日曜数学者 柚子
Chat GPTに入試を解かせてみて、その思考過程はどうなっているのかなどを書いています。
小難しいことは抜きにして、「見て楽しんでいただく」をモットーにした数学記事を集めました‼️
何歳になっても興味関心を失いたくない‼️ そんな思いで、小学校でしてた【自由研究】のようなことを、大人の今でもしています♪ また、実際に描いてみる、作ってみるというのを大切にしてます! 主に数学に関する記事です。
これまで記事で紹介してきた、私が読んで「面白かった」「役立った」と感じた本をまとめました。
数学中毒の私が、身の回りにあるものから見つけた数学を紹介している記事になります✨✨
こんにちは。 書いた記事も多くなってきたので、サイトマップを作成しました。 (最終更新日) 7月29日(月) なお、記事はビュー数、スキ数の観点で第1位~第3位を紹介していきます。 0 自己紹介 こんにちは。 私は、主に数学や教育についての記事を書いております。 私はとても数学が好きで、社会人になって数学検定を受検するくらいです。 しかし、受験のように「ただ公式を覚える」というのは大嫌いです。 「ただ覚える」だけなので、数学嫌いが量産されているよう
1 穢多の印を探そうとする民衆 主人公の丑松が穢多だといううわさが広まっていくのですが、丑松は見た目が貧相でなかったり、学力があったりと、民衆の穢多の印のひとつにも当てはまりません。 そこで民衆(主に同僚の教員)は、穢多に多い名字など、印を探そうとします。この描写は、現代の部落差別と同じだと感じました。 現代でも、他人のルーツを探り、出身地や職業などで差別するのが止みません。具体的には、鳥取ループの部落地名総鑑復刻版事件(※1)や教師の部落差別(※2)などがありました。
1 書籍の説明2 感想 この物語は、明治初期に解放令が出されて以降も、一向になくならない部落差別の実態がよく描かれています。被差別側(マイノリティ)の丑松の視点で物語が進んでいくので、その当時の差別の実態がよく分かります。 私が読んだのは、部落出身であることを「隠せ」と遺した父の言葉と、部落出身で自らの出自をカミングアウトし、本を通して部落差別の問題を世の中に訴える猪子蓮太郎の姿勢の間で葛藤する丑松の場面までです。 この中で当たり前のように描かれるのは、変わっていくの
1 世界人権宣言より2 権利を学ぶ教育は嫌がられる 権利を学ぶことは人権教育です。自分たちにどのような権利があるのか知ることで、不当な扱いを察知したり、必要な機関にアクセス出来たりする。 人権教育は、人権を尊重しようとする個人の主体性・内発性を育むこと(道徳の授業で主に行われる)に重点を置いて行われているように思います。 でもそれでは、人権問題を個人的な、私的な領域の問題に矮小化してしまっているという指摘もされています。 それでは人権問題は、解決しません。 学習者
1 広島県知事あいさつを視聴して 私は、角国の要人が参加しているこの式典で、県知事としてこのように訴えるあいさつができるのは、とてもすごいと思いました。 あいさつにもあるように、核軍拡によって製造された核兵器はいずれ使われる可能性が高い。だからこそ、核軍縮が必要なのだと思いました。 2 こども代表 平和への誓いを視聴して 「願うだけでは、平和はおとずれません」。とても考えさせられる言葉ですね。 教育の現場にいて、平和教育といったとき、戦争当時の悲惨さや苦しみを、日記
1 観るきっかけとこれまで観なかった理由 前回の記事にも書きましたが、私は最近「人権」にとても興味をもっています。その「人権」が当たり前のように踏みにじられるのが「戦争」です。私は最近3本の戦争に関する映画を観たり、NHKなどが配信している戦争のドキュメンタリーを視聴しました。 そのため、「平和」ということにももちろん興味が湧きました。そこで、8月6日に行われた広島平和記念式典を観るに至ったのです。 なぜこれまで観なかったのか。 それは、無関心だったからです。 も
私は映画がとても好きで、大学のときは近くにあるレンタルビデオ店で毎週数本借りていました。 A級、B級問わずに観ておりました。 しかし、どうしても観るのを躊躇ってしまうジャンルがありました。 それは、「戦争」です。それはこの年齢になるまで躊躇い続けてしまいました。 なぜ躊躇ってしまうのか。自問自答してみると、その映画の中に描かれた当時の日本人の悲しみや苦しみを、他の映画と同様に一種の娯楽としては消化しきれないからだと思います。 私の祖父母は、戦争を経験しています。
教育に携わっている私が未来のために取り組みたいことは、教育を通して豊かなアンテナを創り、自分でも創り続けたり、磨き続けたりできる子どもたちを育てることです。 最近、部落差別についてよく調べています。マジョリティ(多数派)が差別する理由について研究している阿久澤さんによると、マイノリティ(少数派)を支援する特別措置を講じると、「逆差別だ」「特権を得るために、そんな活動をしている」という発言が見られると報告されています。 このような発言がなぜ噴出するのだろうか? 1
久しぶりにサイトマップを更新いたしました。 もしお時間ありましたら、ぜひ一度訪問くださいませ♪ https://note.com/yuzu_mathlove/n/n9a808fc7948a
1 こんな発言、ありませんか? ある授業に、全員に向けて宿題が出されたとします。 でも、発達障害をもつ生徒に対して、教師から宿題の質や量を変更したとします。 そのとき、「いつもあの子は宿題の量が少ない」と反発の声が上がること、ありませんか? 2 考察してみた 以前の記事にも書いてますが、最近「同和問題」「部落差別」について興味があって、関連の書籍を読んだり、講演会に赴いたりしております。 その中で、上の発言とよく似ているな~と感じたものがあります。 それは、
1 科学的知識を得る必要性 科学が発展していない時代、雷がなったら「神様が怒っている」と信じられていました。 また、「血や死に触れると、ケガレる」と信じられて、そのような職業に就いていた人々は差別されてきました。これは伝染病蔓延を防ぐためだったと聞いたことがあります。 ですが現在雷は、「空気中の氷の粒同士がぶつかり合って静電気が発生して、地上との電位差で起きる現象」と科学的に分かっています。 「血や死に触れる」についても、どのようなウイルスがあって伝染病が引き起こさ
1 夏休みの宿題の量 もうそろそろ夏休みです。 それと同時にやってくるのが大量の「宿題」 例えばこんな感じ。 1 業者が出版している「夏の生活」 2 5教科のプリント集(各教科10ページほど) 3 5教科のワーク 4 技能教科の課題(プリントや製作など) 5 漢字帳、英単語帳の反復練習 6 日記(小学校) 7 自由研究 明日が修了式の学校がほとんどなので、このような課題を大量に子どもたちはもらってきます。 これ、どうやって終わらせますか? 2
最近考えている部落差別。 「そっとしておけばなくなる」「私の周りで、部落の人なんていない」という、いわゆる「寝た子を起こすな論」 この考えは、現代的なものなのだろうか? 実は昔から部落の歴史や実情、出身であることを「隠す」か「顕す」かという考えは対立してきた。 今回の記事は、その歴史をまとめてみました。 1 歴史1901年 柳瀬 頸介 「社会外の社会 穢多非人」 顕す この本では、ゑたの名称の研究などが載っている。 1904年 島﨑 藤村 「破戒」 顕す
1 数学の学習は、進めていくと新たな概念の追加を要求される・ 「1」の概念の追加 数「1」は、様々な捉え方があります。 ・物を数えるときの最初の数 ・物を並べたときに順番を数える最初の数 ・0の次の数 ・比を考えるときの単位 などが挙げられるでしょう。 また高校になると、極限の形で「1」を捉える考えを学習します。 小学校から認識していた「1」の概念に、新たに追加を要求されます。 でも、このことは、あまり抵抗なく受け入れられるでしょう。 ・ 数の概念の追加
思考メモ 「平等」を維持するには、「不平等」を探さないといけないのだろうか? ただの差異を「異形」に変換しないといけないのだろうか? そうは思わない。 でも言語化できない😭
1 特性方程式とは 例えば、次の式で定められる数列$${a_n}$$があります。 $${a_1=3 , a_{n+1}=3a_n-4}$$ この数列の一般項を求めるとき、$${a_{n+1}=3a_n-4}$$の$${a_{n+1} , a_n}$$をそれぞれ$${α}$$と置いて、一次方程式を作り、解を求めます。 この特性方程式を解くと、$${α=2}$$が得られます。 このことから、 $${a_{n+1}=3a_n-4}$$ は、 $${a_{