毒親と学校的価値観で出来上がった罪悪感は私にとって度し難い

私にとっての毒親と学校的価値観は呪縛だ。

最悪だ。

学校的であることに疑問を抱いて、把握して、良くないものだとわかっていても、認知のゆがみに気付いても、簡単に価値の転換はままならない。

心が縛られている。

劣等感満載のシングルマザーに、一人っ子の息子。

シングルマザーはその父親と険悪な仲だったことをずっと息子に言い聞かせ、息子自身には他者の意見が耳に入らないように過干渉を続ける毒親との、鳥籠のような二人暮らし。

そして、毒親の職業は教員。それも家庭科。女性の社会進出が難しかった時代、必死だったのだろうが、私にその時代の問題と、それに対する毒親の見解と正解を押し付け続けた。

それは、多様性とはほど遠い、毒親が提唱する唯一無二の価値観を幼少期から息子に植え付け続けた。

昭和のフェミニズムと赤旗が散らばっている閉鎖された部屋で、他者から断絶した二者空間しかしらない幼き子に、毒親は自分の主観を言い続けた。

そして、家の外も中も学校だった。
学校中心の、学校だけで生きる人間たちの学校的価値観で塗りつぶされていた。

彼らは私を見ることはない。私に適した理想などはなく、彼らの理想を構築するコマだった。
私の成長は、私でなくてもよい。私ではない誰かとどこかの理想を目指すために、私本来の情緒と本能を潰し続けた。


それが、私の日常だった。

・・・
数年前、何を思ったか、

「こんな風に世間の価値観が変わっていくのは嫌なんだよね。」

と私に呟いた。

あなたは良いだろう。
その時代を生き抜いてまもなく終着しようとしているから。

私は、憤りしかない。

あなたの価値観で私を縛り続けたことが、どれだけの負荷を与えているか、気付いているなら、そんな言葉は発さないだろう、と思った。

それから、
私は一切連絡を絶つことを心に決めた。

・・・

理由がわかっていても、相変わらず自分の人生を自分の情緒と感性で生きることに罪悪感を植え付けられている。

一方的な毒親の情緒と感性を私に上書きし、学校的価値観にドブ漬けされる幼少期は、その後にまで日常までも私自身を奪い続ける、

最悪な洗脳だ。

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