人間の建設 小林秀雄 岡潔

 小林秀雄は、批評家。岡潔は数学者。異分野を専門とする二人の対話集ですが、偉人二人のぴったり合致したある種の通奏低音のようなものが流れています。

 私が印象に残った部分をそれぞれ挙げます。

 岡潔では、自分の経験から確信したことを述べた発言が一番心に残りました。それは、ある二つの数学の決まりごとは昔から同時には成り立たないとされてきましが、この二つは同時に成り立つと、完璧な証明によって明らかになりましたというもの。しかし、数学者たちは証明に間違いがないことが分かっていても、感覚的に納得がいかなかったという例です。このように情が納得しないと、いくら証明が完璧でも、受け入れられなかった。そこから岡潔は、数学は情から始まると言います。また、岡は立ち上がって、この時に節の動いた数が1だ、と言います。私はこの本を読んで完全に数学の見方が変わりました。

 小林秀雄では、国語教育での暗記に関しての発言。この話は私の話を交えて言いたいと思います。小林秀雄は戦前の国語教育が暗記だったことが戦後に安易に否定されたことを述べ、国語は暗記が大切だと言います。この話を読んだ時、私はハッと祖母のことが思い浮かびました。89の祖母は戦前に教育を受けおり、今でも、小学校の頃に習った歌を歌ってくれることがあります。この前は、鎌倉の歌を私に教えてくれ、今度この歌に出てくる場所を巡ってみると良いと言ってくれました。こんな風に小学校で覚えた歌が死ぬまで、祖母に寄り添って、祖母の生活を豊かにしてくれてるのです。私は、学校であまり暗記をした記憶はありませんが、小学校入学前にに通った知育塾では文章を暗記した記憶があります。その文章は、芥川龍之介の「杜子春」と「蜘蛛の糸」と夏目漱石の「吾輩は猫である」です。だから私は今でも、この3つの作品の1段落までなら完璧に暗唱できます。しかも、もう昔から自分の中にあるせいか、この作品だけではなく、作者に対してさえ愛情を感じます。こんな風に温かい愛情を抱かせてくれるのも、あの頃必死に暗記したためで、そんなことを思うと、現代の国語の授業で、先生が批評を教えるという授業はいかがなものかと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?