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「謎の集団的モヤモヤ」どうにかならないものか
無用な遠慮を、しかも誰もがして、 その結果、 誰も得してない、 むしろ皆が少しずつ損した。
……みたいなことって、それぞれの人が感じている以上に、つまり「皆が気づかぬうちに」、 実は多い気がする。
――そういう人生のエネルギーの無駄遣い、 もったいないので、いいがげんどうにか減らせないものだろうか??
あるいは、無意識下だが、でも無駄になっている事には本当は気づいている、ってのも、またよくある事なのではないかと。
が、しかし、気づいている事自体に変わりはないにもかかわらず、無意識下なので、「対処」っていう発想とか行動にまでは辿り着かないから、意味も訳も解らぬ「謎のモヤモヤ」に、場合によっては集団で、苛まれる。そして流され続ける。
とにもかくにも原因がわからずとも、「モヤモヤ」は「消していいもの」「消していこうとするもの」だと、共通認識できているほうがいい。
どうも、「我慢は何においても美徳」みたいな感覚の弊害が、ここに生じている気がするのだ。
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