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国語のテストで点数が取れなかった理由【毒親育ちの病】

自分は、国語のテストがいつも半分しか取れなかった。
100点満点だと50点、50点満点だと25点である。

最近になって、その理由が見えてきた気がする。
結論から述べると、「①問題を解くことの拒否感」と、「②感情が無自覚で出力できない」の2つだ。ちなみに、①が対象になるのは「読解問題」、②が対象になるのは「感想文」である。

・・・

自分は毒親育ちだ。
子どもの頃、母親は自分の感情を隠すことなく自分にぶつけていた。
シングルマザーで女性教員、親の父(自分の祖父)とは仲が悪く、自分が祖父と仲良くしていると、機嫌が悪くなっていた記憶がある。
性格はヒステリー気味で、子に向けて「自分はブスだから、あんたはハンサムで良いね」と言っていた。仕事帰りはいつも不機嫌だった。

事に付けて、「私はあんたを1人の大人として扱っている、ちゃんと子の意見を聞いているんだ」と幼少期の自分に対し言っていた。しかし、聞いている振りはするけれど、自分の意見に対し「それはどうかな?」と言って、最終的には親の価値観を押し付ける過干渉だった気がする。

例として、
自分はおもちゃをほとんど買ってもらったことがなかった。
家にあるおもちゃは、誰かのお譲りで、腕のない超合金ロボや、知らないキャラクターフィギュアのようなものが段ボールごともらった記憶がある。(ちなみに、テレビを見せてもらえなかったのですべてのキャラクターが何なのか、自分は全然わからなかったので、うれしくとも何ともなかった…)

小学生の頃、突然親が何を思ったのかわからないが、
「クリスマスプレゼントで欲しいものは何?」
と聞かれて、
「ラジコン!」
と答えると、
「そんなの役に立たないし、いらないんじゃないかな?」
と言われ、
結局、クリスマスプレゼントが
「顕微鏡」
だった経験は、今も忘れられない。

・・・

なぜ自分が欲しいと思った感情自体を否定されなければならないのか?
そう感じた疑問は解決することなく、その後、親に合わせるしかないと思い込んで生きていた。
そういう感じで、日々は繰り返されていた。

今思えば、子どものころの自分の欲望や感情を持つこと自体は、親にとって重視するものではなく、無関心なものにすぎなかったのだろうと思う。
全て親の希望が優先され、自分自身が感じていた欲望・感情・感想といったものは、自分とは異なるものに変えられていた日常であった。

・・・

毒親は、自分の感情を隠さず子に向ける。
具体的には、子に対し、不機嫌な態度で、

「ちゃんとしろ」
「お前は何もしない」
「お前は何も手伝わない」
「私はストレスで大変なんだ」
「親の気持ちがわからないのか」

などがそうだ。


幼児期の子は、感情がどういうものかわからない。自分の感情がどういうものかを理解するようになるには、成長の過程で得るものだからだ。
自分の感情がわからない状態であれば、親(他人)の感情などわかるはずがない。
しかし、毒親であっても、受け入れなければ生きていけないのが子どもである。子どもは親との関係が生存する方法の全てであり、家庭が世界そのものだからだ。自分を傷つけている毒親を受け入れようとするには、親の感情を読み解き、合わせることが絶対であり、できなければ「悪い子」になってしまうのだ。
そうやって、自分の感情より親の感情を優先することは、自分に嘘をつくことである。無意識下には不満をため込んでいる状態で毎日を過ごしていた。

毒親に育てられ、感情の矛盾が蓄積されていく日々の中、大きくなるにつれ、原因に無自覚に、「他者の気持ちなど読み解きたくない。」と言う気持ちが大きく膨らんでいく。

そんな感じで、親との関係を思い出すと、嫌な記憶が殆どである。

・・・

さて、本題だが、
①読解問題は
「文章をよく読み、作者(問題制作者ともいうが)の気持ちを読み解き、記述しろ。」である。

そんな質問は、毒親育ちにとっては、ものすごく「嫌なこと」である。
なぜ、親以外の他人の感情や思いまで「読み解かなければならない」のか?

故にテストでは、読解問題の答えは、問題文の正解ではなく、問題文から触発された自分の気持ちを書き連ねていた。

ということで、点数は取れない解答である。

一方で、②の感想文は、なぜか書けない、という感じを受けていて、いつも困惑していた記憶がある。
自分の感情を優先することなく毒親と向き合っていた子としては、他人に答えて良い自分の感想などあってはならない。日頃の生活では、親の感情を読み解くことが最重要であり、他人に伝える感想などをぶつければ不機嫌が返ってくるものに過ぎないと感じていた。

親から、「どうしたいの?」と聞かれれば、親の望む答えを探り、それに合わせることで親の不機嫌から逃れることができ、そうやって生き延びてきたからだ。

国語のテストだからといって、「あなたの感想を書きなさい。」などと言われると、拒否反応のような態度になってしまっていた。無自覚に歯止めがかかり、書くことなどできないのだ。

だから、感想文の感想を書けなどと言われたって、「自分の感想はない、言えるわけがない、そんなことをしたら、自分が嫌な思いをする。」というのが自分の気持であった。

そうなると、こちらも点数が取れない解答しか書けなかった。

・・・

しかし、当時は全く自覚がなかった。

そして、嫌な記憶は、無意識に刻まれ、未だに自分を蝕んでいるようである。


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