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2023年11月の記事一覧
自分の存在しない世界と同じ
土井善晴先生のお言葉を、本日はいくつかメモ書き。
私も同感。
何だか、頭で考えてばかりだと、「理屈中心」の思考回路になるが、その「理屈」って、所詮狭い自分自身の頭の中の世界しか見ていないところもあるものね。
「常に変化している外界」とか、キャッチしにくいというか。
「計算では弾き出せないことで溢れている」のが、この現世という気もするし。
土井善晴先生のお言葉
その②
「きれいかどうか」を後回
生物がいない世界を想像する
「誰もいない世界」を、想像してみればいいのか。
そうすれば、 人というものは、 (見知らぬ人ですらも、) そこにいてくれるだけで、 ありがたい存在ということになるのか。
「何もない世界」――もしも「何も」存在しなければ、この世はただの暗闇の空間でしかないのだ。
その中で、たとえば生物(動物も植物も)――その中でも人ならば殊更、そこにいるだけで、「暗闇の中に灯る一つの明かりのようなもの」にだっ
「謎の集団的モヤモヤ」どうにかならないものか
無用な遠慮を、しかも誰もがして、 その結果、 誰も得してない、 むしろ皆が少しずつ損した。
……みたいなことって、それぞれの人が感じている以上に、つまり「皆が気づかぬうちに」、 実は多い気がする。
――そういう人生のエネルギーの無駄遣い、 もったいないので、いいがげんどうにか減らせないものだろうか??
あるいは、無意識下だが、でも無駄になっている事には本当は気づいている、ってのも、またよくある
「差別問題」を喩える
例えば、
ある人が、サッカー部の3年生と仲が悪かったとして、でもそれだけで
「(自分と直接関わりがない)サッカー部の2年生も1年生も許さん、何なら奴らのほうにやり返してやる、下級生だし、うちの学校内では今部員数少ないから攻撃しやすいし。」
って言っている状態……みたいな印象を、一部の差別問題から受けたりします。
人を「束」にして見るのが、そもそもおかしいのだ。
どの集団に(たとえば例で言うなら
「自分でこそ」自分を変えることは多分できる
変われると思えば、たぶん人は変われると思う。
実際、「変われることができた人」はいるのだから。
――その人はきっと 「変われるわけない」とは思わなかったのではないか。
「まず、変われると自分で思わなければ、変われるはずがない」とするなら。
逆にそれならきっと、「変われると思えば、たぶん人は変われる」と、私は感じている、というこれは話である。
そして、自分が変われば、自分を取り巻く日々も、きっ
「この世に生き残る」ということ
何だか消えてしまうものばかりなのである。
それなのに、 消えてしまったものの記憶は、 増えるばかりなのである。
「生きていく」というのは、そういうことなのである。
――「それでもどうせいつかは忘れていく」と思いこんできたけれど、しかし、何の前触れもなく前後の脈絡もなく、「忘れていたこと」が、突然不意に蘇ってくることも結構ある。
と、いうことは。
すべてのことは、本当には忘れることなんてで