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「素の自分」とは?

「物心ついた頃」の自分に、少しずつ戻りつつあるのかも? という気もする。
……といったところで、本当には戻れないけどな。(笑)

でも、小学校の中学年くらいから、 周りに「同調」「合わせる」という名の「顔色窺い」する事を覚え始め、 ――で、多分、自分はそれが得意な方だったのかもしれないな、とは思う。
別にこれまでの自分が 「本来の自分」「素」ではない、というわけでもないが、「同調」してきたその「周り」が、 全く別物だったら、 全く違う自分になっていたのか? (多分なっていたんだろう) と、思うにつけ、 「あー、自分って、 自分であってそれ程には自分でもなかった、のかもなあ??」 という感慨に浸っていたりもする。

以前読んだ村田沙耶香さんの「コンビニ人間」に、「その時期周囲にいる人に、その時期の話し方等が影響されてしまう」みたいな描写があって、それ読んだ時もふと同じ事が過ぎったな。
――でも、それでも頑なに影響されなかった部分はあり。
それが即ち「素」とか「本来の自分」とか、言われるものなのやもしれんよな。

引き続き、「外側視点」で、自分というものを、つくづく眺めてみたいと思う。