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対話篇

10月27日に語学塾こもれびで行われるイベント「こもれびよりVol.3」のテーマが「数学は言葉」だから、ということもあって、先日から少しだけ、数学に関心を抱き始めている。
それによって、読む本のジャンルも少し、そちらに寄っている。

先日から読んでいるのは、批評家・小林秀雄と数学者・岡潔の対談集『人間の建設』(新潮社)。私の手元にあるのは2010年に出た文庫版なのだが、底本は新潮社版の小林秀雄全集のようだ。対談自体は、1965年に行われた。
ずっと前に買ってはいたのだが、本棚で眠り続けていた本だ。

これがもう、のっけからすごい。ちょっと引用してみたい。

小林 今日は大文字の山焼きがある日だそうですね。ここの家からも見えると言ってました。
岡 私はああいう人為的なものには、あまり興味がありません。小林さん、山はやっぱり焼かないほうがいいですよ。
小林 ごもっともです。(p.9)

岡氏、開口一番「山は焼かないほうがいいですよ」とはびっくりである。この後も、噛み合っているんだか噛み合っていないんだか分からない話が続きながら、気づけば深遠な議論が繰り広げられている、という不思議な対談だ。

話し言葉なのでなんとなく分かった気にさせられてしまうが、落ち着いて反芻してみると、実はよく分かっていなかったする。さらには、にわかには納得しがたいことが述べられたかと思えば、ストンと腑に落ちる部分もあったりして、なかなか読み方が難しい。

思えば、対話篇というのは面白い読み物だ。大学生の時に初めて手に取ったプラトンの対話篇もそうだったが、軽やかな語り口に乗せられて読み進めているとあたかも自分がその場にいるような錯覚を覚え、気づいた時には思考は高みに至っている…気がする。
小林と岡の対談もそうだが、話し言葉をほぼそのまま文字に起こしたものは、必ずしも隅から隅までが論理的な構成にはなっていないかもしれないが、グイグイと惹き込ませる魅力がある。今取り組んでいる仕事からもそれを実感する。

自分が実際に誰かと対話することもまた、新たな気づきがたくさん生まれて面白い(ただ、政治的・経済的な文脈で使われる「対話」はやや眉唾ものだが…)。
目下の悩みは、私の場合、自分の頭の回転が早くないので、専ら聞き役に徹してしまうこと。そんなわけで、仮に私と誰かの対話篇が作られたら、秋本は「そうですね。」を連呼しているだけになってしまうだろう。あぁ、悲しい。

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