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人間の建設/岡潔 小林秀雄


今回、大変失礼な表現になってしまっているかもしれません。小林秀雄ファンの方岡潔ファンの方、申し訳ないです(´・ω・`)‼️あらかじめご了承ください


さて

小林秀雄。

恥ずかしながら、何か分かりづらいチャンネルさんの動画で知りまして、ものっそい興味が出ました。

何か分かりづらいチャンネルさんの小林秀雄動画


何度聞いたことか分かりません。
自分に教養がないことが、よく分かる動画になっていて、この動画に出てくる作家の作品はほとんど読んだことないくらいのもんなんで、何十回聞いても、新しい発見があって楽しいです。
今現在、自分の教養の満たされ具合と興味がどこにあるのか、動画を再生する度に気になるキーワードが変わるので、指標になるようなそんな動画です。

で、小林秀雄を論じた動画を探してたところ見つけたのがこちらの動画。

スケザネさんの人間の建設 解説動画


この方は、この本で自分の教養具合を読む度に確認しているようです。
重要なポイントを要約されていて、しかも好意的に解釈されていて聞いていて気持ちがいいです。オススメ

ということで、僕の感想をばいってみようじゃないかと、思います!

本日のお品書きッ!!


この本は、岡潔さんと、小林秀雄さんの対談を文章にしたものです。
小林秀雄さんの対談動画とかを聞いてみると、小林秀雄さんは、相手の言っていることを先読みしすぎた結果、12歩先くらいの結論をバン!って言っちゃうような人だから、なかなか会話が成立しない人のように思います。
一方、岡潔さんの講演動画なんかを聞きますと、表現が難解で何も分からない感じの人です。
分かりやすく語ろうとはあんまりしない人なのかなっていうイメージです。下向いてゴニョゴニョ。

そんなふたりの対談なので多分、多分なんですけど

岡潔さん、小林秀雄さんと目を合わせて喋ってない。


まず小林さん、初手で、盛大に滑ります。
「大文字の山焼きがあるそうですね」
から対談の様子が収録されているんですが

小林秀雄さんはそこから京都の景色とかから転じて、観光客の話を絡めて最近の人はどうのこうのと論戦かわそうとしていたのではないかと思うのです。が、岡潔さんに、人為的なものは好きじゃないと言われて、会話が終了します。ここは、端折ってもいいような箇所なのにあえて載せた所になんか含みを持たせている感じがします。
含みを持たせるだけで、意味はないのかもしれませんが、ここは凄い楽しめる場面だったなぁーと思います。
僕が思うに、対談をするに当たって、当然両陣営、準備してくると思うんです。で、話の流れも大体イメージして来るはず。徐々に本質の話から、日本人の本質へと話が突入していくので、小林秀雄さんがイメージしていたのは本質の話で、最近の日本人どうした?的な話に持っていこうと思ったと思うんですよ🤔
小林さんは、初手で出鼻をくじかれて、また長いこと助走をつける展開になっていきます。

個性の話


ひと口に個性って表現するの難しいですよね🤔
個性的な人。個性的な商品。個性的な生き方。

こうやって並べると普通って言葉の対極にある言葉のように思えてきますが、実はそうではないんだという話を、小林さんと、岡さんはし始めます。
両者、芯を打つような言葉をあえて使わずに会話していくので、ホントのところは分かりません笑
分かりませんが、僕は読んでいてそう思いました。

これ最近、僕自身よく感じるんですが

個性的とされ、評価されてる商品
個性的な、最近のJPOPなど

「皆さん!こういうの好きですよね!」

っていうのを感じません?
この、なんと言いますか、おい、お前ら、こういうの好きだろ!感が凄くて素直に受け止められないんですよね🫠

車の形も、歌の形式も、耳にするキャッチコピーや、本のタイトルも。最近流行っているもの全てに、何か根底に嫌なものを感じてしまいます。
これの原因は、僕がただ単に歳を食って、斜に構える癖のせいもあると思うんですが、何となく、社会から品が無くなったからなんじゃないかという気がするんです🤔
刺激だけ強くて味がしないというか。
うーーーん

最高食材を使って作った、
出汁の効いてない味噌汁。みたいなものが溢れてるような気がするんです。それが、60年前からそうだったんだ!って嬉しくなりました。というお話。です。はい。

具体的には、おふたりは、個性的な絵が減りましたね。と、個性を出そうとしすぎて個性がなくなった。と。個性は出そうとするもんじゃなくて、出ちゃうものなんですよと言ってるように感じました。

話がごちゃついてきたので、次の話題へ移りましょう

内向きなのか外向きなのか


先程まで個性について触れていきました。
個性の現れ方は、その人自信が内向きなのか外向きなのか、どちらに向けているかといったスタンスの違いによって周囲の捉え方は変わっていくんじゃないか。というお話をお2人がされているように思いました。

そして、私はアバタローさんのリルケの動画と繋がりました。



凄くいいお話。是非!
他人に親身になってアドバイスするとき、あとから振り返ってみると、全て自分に対応した言葉で紡いでいるなと感じることございませんか?
私は常にこれをやってしまい、自分の奥さんにウザがられておりますw

自分を表現しようとして出たもの。
評価される光景を思い描いて表現したもの。

結果として、同じ作品ができたとしても、評価は真逆になるような気がします。
表現者が内向きか外向きかの違いで、使う言葉は微妙に変わるし、言い回しも変わってくるだろうと。

この話を岡さんは日本国憲法にからめて、外向きの思考は、日本人にはあっていないんじゃないかという話をされているように感じました。

まとめ


このお2人の対談を読んでいて、日本国憲法が日本人に合ってるか合ってないかの前に、そういえば、日本国憲法って読んだことないやっていうことに気付かされました。
日本が平和だから、いままで読まなくても良かったのかもしれませんが、これを機に1度読まないといけないんじゃないかと思いました。
憲法を読んでからまた、この本を読み返したらまた違う景色が見えるのかもしれません。

あなたは日本がすきですか?

どうですかね?すきですか?
日本語は好きですか?

自分は好きです。好きなはずです。
ですがもし、私がキルギスに生まれていたら、何を思って何を考えてるんでしょうか。
自分がトルコに生まれていたら、何が好きな食べ物が違っていたんじゃないでしょうか。
そう考えると、自我ってなんなんですかね?


以上です。ありがとうございました!





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