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「差別問題」を喩える

例えば、
ある人が、サッカー部の3年生と仲が悪かったとして、でもそれだけで
「(自分と直接関わりがない)サッカー部の2年生も1年生も許さん、何なら奴らのほうにやり返してやる、下級生だし、うちの学校内では今部員数少ないから攻撃しやすいし。」
って言っている状態……みたいな印象を、一部の差別問題から受けたりします。

人を「束」にして見るのが、そもそもおかしいのだ。

どの集団に(たとえば例で言うなら「サッカー部」に)属していようが、 個人個人、考えはバラバラなはずだし、 バラバラでいいのだ。
人は「集団」である前に、 ひとりひとりの「個人」であるはずだ。――何故そこをすっ飛ばして考えるのだろう??

「束」にして見ると、「その人にとっての都合の良い束」にして捉えがちにもなる。


でも、人と人とが、「個人対個人」として向き合えば、
「人に対して、どうしてそんなことが言えるんですか?どうしてそんなことができるんですか?」
と問いたくなるようなことが、いろいろあるように私には感じられるのである。