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読書メモ6「人間の建設」

数年前にこの本を読んで、人に勧めるも食指の動かない感じの反応ばかりで寂しく思っていたのだが、
最近知り合った人に勧めたら、すぐさま読んでくれて感銘を受けたと感想を話してくれた。

相変わらずマイブームだけで私の世界は動いているので、たまに立ち寄る本屋さんで教養が身につくなんちゃらを見かけて初めてブームを知ることになるので、知るころには終わっているのかもしれない。

私は数学に全く強くないけど関孝和と岡潔と森毅のお名前くらいは存じ上げていて、なんとなく好きなのだ。もちろんまるで彼らの研究などは分からない。凄さも分からない。「なんか偉い人」というより「なんか好きな人」の分類。

小林秀雄は実はまるで知らないで、この本に出会って読んだのだけど、
ああ、ふたりは出会えたことを深く喜んでる!
と一緒になって喜べた。きゃーきゃーいうものでなく、深い地下から水が湧き出るような喜び。

言葉にできて、文字になって本になったことなど本当はごくごく一部で、この対談に対しての喜びは、もしかしてもっと大きかったのではないかなと感じる。

言葉にできること、見えるようにできることなど、氷山の一角でしかなくて、
だけど、この人にわかってほしい、この人を知りたいというときに使えるものは言葉であったり、目に見えるものになる。
そのために、人は努力するのだろう。
手をつなぐために手を出すように。

非常に大きな喜びの、ごくごく一部を私たちが読める形にしてくれたことにお礼を言いたくなる。

人が、人に出逢うということ。

ここからの化学反応は、いつだって未知数。
自分がユニークな存在であることを理解する簡単な方法は
人と出逢うことなのかもしれないね。
しかも、たくさんの人と。

合う人もいれば、合わない人もいる。
単にそれだけ。
化学反応が起きなかった、ただそれだけ。
相手もユニークな存在で、自分も同じ。
そして、出逢えた時の喜びの大きさ、深さ。

教養を「身につけよう」として身につくものなどは雑学でしかなく
ないよりはあった方がいいかもしれないけれど
教養には程遠く、知識の量なのではなく、
自分の頭でどれだけ考えたか、
その分量だけが教養を形作っていくのだろう。

喜びと教養への憧憬が、この本には詰まってる、かな。

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