【留学準備中】夢を現実にするために頑張っているひとが、生きることが面倒になってきたときに思い出したいこと【夢を得る過程も、夢を現実にできてからも楽しもう】
疲れた。
死にたいとか消えたいとか、そういったものじゃない。
ただ、生きていること、毎日なにかをしていないといけないということが果てしなく面倒になってきた。
疲れているのかもしれない。
気分は落ち込んでいないし、健康上の心身の問題もない。
ただ、面倒になってきた。
目の前に積み上げられたことをひとつひとつやっていって、それが終わると思うとまた次のタスクが来る。
宿題、労働、留学の手続き、家の掃除、授業の予習、試験対策、語学学習…。
それらの義務的なこと以外にも、自分の余暇に置いてやるべき楽しみなことはあまりにもたくさんある。
手紙を貰ったものへの返事、本の執筆、日記を書くこと、好きなアニメを見ること、ASMRを見てリラックスすること…。
なんか、疲れてしまった。
ギブアップするまで延々と続くわんこそばみたいだ。勝利条件はふたつ。お店にあるわんこそばがなくなるまで食べ続けるか、ギブアップするか。ほんとうの勝者というものがいたのだとしたら、それはそもそもその勝負に参加していないひとなのだろう。
実際、私達は最終選考を前にしているが、最終選考前に辞退する学生を数人見てきた。みんな耐えられないと言う。こんなのしんどいと言う。それなら留学を辞めてしまったほうが自分のメンタルヘルスやからだの健康が保てるとか、親に直前で反対されたとか、家計状況が変わり資金を出せなくなったとか、良く考えてみたら留学しないほうが将来のために良いかもしれないとか、そういったいろんな理由で。
最終選考前の授業はすべて選考の対象になる。教室に入るといつも実験台の上で解剖されているようなイカの気分になる。一挙手一投足見られていて、監視されていると思えてしまうほど疲れている。もちろん、留学課は生徒を24時間監視するほど暇ではないということはわかっているし、そんなことをすると言い切れるのは陰謀論者だけだということもわかっている。そんなことが行われていないと知りつつ、すべてを見られているようになり、結局私は言論の自由を失いつつある。
疲れてしまった。
なんか、しんどいとは言わないけど、これが夢の代償なのかと思えてくる。
なにかを得るためには、なにかを失わないといけない。そんなことはわかっている。
1日3食食べるためには、調理する時間と材料費を犠牲にする。私は食べることが好きだから、これは苦にはならない。
毎日大学に通うと、交通費(定期代)とそのぶんの時間を犠牲にする。
学位を得るためには、4年間と500万円を犠牲にする。
時給1000円を得るためには、1時間を犠牲にする。
大学院に進むためには、新卒採用の特権と5年間を犠牲にする。
大学教員のキャリアを追い求めるためには、結婚願望を犠牲にしなければいけないかもしれない。
まとめると、大概時間とお金と労力が複雑に絡み合っていて、なにかを得るためにはその3つのうちの数個あるいは全部を犠牲にする必要があるということだ。
でも、それを差し出すことで、夢を現実にできるか、夢に近づける。
夢を得るために、なにも失わなくていいなんて甘い話はない。
お金を得るために楽な儲け話がないのと同じように、夢を現実にするためにもショートカットできるような道はないのだと思う。
そして、堅実にやっていくのがいちばんの近道なのかもしれない。
夢を現実にしたひとは、みんな努力している。結果として棚ぼたのような形で手に入れたとしても、それは努力している結果として得られたものだと思う。
努力したら夢がかなうわけではないし、努力が必ず報われるわけでもない。努力したぶんだけ報われたひともいれば、努力しなくても運よく報われたひともいれば、努力しても報われなかったひともいる。
ただ、夢を叶えたひとは、たいがい努力している。
努力しないで夢を手に入れたひとは、結局どこかでその代償を払うことになるのだと思う。そしてその代償の大きなものとしては、「楽しくない」ということなんだろう。
そして、人生はひたすら夢を追うものではない。
夢に向かう過程もあるし、夢に到達して別の夢を探す過程もある。
たとえば、行きたい大学があって、そこに入るためにものすごく勉強を頑張ったとする。そして、そのひとは無事にその第一志望に合格したとする。そうしたら、そのひとの人生は終わりなのだろうか?
そんなわけない。18歳程度で終わるような人生ではない。神様はもっと過酷で、もっと面白いものをたくさん用意しているだろう。それは長生きするという意味ではない。人生は長さではなく密度だからだ。
行きたい大学に向けて勉強している過程は、しんどいかもしれないが、たとえば元日だけ勉強を休んで家族で過ごしたとか、模試で良い点を取ったとか、好きなひとに受験を応援されたとかいった、きらきら輝く時間がある。
そして、その大学に入ることはゴールではない。新たなスタートラインに立つための手段だ。その先に就活や院進といったものが待っているし、大学生活を楽しまないと損だ。
そんなことを、私は友人から教わった。
その夢に向かう過程を楽しもうと、彼は言っていた。
そして、夢を叶えた先にも、人生は続く。
たとえば、YouTubeの登録者が100万人になったら金の盾が貰えるが、その金の盾を得る瞬間だけが人生だったら、人生はあまりにもつまらないものだろう。人生の喜びはたった5秒しかないのか? そんなはずはないだろう。
登録者が500人のときから推してくれている最初期のファンの存在、登録者1000人に到達して収益化条件を達成したときの喜び、登録者1万人になったときの達成感、そしてやっと10万人の大台に立った充実感、そして瞬く間に50万人になったと祝杯をあげたら、炎上して10万人減って、そして堅実に100万人に達して、それからTiktokにも進出しようと頑張る、そういったものが人生ではないか。
そして、YouTubeは数字だけではない。やっていて楽しいならやればいいし、楽しくないと思った瞬間に辞めればいい。私は楽しくないので、最小限にしているが。話を簡略化するために数字だけ出しただけだ。
そう考えると、結局、人生というのは生まれてから死ぬまで続いていくものなのだから、その過程を楽しんで、その達成後も次の目標に向けて頑張るのが、人生だと思う。
そして、思い出したいことは、大学に通えて留学という夢を追い求められるということそれ自体、果てしなく幸せなことだということだ。この舞台に立てているのは、大変なことも当然あるが、幸運のたまものだ。
大学に行けるだけの資金、親の激しい反対を受けず応援されたこと、毎日通えるだけの身体と精神の健康、ミサイルが落ちてこない平和な空のもとで安心して大学に通えること、銃乱射や刃物で切り付けられるなどの治安悪化をほとんど心配しなくていいこと…。
何より、大学に通うのが楽しいと思えること、留学選考がしんどくても留学に行くのが楽しみなこと、そういったことは忘れたくない。もしそれが純度100パーセントの苦痛だったら、どんな綺麗事も通用しないだろう。
夢を味方にして、前に進むときに思い出したいことがある。
その過程もあとから思えば楽しかったものになる日が来る可能性が高い。いまこの瞬間も、楽しめたら良い。楽しめるようにしよう。夢は叶えるためのものだけではなく、味わい咀嚼し反芻しそれを血と肉にするためのものだ。
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