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必ず忘れてしまう些細なことも含めて

思い出せる事より、 思い出せない事の方が、自分の頭の中にたくさん蓄積されているんだよなー。
――いや、 「思い出せない」=「忘れてしまっている・無い」 ならいいんだけど、 そうではないからなあ。

たとえば、ぜーったい、思い出すはずのないような幼い頃の些末な事さえ、 何故かある時ふと理由もきっかけも前後の脈絡もなく、突然思い出されたりもするし。

恐ろしいけど、たぶん本当は、人間は「すべての事を、死ぬまで忘れない」んだと思う。(箱から自分の意思で自由には取り出せなくなるが、箱の中にはずーっとある、ということ。)


圧倒的多数の 「思い出せない事」 「もう思い出す事もない事」の記憶が、 この頭の中にもあるのかと思うと、 もはや「目に見えない宇宙」を イメージできるレベルである。
――「触われないけどそこにある」ことの方が、 個人の頭の中の事項では圧倒的多数、ということだ。

「もう思い出さない記憶」は、もう思い出す事もないから、 自分でコントロールする事はない。
……にもかかわらず、 自分に無影響なわけではないと私は思う。
だからこそ、「日々、何を自分の脳内に蓄積していくのか」(必ず忘れてしまうであろうささいなことも含めて)が、大切なのだろう。

記憶は、「後で全とっかえ」はできないからだ。


そうなのだ。

細胞はいずれ代謝で総入れ替えになるが、 心はそうはいかない。
(心が入れ替わったら、 数年で別人になってしまうもんな。――人が変わった「ように」はなり得ても、別人には決してならない。)

自分とは、 変わってはいくけど、 替えがきかない「これまでの自分の堆積物」なのである。


そして、「今」を生きると(「今」に照準を合わせると)、自然と、どんな過去も、何らかの「役立つもの」になってくるような気もまたするのだ。
さすれば過去は必ずある種の 「智恵」「参考情報」になるはずだから。


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