけど。
ただ、自分はいつも自分以外の何かに寄与している選択が多い。それも習性的に。
自分で自分を皮肉って言うならば、10代のころから、端から見ればボランティアばかりしている、人の良い「使いっぱ」であった。
そして今40代になっても、行動は相変わらずだ。
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私の右足は変股症である。
脚長差が5cm
今思うと、長期入院は児童養護施設に入ったようなものだった。【毒親から離れること】
自分は大検資格から大学に入ったので、高校には行っていない。正確には卒業していない。その代わりと言えるかはわからないが、ある医師に身体的障害を指摘されたことがきっかけで、16歳から自転車で毎日病院に通院(リハビリ)していた。
17歳からは、1年間入院することとなった。
その期間は比較的心が安定していた時期でもあった。それは毒親から遠ざかることのできる環境だった。
家族と目を合わせることがほとんど