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御本人が亡くなった後の新たな創作物について思うこと

もう4年くらい前の話になるんだけど。

紅白で、「AI美空ひばり」が登場したことがあった。

この件、私の中で、何かしっくりこなかった。
いくつかある点の中でも、何が最もよろしくないって、「ご本人の遺志でも何でもない新曲を勝手に当てがった」 この一点に尽きるんじゃないかと。 既にある映像を元に今のNHKホールで既発の曲を「再現」の体だったら、まだしも。
100歩譲って、新曲だとしても、 古賀政男さんとか船村徹さんとか、 作詞家でしばるなら石本美由起さんとか吉岡治さんとか星野哲郎さんとか 「美空ひばりの楽曲といえばこの人!(つまり少なくとも数曲は「代表曲」を作っている人)」の未発表曲をひばりさんで再現とかならまだしも。
――そうそう、 そういや、実家にて大晦日にリアルタイムで紅白見ていて、この「AI美空ひばり」が出てきた時に、「これは企画として好まない」 「まず(よくできてはいるけど)本人とはやっぱ違う」 「違和感がありすぎる」という点で、 珍しく、いや、本当~に珍しく、 家の父親と意見がピッタリ一致したのでした。(笑)
更に500歩譲って、作詞作曲「共に」、「一般からの」「公募」とかならともかく、かなあ。
間奏の「台詞部分」の文章も、御本人でないどなたかが後から考えて作って「言わせて」しまったわけでしょう?(ンな事、恐れ多くて自分ならできない。AIと言えども、美空ひばりさんの口から、自分が考えたセリフを言わせるなんて。)


お亡くなりになっても、まだなお「スター」であり続ける方がいる。
でもそれは、ある意味、「完結した物語」でもあると思う。
ちょっと想像してみて欲しい。――皆に愛され続ける名作、例えば、 「銀河鉄道の夜」でも漱石の「こころ」でも。
「ちょっと続きを書いてみた」っつって、「個人の趣味のパロディーとして」それを公開するのは別にいいと思うんだけど、それをあたかも 「正当・公式な続き」みたいな位置で、場所で、 公開するのはナシじゃないかなあ。
例えば、一つの販売している書籍の本編(本物)の続きに、 そのまま載せるとか、そういうことは。
「余興」や「おまけ」は、 あくまで「余興」「おまけ」らしくがいい。
まあ、これもまた只の「一個人の意見・感覚」でしかないんですが。


アニメとか、作者の方が亡くなった後も、放送が(スタッフが新たに新作台本を作って)続いているものとか、いくらでもあるけど。

でも、そもそもあれもまた、どんなもんなんだろう?
いいのかな??なんて私は感じてしまう。

私個人としては、その作者の方が御存命なうちに「目を通したうえで了承した」部分の作品だけ見たいかなあ。
(「作者の与り知らぬ新作」とは謳われていて、こちらもそれを知っていて、その上でも、完全には切り離せないというか、見てしまうと、どうしても新作に、頭の中の記憶が塗り替えられてしまうもんね。)