みしあき(あっくん)

アシンメトリーな身体の持ち主。 心と体と社会(日常)について、気になることを綴ります。

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アシンメトリーな身体の持ち主。 心と体と社会(日常)について、気になることを綴ります。

最近の記事

AIにnoteを読ませてみた。そして、私の情緒を書き出させてみた。

AIに、失感情症の気を持っている自分の書いたnoteを読み込ませてみたら、ちょっと涙が出そうだった。 →【正月】だれかの不機嫌で、私の1日の気分が決まる場所【モヤモヤ】 https://note.com/mishi_aki/n/nba5b27b92c40 ・・・ 家族ってなんだろう。子どものころから、家族というものがよくわからなかった。親の顔色を見ながら生きてきた。親が怒ったり悲しんだりしたら、それは全部私のせいだと思わされた。私は、親の感情のはけ口にされていたんだ。そ

    • 【正月】だれかの不機嫌で、私の1日の気分が決まる場所【モヤモヤ】

      毎年、正月はモヤモヤする。 なぜなら、血縁という縛りで集まらなければならないからだ。 ・・・ 私には、家族というカテゴリーがよくわからない。 幼少期は、とにかく長時間一緒にいなければならない対象者の集団=家族だと思っていた。 自分の知っている家族とは、だれかの不機嫌で、私の1日の気分が決まる場所。 親による気まぐれな情緒と気分が、家庭内最優先事項。 しかし、それをきまぐれとして扱うことは許されず、絶対的な同調、神のごとき指針となって、押し付けられる。 1人の不機嫌が絶

      • 昭和と団塊の檻(おり)と軛(くびき)

        「そういう時代じゃないよねー」 踏まえている風の人の口から発せられ、仕方なく耳に入ってしまいがちのパワーワード。 そうかもしれない。 そう思っちゃう。 だって、 パワハラ・過干渉・性差、 誰かが口に出して違和感満載だった「長幼の序」。 親、学校、会社、身のまわりの社会から発せられる自己犠牲の強要と、それがデフォルトの社会。 とにかく、ロスジェネとしてはめちゃくちゃ嫌で、振り回された暗黒史の価値観。 報われなさの象徴であるポイズン。 確かに、今と昔とは違う。

        • 毒親と学校的価値観で出来上がった罪悪感は私にとって度し難い

          私にとっての毒親と学校的価値観は呪縛だ。 最悪だ。 学校的であることに疑問を抱いて、把握して、良くないものだとわかっていても、認知のゆがみに気付いても、簡単に価値の転換はままならない。 心が縛られている。 劣等感満載のシングルマザーに、一人っ子の息子。 シングルマザーはその父親と険悪な仲だったことをずっと息子に言い聞かせ、息子自身には他者の意見が耳に入らないように過干渉を続ける毒親との、鳥籠のような二人暮らし。 そして、毒親の職業は教員。それも家庭科。女性の社会進

        AIにnoteを読ませてみた。そして、私の情緒を書き出させてみた。

          1人で生きていけないようにする方法

          「そんなんじゃ、この先、生きていけないよ!」 時折、子どもの頃にそんな言葉をかけられていたことを思い出す。 今はどうだろう?と考える。 私は1人で生きているかというと、できてない気がする。 そう思っちゃうのは、マインドの部分が拗れている背景が見えてきたからだ。 【今回は私が感じた情緒を意図的に表に出した文章です。読み手の立場によっては、不快になるかもしれません。ご注意下さい。】 《1人で生きていけない人間から私は生まれた》 「あなたを食べさせていかないとならないか

          1人で生きていけないようにする方法

          インストールだけじゃ、ものたりなくない? ー森美術館のワールド・クラスルームー

          森美術館のワールド・クラスルームを観たときのMETA的な感想を述べてみる。 ※森美術館開館20周年記念展ワールド・クラスルーム:現代アートの国語・算数・理科・社会 みんなで学ぼう、アートと世界 https://www.mori.art.museum/jp/exhibitions/classroom/ 本テキストはアーティストや展示作品の感想ではない。キュレーションそのものの感想でもない。強いて言えば構造の感想である。 一言で言うと、 「インストールされた。」 そんな

          インストールだけじゃ、ものたりなくない? ー森美術館のワールド・クラスルームー

          私は、好き嫌いを言ってもいいの?【身代わり人形】

          「なんで、ちゃんとしないの?」 親の機嫌が悪いとき、 よく聞かされた言葉だ。 《どう答えればよいの?》 自分の心が足踏みし始める。 呼吸が浅くなり、頭の中で答えを探す。 過去の事例を、思い出す。 ・・・ 自分は、一生懸命伝えようとしている。 そして、なにを言っても、怒られるしかなかったことを。 次に目の前の他人の顔を観察する。 自分の口を開こうとする瞬間、 喉が閉まる。 また、今までと同じように怒りの顔を私に向けて、 「なんで?!」 そう言われるに違いな

          私は、好き嫌いを言ってもいいの?【身代わり人形】

          あなたの感情と感覚は、あなたのわがままだから。

          ホルモンバランスって言葉を知ったのは、いつだったろうか? 発音として耳に入っていたのは就学前、もしかすると3歳、いや、生まれてからすぐだったのかもしれない。 気付けば、 バカバカしいくらいに、 母は毒親であった。 与えられ続けた言葉は、 私という魂に、 不安とリテラシーの欠如を育て続けた。 それはおそらく、 この世に生まれ落とされてすぐに始まったのだろう。 ・・・ なにもわからない幼少期のころから、 「あのね、わたしは" ほ ル も ン バ ら ん ス "が崩れ

          あなたの感情と感覚は、あなたのわがままだから。

          【笑ってはいけない】他人から笑われることは、私を傷を付けようとしているようにしか見えなかった。

          子ども時代の記憶。 ざわめきが満ちた教室で、 「 笑うんじゃない!! 」 授業中、先生の口から良く出ていていた言葉だ。 その言葉を聞いた直後、私は周りを観察する。 隣の生徒はどこかニヤニヤした表情をしている。目の前の生徒からはそのセリフに対してどこか冷めた感情を発しているように見える背中とうなじ。 そんな姿が見えていた。 しかし、そのときの自分は、 いつも怯えていた。 怯えが頭を一杯にする。 そして、いつも通り、いつの間にか、私は内省モードに入っていく。 ・・

          【笑ってはいけない】他人から笑われることは、私を傷を付けようとしているようにしか見えなかった。

          なぜ、無理をしてしまう選択肢を選び続けるのか?

          たぶん、自分は他人から親切に見える。 他人の感想だから、本当にそうかは自分ではわからないけど。 ただ、自分はいつも自分以外の何かに寄与している選択が多い。それも習性的に。 自分で自分を皮肉って言うならば、10代のころから、端から見ればボランティアばかりしている、人の良い「使いっぱ」であった。 そして今40代になっても、行動は相変わらずだ。 ・・・ 私の右足は変股症である。 脚長差が5cm以上あり、障害者手帳はないが、7級である。症状としては、股関節と下腿に障害を持っ

          なぜ、無理をしてしまう選択肢を選び続けるのか?

          毒親育ちの言語理解はLLM(大規模言語モデル)なのか?

          私は文法の理解が乏しい気がします。 英語はもちろん、日本語についても文法理解が苦手です。 今思うと、国語の授業の文法が何の意味なのかがよくわからなかったのです。英語だともっとわからない。学校で習った文型が何かは、当てはめるシステムとしてはわかるのですが、それがどういう意味を持つのか『感覚的にわからない』のです。 ところで今、私はこの場所で文章を書いています。ただ、これは『文法を理解しているから記述できているのではない』と感じています。 では、なぜ文章が記述できるのかといえ

          毒親育ちの言語理解はLLM(大規模言語モデル)なのか?

          今思うと、長期入院は児童養護施設に入ったようなものだった。【毒親から離れること】

          自分は大検資格から大学に入ったので、高校には行っていない。正確には卒業していない。その代わりと言えるかはわからないが、ある医師に身体的障害を指摘されたことがきっかけで、16歳から自転車で毎日病院に通院(リハビリ)していた。 17歳からは、1年間入院することとなった。 その期間は比較的心が安定していた時期でもあった。それは毒親から遠ざかることのできる環境だった。 家族と目を合わせることがほとんどなく、病院関係者と入院患者の中で過ごす日々は新鮮で、今思うと、児童養護施設で暮ら

          今思うと、長期入院は児童養護施設に入ったようなものだった。【毒親から離れること】

          一方的かつ利己的な他人の教えを受け入れ続けることは、利他的になってしまいがち。

          利己的に生きることが良いと考える親が、自分の子供に利己的な生き方ができるようにと、よかれと思って利己的考え方を教えると、不自然に利他的な子供が育つ。 なぜならば、「親」という「他人」から、利己的な考え方を子供が受け入れるということは、自分より他人の考えを受け入れる、利他的な状態だからだ。 もし子供を利己的な生き方をするならば、親の言うことを聞かなくて良い、ということが利己的な判断だからだ。 子供が親の言うことを受け入れる時点で、それは自分のためではなく、親のためなのだか

          一方的かつ利己的な他人の教えを受け入れ続けることは、利他的になってしまいがち。

          今日、何したい?

          他者を通して、おしゃべりとかで学ぶ機会に身を投じたい。 自分が何者であるかより、自分自身が歩いているだけで、フランクに他者とリレーションシップが成り立つ姿勢が身に付いている人間になりたい。 … ここからはそのように考える自分の理由を書き出してみる。 … まず、他者に対して何らかのコンプレックスがあるのだろう。それはコミュニケーションに対しての恐怖だろうか。一方で、自分にとっての恐怖は、物理的暴力ではない。自分の身体的弱さは、身に滲みて理解しているので、そのようなわかりや

          今日、何したい?

          国語のテストで点数が取れなかった理由【毒親育ちの病】

          自分は、国語のテストがいつも半分しか取れなかった。 100点満点だと50点、50点満点だと25点である。 最近になって、その理由が見えてきた気がする。 結論から述べると、「①問題を解くことの拒否感」と、「②感情が無自覚で出力できない」の2つだ。ちなみに、①が対象になるのは「読解問題」、②が対象になるのは「感想文」である。 ・・・ 自分は毒親育ちだ。 子どもの頃、母親は自分の感情を隠すことなく自分にぶつけていた。 シングルマザーで女性教員、親の父(自分の祖父)とは仲が悪く

          国語のテストで点数が取れなかった理由【毒親育ちの病】

          《ジェネレーション・アイロニー》変わらない自分でいたいと思っている旧弊なコミュニティに属しているであろう人々への嫉妬、その表象を論じてみる

          《自己受容困難世代の怨念と、その情緒体が生み出す今日》  ”私たち”は、世界と社会が変わっていく中で、変わらない自分でいたいと思っている人々が属するコミュニティに対して強烈な嫉妬をしているのかもしれない。 …死ぬまで手放さない世代は、寿命が長い…  世代・年齢にもよるが、能力というより運が良かっただけで、事実上崩壊しているコミュニティの中で、椅子取りゲーム、もしくは双六のようなギリギリ勝ち抜けできそうなポジションに座しながら、知の集合体をトラディショナルな価値として保存

          《ジェネレーション・アイロニー》変わらない自分でいたいと思っている旧弊なコミュニティに属しているであろう人々への嫉妬、その表象を論じてみる