マガジンのカバー画像

【雑記集】※いたって個人の感想です。

538
雑記・随筆も、書くのが楽しいですね。いや、雑記や随筆こそ、書くのが一番楽しいかもしれません。 そしてこの誰に宛てているわけでもない文章が、漂流して、まったく見知らぬ(かもしれない…
運営しているクリエイター

2023年11月の記事一覧

自分の存在しない世界と同じ

自分の存在しない世界と同じ

土井善晴先生のお言葉を、本日はいくつかメモ書き。

私も同感。
何だか、頭で考えてばかりだと、「理屈中心」の思考回路になるが、その「理屈」って、所詮狭い自分自身の頭の中の世界しか見ていないところもあるものね。
「常に変化している外界」とか、キャッチしにくいというか。
「計算では弾き出せないことで溢れている」のが、この現世という気もするし。

土井善晴先生のお言葉
その②

「きれいかどうか」を後回

もっとみる
生物がいない世界を想像する

生物がいない世界を想像する

「誰もいない世界」を、想像してみればいいのか。

そうすれば、 人というものは、 (見知らぬ人ですらも、) そこにいてくれるだけで、 ありがたい存在ということになるのか。

「何もない世界」――もしも「何も」存在しなければ、この世はただの暗闇の空間でしかないのだ。

その中で、たとえば生物(動物も植物も)――その中でも人ならば殊更、そこにいるだけで、「暗闇の中に灯る一つの明かりのようなもの」にだっ

もっとみる
「甘える」のってそんなに悪いことじゃない

「甘える」のってそんなに悪いことじゃない

「人に甘える」ということについて。

それができない・したくないという人は結構多い気もするが、理由としては

・独立心が強くてそちらが勝つ
・相手に悪い気がする
・やり方が解らん
・人が怖い・警戒すべきものだと思っている
・人から甘えられるのが嫌いだから自分も甘えない

とか、色々ありそう。
(自分はこれ、全部少しずつあるかな。笑)

ただ、これらのことって一見 「甘える」の反対側に位置するよ

もっとみる
必ず忘れてしまう些細なことも含めて

必ず忘れてしまう些細なことも含めて

思い出せる事より、 思い出せない事の方が、自分の頭の中にたくさん蓄積されているんだよなー。
――いや、 「思い出せない」=「忘れてしまっている・無い」 ならいいんだけど、 そうではないからなあ。

たとえば、ぜーったい、思い出すはずのないような幼い頃の些末な事さえ、 何故かある時ふと理由もきっかけも前後の脈絡もなく、突然思い出されたりもするし。

恐ろしいけど、たぶん本当は、人間は「すべての事を

もっとみる
御本人が亡くなった後の新たな創作物について思うこと

御本人が亡くなった後の新たな創作物について思うこと

もう4年くらい前の話になるんだけど。

紅白で、「AI美空ひばり」が登場したことがあった。

この件、私の中で、何かしっくりこなかった。
いくつかある点の中でも、何が最もよろしくないって、「ご本人の遺志でも何でもない新曲を勝手に当てがった」 この一点に尽きるんじゃないかと。 既にある映像を元に今のNHKホールで既発の曲を「再現」の体だったら、まだしも。
100歩譲って、新曲だとしても、 古賀政男さ

もっとみる
「望んでもどうしても手に入らぬものだけが放つ光」はある

「望んでもどうしても手に入らぬものだけが放つ光」はある

タイトル。
「そういうもの」があること自体が、きっと幸せなことなのだ。

それのせいで、眠れなくなったり、食事が美味しくなくなったり、何をしても楽しくないとか何をする気も起きないとかまでなったり、それがいつまでも続く場合は、「それを自分の心からバッサリ捨てる」(少なくともそのことについて真面目に向き合い過ぎない)も、選択肢の中に入れてもいいんだと思うけど。

でも、「望んでもどうしても手に入らない

もっとみる
「素の自分」とは?

「素の自分」とは?

「物心ついた頃」の自分に、少しずつ戻りつつあるのかも? という気もする。
……といったところで、本当には戻れないけどな。(笑)

でも、小学校の中学年くらいから、 周りに「同調」「合わせる」という名の「顔色窺い」する事を覚え始め、 ――で、多分、自分はそれが得意な方だったのかもしれないな、とは思う。
別にこれまでの自分が 「本来の自分」「素」ではない、というわけでもないが、「同調」してきたその「

もっとみる
「謎の集団的モヤモヤ」どうにかならないものか

「謎の集団的モヤモヤ」どうにかならないものか

無用な遠慮を、しかも誰もがして、 その結果、 誰も得してない、 むしろ皆が少しずつ損した。
……みたいなことって、それぞれの人が感じている以上に、つまり「皆が気づかぬうちに」、 実は多い気がする。

――そういう人生のエネルギーの無駄遣い、 もったいないので、いいがげんどうにか減らせないものだろうか??

あるいは、無意識下だが、でも無駄になっている事には本当は気づいている、ってのも、またよくある

もっとみる
「やって来るものごと」のほうは自分では選べないみたいだから

「やって来るものごと」のほうは自分では選べないみたいだから

「この先」とか「将来」とか 「幸せになる」とか、そういうのは置いておいて。
「やって来るもの」は、良い事も悪い事も、勝手に来ればいい。
と、このごろ思うようになった。
もう仕方ないので「何が来てもかまわんわ!」と開き直った、ということである。

でも、何が来ようとも、今を、今日を、 「自力で」 明るく楽しくするのがいい。
――そういうものの捉え方のほうが、 「自分には」合っている気がする。

もっとみる
人間の作る世界にだけ自浄作用が働かないならその時は

人間の作る世界にだけ自浄作用が働かないならその時は

私には、 たぶん50年後も生きているであろう姪も甥もいるので、「世界のすべては他人事」とはとても思えない。

いや、自分自身についても、 歳をとってきたら尚更、 正直このままでは先行きが如実に不安なことばかり多いので、 やはり「他人事」にとてもじゃないができない。

――いや、今回のこれは批判ではない。
「世界のすべては他人事」と思うのはアリだと思うし (自分もそう思えるものなら思いたいくらい)、

もっとみる
「差別問題」を喩える

「差別問題」を喩える

例えば、
ある人が、サッカー部の3年生と仲が悪かったとして、でもそれだけで
「(自分と直接関わりがない)サッカー部の2年生も1年生も許さん、何なら奴らのほうにやり返してやる、下級生だし、うちの学校内では今部員数少ないから攻撃しやすいし。」
って言っている状態……みたいな印象を、一部の差別問題から受けたりします。

人を「束」にして見るのが、そもそもおかしいのだ。

どの集団に(たとえば例で言うなら

もっとみる
「自分でこそ」自分を変えることは多分できる

「自分でこそ」自分を変えることは多分できる

変われると思えば、たぶん人は変われると思う。

実際、「変われることができた人」はいるのだから。
――その人はきっと 「変われるわけない」とは思わなかったのではないか。

「まず、変われると自分で思わなければ、変われるはずがない」とするなら。
逆にそれならきっと、「変われると思えば、たぶん人は変われる」と、私は感じている、というこれは話である。

そして、自分が変われば、自分を取り巻く日々も、きっ

もっとみる
「この世に生き残る」ということ

「この世に生き残る」ということ

何だか消えてしまうものばかりなのである。

それなのに、 消えてしまったものの記憶は、 増えるばかりなのである。

「生きていく」というのは、そういうことなのである。

――「それでもどうせいつかは忘れていく」と思いこんできたけれど、しかし、何の前触れもなく前後の脈絡もなく、「忘れていたこと」が、突然不意に蘇ってくることも結構ある。

と、いうことは。

すべてのことは、本当には忘れることなんてで

もっとみる
失ってみないと気づけないタイプ

失ってみないと気づけないタイプ

10代の頃の素晴らしさは
20代になってからわかるし、
20代の頃の素晴らしさは
30代になってからわかるし、
30代の頃の素晴らしさは
40代になってからわかるし、
40代の頃の素晴らしさは

って、 遅ーいッ!
いつもいつも遅すぎるんだよッ!!(笑)

――これは「懐かしさ補正」か?

懐かしさのせいで、
本来どーでもよかったことまで
ステキに見えることはままある。
(それも最強

もっとみる