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エッセイ他

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長めの詩と、物語と、ポエムの延長線上にあるエッセイと。
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#私小説

恐怖していた、被害妄想だったとしても

恐怖していた、被害妄想だったとしても

 何だか知らないが疲れている。注意力散漫でさっきまで何をしていたかすぐ忘れるし、口の粘膜が荒れて口内炎が次々にできる。どこにも行きたくないし、何もしたくない。手持ち無沙汰になるとゲームをしたりYouTubeを流したりして何となく時間を潰す。停滞、あるいは縮退。途切れた道の続きを探すのも面倒で、快適でもないがそこそこ安全な藪の中にだらだらと留まっている。

 急に訪れた秋に鬱っぽくなっているのか、猛

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喪失をこれ以上知りたくない

喪失をこれ以上知りたくない

 ずっとペットロスを拗らせていた。今ではマシになったと言えるものの、乗り越えたと言えるようなものではない。死者の思い出を笑って話せる日が来るとはなかなか想像できない。

 ずっとずっと悲嘆している。人格の形成過程で悲嘆を中核に取り込んでしまった。

 八歳の時、三歳の頃から一緒に育った犬が目の前で野犬に噛まれ、手術も虚しく数日後に死んだ。次に来た犬は家の前に撒かれていた毒餌を食べて死んだ。生後一年

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社会性ないけど一人は嫌

社会性ないけど一人は嫌

 一人暮らしのアパートは壁が薄かった。

 話し声や足音はもちろん、ちょっとした生活音が聞こえてくることもあった。夜、現実から気を逸らすためにつけていた今時見ないような分厚いテレビを消し、ロフトの上に敷いた布団で横になっていると、誰かのスマホのバイブ音が静かに伝わってきた。

 顔も知らない上階の住人が帰宅する音に救われていた。同じ住処を共有する他人が戦闘態勢を解いて誰の目も意識せずに生活を営む気

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母を助けたかったんじゃない、母に助けてほしかった

母を助けたかったんじゃない、母に助けてほしかった

 もしも母が僕の背中に手を添えて慰めようとしてきたら、僕はその手を叩き落とすだろう。今更優しい振りをするな、もう騙されない、と。昔の母なら、せっかく気遣ってやったのにとキレ散らかすだろう。今ならどうかわからない。

 僕の反応は明らかに過剰だ。母は軽く手を触れただけ。非のないはずの温もりが過去を呼び起こす。僕は過去に怒っている。かつて表現することも持つことさえも許されなかった怒りを、胸の深い空白か

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忘れたい何かを取り戻す

忘れたい何かを取り戻す

 消し去ってしまいたい記憶も自分を構成する一部分ではあるのだから、忘れようとすれば心のどこかを切り離すことになる。

 夫を忘れようとしていた。そのことに気付いた時、身体に中身が少し戻ってきたような気がした。ランダムに形を変える模様のようだった景色が意味を取り戻そうとしているのを感じた。

 僕の生活の大部分は夫に紐付いていた。夫を忘れるためには、生活を忘れる他なかったのだ。

 ほぼ夫としか話さ

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産みたくない僕の話を聞いて

産みたくない僕の話を聞いて

「子供、欲しいの?」

 グレーのスウェット姿の彼はベッドに寝転んだまま「いてもいいかなと思って」と答える。視線はスマホの液晶の上を細かく上下し続けている。

「どうしてそう思うの?」

「んー、なんとなく?」

 彼は寝返りを打って、にへらと口元を緩める。

「こちらは産みたくないし、今の状況で育てていくのも無理だと思っています。子供が欲しいなら説得してよ。どうして子供が欲しいの?」

 彼はス

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あなたは死ぬまで知らなくていい

あなたは死ぬまで知らなくていい

 あなたを好きになりたかった。

 あなたを好きな私でいたかった。

 あなたを愛する見返りに、あなたに愛してほしかった。

 真冬の川に飛び込めともし言われたら、私は飛び込む覚悟があった。

 あなたを喜ばせるためならば、辱めにも耐えられた。

 あなたに命じられたなら、

 それが望ましいことなのだと、当たり前だと言われたなら、

 行間の期待を読み取りさえしたら。

 足を引っ張るわがままを

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