ジンとかのサワーみたいなのや、、黒麦酒の安酒や、そういうのはちょくちょく飲むし、梅のチューハイとか、要するに少し目はさまして飲みます。適度な感覚刺激をいれて、みたいな事かな。耐えられる程度の負担は掛けたりします。つまみというよりか、お茶を片手に。煙草は安いのにしときな香りなしの。
小林「詩というものも、考えが違ってきましたね。老年になりますと、目が悪くなり、いろいろの神経も鈍ってきます。そうするとイマジネーションの方が発達してきますね。昔はずいぶん受身でしたよ。向こうに詩がある。それがこの頃では次第に逆になりまして、私のほうからいろいろ想像を働かすのだな」
岡「わかるということはわからないなと思うことだと思いますね」小林「数学を長年やっていらしてこういうふうにいけば安心というような目途というものがありますか」岡「家康がもうこれで安心と思ったようなああいう安心はありませんね。だからそういう心配もすべきものではないと思っているだけです」
岡「言い表しにくいことを言って、聞いてもらいたいというときには、人は熱心になる、それは情熱なのです。そして、ある情緒が起るについて、それはこういうものだという。それを直観といっておるのです。そして直観と情熱があればやるし、同感すれば読むし、そういうものがなければ、見向きもしない」
岡「本質は直観と情熱でしょう」小林「そうだと思いますね」岡「批評家というのは、詩人と関係がないように思われていますが、つきるところ作品の批評も、直観し情熱をもつということが本質になりますね」小林「勘が内容ですからね」岡「…勘は知力ですからね。それが働かないと一切がはじまらぬ」