見出し画像

その27:女子剣道再考(中)

 昭和27年(1952)年10月、全日本剣道連盟が発足して女性の剣道愛好家が少しずつ増えてきた。それでも戦前から高野佐三郎先生の修道学院で修行した高野初江先生が、女性で初めて七段に合格したのは昭和41年(1966)11月(47歳)である。

 戦後の女子剣道発展を昇段状況に限ってみてみると、高野初江先生の後25年経過して平成3年(1991)5月、小林節子先生が2人目の七段に合格した。次に平成6年(1994)堀部あけみさんが3人目、翌平成7年(1995)桜木はるみさんと根本道世さんの2名と続いた。

小林節子先生は東武水明館々長柳沼鉄水先生の御息女で、若い頃から鉄水先生に北辰一刀流の形を習って成長した。桜木はるみさんは長崎県五島の名門馬場家の出身である。この頃の女性剣士は剣道家の家に生まれた人が多かったが、徐々に一般家庭出身の女性が増えて行った。

 平成23年10月15日発行の『剣道かわら版』に女性の六段・七段の登録人数が掲載されていた。それによると以下の通りである。

画像1

 平成22年から平成23年の六段・七段の人数が急増しているが、この1年間何があったのだろうか。このことを分析すると面白いと思う。そしてそれから9年後が以下の表である。この9年間も興味がある。

画像2

 昭和41年(1966)に高野初江先生が七段に昇段して55年が過ぎた。剣道の目的は段位取得ではないが、現実に女性の高段位取得者が増えていることは、女性がそれだけ修錬したことの証しである。

          *

問題提起 女子剣道の進むべき方向は・・・

 「古流は剣道の原点だ」と生前父は奨励していた。殊に、女性の皆さんは身体的な特性を考えると、形を学び足捌きや体捌きを覚えると良いと思う。しかし、古流は習う場所を探すことが難しいということもあるので日本剣道形を勧める。以前はいろいろな大会で演武されていたが、最近の大会ではほとんど見掛けなくなった。

画像3

 日本剣道形は江戸時代にあった500を超える流派の形の集大成である。しかし今や段位審査の直前にわずかな時間稽古するだけとなってしまった。肝心の剣道は競技剣道主体で、練習試合は毎週のようにやり、普段の稽古は勝つための練習で勝ち方を覚えるための運動と化した。学校のクラブ活動というのは大事な教育の一環で、「クラブ活動の目的」が学習指導要領に記されているはずだ。身体の強健・健康の保持増進ということでは充分かもしれないが、人格の形成という面は等閑(なおざり)にされているのではないかと思う。

人格の形成ということに関連すると思うが、小林秀雄・岡潔共著(対談形式の著書)『人間の建設』(新潮社)で知の巨人が放つ何気ない一言が的を射ていて、あらゆる分野に対しても説得力がある。岡潔先生が言う。

「いまの人類文化というものは、一口に言えば、内容は生存競争だと思います。生存競争が内容である間は、人類時代とはいえない、獣類時代である。しかも獣類時代のうちで最も生存競争の熾烈な時代だと思います。ここで自らを滅ぼさずにすんだら、人類時代の第一ページが始まると思います。たいていは滅んでしまうと思うのですけれども、もしできるならば、人間とはどういうものか、したがって文化とはどういうものであるべきかということから、もう一度考え直すのがよいだろう、そう思っています。人に勝つためにやるというような考えは押さえないと、(何事においても)そのおもしろさは出てこないですね」(pp.48)。

 もう30年以上前になるが、東京理科大学でも『理事長杯剣道大会』を開催していた。私は大会の実行委員長だったが、高校女子の試合途中に廊下の片隅で監督が暴力行為を行っていたので注意した。その時は止めたが私がいなくなるとまた始めたので、翌年から大会自体を止めた経験がある。あの時暴行を受けた女子高生は監督を尊敬していたろうか。クラブ活動で剣道を学び人格が形成されたと思っているだろうか。

          *

 平成22年(2010)、『新潮45』で阪神淡路大震災を経験したフランス文学者で合気道家の内田樹氏と「武道対談」を行った。結論は、かつての武術は相手を否定する技術だったが、今日の武道を「危機的状況から生き延びるための技術」と認識を改めることだった。では、危機的状況を生き延びるためには、人間としてどのような力が必要かというと、試合が強いとか、パワーやスピードがあるというレベルの運動能力ではない。筋肉や骨格の強さや反射神経でもない。危機に際会して一番必要なのは「胆力」なのだということを内田氏と確認したのだったが、翌年の平成23年(2011)3月11日に東日本大震災が起きた。日本という国は自然災害が多い国だなあと思う。危機的状況の中で「胆力」が発揮できただろうか。

私達は剣道を修行することによって、そういうものを普段の稽古や試合において少しでも培うことである。試合は普段の稽古の成果を試す場である。それには「三磨之位」が分かりやすい。正しい技を工夫し、稽古して、試合で試してみる、そしてまた工夫する、その繰り返しの中で「胆力」を養うのだ。

私事で申し訳ないが、母は晩年剣道の目的について、祖父の言葉を借りて以下のように言った。「『剣道を修行するのは、いざという時に心が動揺しないように胆力を養うためで、単に打ち合いを習うだけではない』と愛次郎お爺さんは言っていた。健康管理をしながら、休みなく剣道を続ける工夫を怠らず生きなさい」。

          *

 指導者の役目とは何だろうか。試合に勝たせることなのだろうか。毎日勝つための練習に明け暮れるだけで良いものだろうか。来年は全剣連発足70周年である。女性の高段者が増えたことは喜ばしいことだが、女子剣道はこれからどのような方向に脱皮して進んで行くのだろうか。これからは女性が独自に女子剣道を考える時代になったが、総合科学として捉えることが必要ではないだろうか。

令和3年(2021)3月21日

於松籟庵

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?