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#わたしと海

with ヤマハ発動機

人気の記事一覧

一人旅で宮古島に行ってきた話

奄美大島のちょっと苦い思い出昨年は二回、奄美大島を訪れた。かつての恩師から「とてもよかった」とお勧めされて気になっていたからである。「せっかくなら綺麗な海に潜ってみたい!」そう思ってスキンダイビングツアーに参加したものの、耳抜きなどのスキルが皆無なので、水面に浮くしかなかったのであった(無謀)。サンゴや魚が水深2m以上~群をなしているが、あまりにも遠く感じる。戯れるとかできない。しかも、普通に波が高くて、海がちょっと怖かった。島の落ち着いた雰囲気が大好きだけれど、その一点だ

桜散る海を

桜の花びらのようだとも、ピアノ教室の先生の綺麗な爪のようだとも思った。 私の母、祖母の実家は海辺の小さな村落にある。すぐ近くに遠浅の砂浜が広がる、曾祖母の家に遊びに行くのが幼い頃の楽しみだった。 海風に吹き上げられた細かな砂が、そこかしこに散る土間でサンダルを履き、古い木造の家から浜辺に向かって駆け出してゆく。 浜までの家々の軒下には青い網が広げられ、そこには釜から茹で上がったばかりの真っ白なシラスが干されていた。 そういった家のおばさん達はいつも忙しく立ち働いていたが、

あなたの「海の思い出」を教えてください!お題企画「#わたしと海」で募集します。

私たちの記憶や思い出に、彩りを添えてくれる「海」。いまの季節、海水浴やマリンスポーツの計画を立てたり、水平線や心地よい波音を味わいに海にでかけたりするひとも多いのではないでしょうか。 夕日が沈む海の景色、海の家での一期一会、友人や家族とたのしむスイカ割り。きっと海で過ごした時間は、みなさんにとって特別な時間になっていたはず。そんな海との思い出や、海への想いについての投稿を「#わたしと海」で募集します。 コラム、エッセイ、写真のほかにも、マンガやイラストなど、形式は問いませ

17年前に2秒見えた海を探す

17年前、海が2秒見えた。 あの海の記憶大学進学のため上京したのは、2006年の3月。山々に囲まれ育った18歳の僕は、さらなる刺激を求めて、東京行きの新幹線に乗り込んだ。予想もできない未来が待っている都会で、新しい人生が始まるのだ ー そう意気込んで列車の座席についたはずが、気づいたら涙を流していた。 過疎化の激しい田舎から出るということは、もう一生ここで暮らすことがない、ということを意味していた。その事実が、意外なほどに僕を悲しませたのだった。新大阪発・東京行きの「こだ

海にまつわる思い出やエピソードを集めました!ヤマハ発動機×noteで、特集「わたしと海」を開催します

ヤマハ発動機に協賛をいただき、8月6日までの期間限定で特集「わたしと海」をはじめます! 今年も夏がやってきました。海好きなひとはもちろん、そうでなくても、夏の到来とともに海へでかける予定をたてるひとは多いのではないでしょうか。 この特集では、noteに寄せられたさまざまな「海」にまつわる投稿を紹介していきます。 寄稿作品特集開催にあたり、伊佐知美さん、岡田悠さん、あかしゆかさん、佐渡島庸平さんに、それぞれの「わたしと海」について寄稿いただきます。 また、ヤマハ発動機のno

サファイア

初めて惹かれたのは 深い海のような石だった その深さゆえ 引き込まれそうな 気持ちになった 幼い頃 船の上から ずっと見つめていた 海の色 白い泡に縁どられ 船の進行に合わせて 幾度となく波打つ 海の色 サファイアは 冷静さと明晰さを与え 憎悪を静めるそう その時はきっと そんな石のパワーを 私ももらいたかったのかもしれない

素潜りから始まった内面との向き合い

ぼくがそのチラシを見たのは、ションベンをしてる時だった。 大学に入って、2ヶ月ほどが経ち、サークルの勧誘も、もうなくなっていた。トイレの壁には、誰も剥がす人がいなくて、汚くたくさんのチラシが貼られたままだった。どのサークルも新歓の時期は終わり、今さら入ることはできない。 高校時代は、すごく本気でテニスをしたことがプライドになっていた。ぼくのいた学校ではほとんどの生徒が、2年生の秋には部活を引退する。秋に引退しなかったのは、ぼくと野球部の一人で、学年に二人しかいなかった。 ぼ

大好きな海 徳之島

父の仕事の都合で与論島に5年ほど住んでいたことがある。 小さな島で 周りは東シナ海 サンゴ礁の島なので ハブがいなかった。 よく父は妹と私を 海に連れて行ってくれた。 父は「晩御飯を取りに行こう♪」と言って 妹と私を 家から5分ほどの 海に連れて行ってくれた。日中は暑いので 夕方 浜辺に降りた。 真っ白な砂浜を父を先頭に 父が足で砂浜を掘っていく そのあとを 妹と二人で貝を探しながら ずーっと岬まで 歩いた。 砂浜は夏の暑さを残して 熱く 岬に着くころにようやく ひんやりし

渚に重なる記憶

社会人になって初めての夏に、同僚の男4人で海に遊びにきた。 全員彼女はおらず、女っ気もない。 海に行けば、水着の可愛い女性と知り合える。 そんな淡い期待を持っていた。 水着に着替えてビーチに立つと、自分達の肌の白さが際立つ。 この場所には、黒い褐色の肌こそ相応しい。 だが、全員が痩せ細った体のため、例え日焼けサロンで焼いたとしても、カッコ良くは見えなかっただろう。 私達が訪れたビーチには、たくさんの女の子が遊んでいた。 だけど、シャイな私たちは声をかけることが出来なかっ

あの海を越えた先に、出会いたい未来があると思えるから #わたしと海

*** 長い旅をしている間、ずっと海のそばに居たいと思っていた。 たとえば、モロッコの砂漠に向かう道すがら、どうしても海が見たくなって、衝動的にスペインの海岸線に進路を変えたことがあった。 クロアチア国内を北上する時は、地元の人にどんなに「陸路の方が早いわよ」と言われても、船でドゥブロブニクからプリトヴィツェ湖群国立公園まで辿り着くために、海路を選んだこともある。 島が丸ごと世界遺産のマルタ共和国に1ヶ月滞在した時は、とにかく時間があれば四方八方に広がる海に出かけて、

百年後に地球はあるのか?十年後人間は海で泳ぐことが出来るのか?

とある東南アジアの国の出張先で、乗ったタクシーが急に海岸付近に止まる。助手席に置いてあった大きなビニール袋と珈琲の缶を持って海へ向かうと手ぶらで戻ってきた。 「どうしたの?」 と聞くと、 「海がゴミを綺麗にしてくれるから捨ててきた」 と曇りのない表情で応える。 「えっ?海に捨てたゴミがどこに行くかわかってますか?」 と思わず聞き返すも、 「海が片付けてくれる。」 と彼は答えた。 ………… 北国のとある田舎町の病院で働く友人の医師が言う。 「白血病の罹患率は1万人に数人のはず。

#わたしの旅行記 高校生の時、写真の課題でクセ強な友達とふたりで三宅島に行った話

私には忘れられない夏の思い出がある。 長文になりますが、よかったらお付き合い下さい。 高校の三年間デザイン科で勉強していたのだが、確か二年生の夏休みの課題で写真があり『夏をテーマにした写真を撮り、一枚のボードにまとめて発表する』という感じだった。 学校からカメラを借りられたが、私は父親の全く使っていなかった古い一眼レフカメラを借りて授業を受けていた。 自分で撮ったフィルムを現像して、写真が浮かび上がった時の感動は今でも忘れられない。 ウチの高校はスパルタで一つでも課題を

海の日、そして夏のある日

海の日、朝一番に外へ出る。すでに暑く空は青かった。こんな朝を子どもの頃に迎えた記憶がある。 なんだかある日から空気が違う。梅雨の蒸れた空気を押しやって暑いが「カーン!」と乾いた空気がそこにいた。 母に「行くよ。」と言い残し、ひたすら南に向かって自転車を漕いだ。愛知県渥美半島の太平洋岸にいつも一人で向かった。豊橋市内を走り抜け、旧陸軍の高師原演習場だった高師緑地の脇を抜けて豊橋鉄道の踏切を横断する。梅田川を渡った辺りから建物らしい建物は無くなる。冬のそこいらは一面がキャベツ畑

海を愛する会社には、海を愛する仲間たちがいます

みなさんは、海が好きですか? 海で、どんな過ごし方をするのが好きですか? 忘れられない海の景色や思い出はありますか? オートバイメーカーとして広く知られる私たちヤマハ発動機ですが、じつはボート、水上オートバイ、船外機(ボートの外付けエンジン)といった「海」に関する製品もつくっています。そして、その製品を開発し、製造し、お客様にお届けする社員には、海を愛してやまないメンバーが沢山います。 ヤマハ発動機公式note「海の時間です。」にてお届けしているマガジン「私が海を愛する理

準備は完璧、だが抗えないこともある話。

やぁ、そろそろ来る頃だと思っていたよ。いらっしゃい。 日差しが強いと焼けるよね。 日焼け止めは塗ってるかい、時々塗り直さないとまた焼けるよ。 肌だけでなく、目だって日焼けするんだって。 色々ウェブサイト見ていると、結構これが良くない症状に繋がるらしい。 日差しが強い時はグラサンしなきゃね。 夏休み。 暑い日が続いているが、いかがお過ごしだろう。 今日はいつものような人をテーマにした考察記事じゃないんだ。 私が日常感じた事を徒然記事にするのが青枠。 ちょこっと学びの

はじめまして🌸

みなさま、はじめまして🍉 六花(りっか)です。 ずっと気になっていたnote。 ついに始めてみます👏 ITメーカーに勤める20代。 とにかく食べることが大好きで いやなことも忘れられる。 そして、その食べたものを 思い出しているときも幸せ・・・☺ そんな思いを充たすために 思い出とともに 書き残していきます📝 主な出没先は北関東甲信。 仕事の合間に食べたもの 休日食べたもの いろいろ書いていきます👏 基本的に自己満ですが もしかしたら 「どこで食べようか?」 と思

近いようで遠くて、遠いようで近い。 【Column- 潮気、のようなもの】

 埼玉県西部地区にある、拙子の自宅兼仕事場の最寄りのインターチェンジから高速道路を使うと、神奈川県の茅ヶ崎海岸まで1時間あまりで到着する。もともと海の近くに住んでいる人にとっては「それがどうした」という話かもしれないけれど、海無し県・埼玉、しかも西部地区の県民にとって、圏央道が八王子の先まで延びて、新西湘バイパスと繋がったときは、海がぐっと身近になった感があって喜んだ。   2015年頃の話だ。当時、家の近くの大型釣具店に入って釣り具を物色していたら、「もう海なし県とは呼ばせ

記憶の宝物

初めて夜光虫を見たのは、22歳の時だったろうか。 あれは梅雨が明けたばかりの沖縄の、本島からだいぶ離れた小さな島だった。 信じられないほど美しい海で一日思うさま泳いだあと、シャワーを浴び夕食を食べ、わたしたちは浜辺に散歩に出かけた。 誰もいない夜の海。 こちらに寄せてくる穏やかな波が、青くほの白く、発光していた。 波打ち際を歩くと、足あとがぼんやりと光った。 「夜光虫」という言葉も存在も知らなかったわたしたちは、とても本当とは思えないその景色に、しばらく言葉を失った。

ウルティマオンライン 黒熊亭読書の秋2023応募作品 「秋の海」

「海を、見たことはあるか?」 突然、聞かれた。 ない。 ただ、うちのそばにある池からは川が流れだしていて、海につながっているのだと聞いたことはある。 この世界は、大きな水たまりの上に木の葉が浮いているような造りになっているのだという。 すべての地面、島の周りには水があって、船にのればどこへでもいけるのだと。 「じゃあ、見に行くか」 海は遠いところにある。 家畜の世話を考えると、遠出は得策ではない。 朝、家を出て、夕方には帰って来られる場所じゃないと出かけるわけにはいか

しまなみ海道 尾道~今治 600kmのバイク旅行記

兵庫県からしまなみ海道まで、バイクを600km走らせて旅をしてきた4日間の記録。たくさんの写真とともに。 前々から行きたいと思っていたしまなみに、友人が居ることを知り、出発前日に行くことを決めた。キャンプ道具と着替えをバックパックに急いで詰める。 7月後半、梅雨明けで快晴だらけの天気も好条件だった。兵庫から岡山、広島に移動している間に、どういう旅にするかプランを練っていく。 バイクで渡れる主要な6つの島は巡りたい、友人のいるゲストハウスに泊まる、各島の山に登る、観光客が

ギリシャ①サントリーニ 白壁と青い屋根

サントリーニの景色を初めて見たのは、世界の都市がモチーフになったカレンダーだった。 以前記事にしたモン・サン・ミッシェルを見たのも、このカレンダーだった。 実家のリビングに掛けてあったカレンダーはとても大きなもので、海と空の青さに、白い家々がくっきりと浮かび上がり、その家の上にも青い屋根が乗っていた。 幼かった私は、1ヶ月の間、毎日その景色を飽きる事なく見続けた。 そして、その1ヶ月が終わると、紙が破れないように慎重にその1枚をカレンダーから外し、ポスターのように自分の部屋

7月は海水浴 #虎吉の交流部屋初企画

夏といえば海水浴。 だが、かれこれ15年は行っていない。 息子が小さかった頃は、毎年1回は、海水浴場に行っていた。 ビーチパラソルを車のトランクに積んで、 ウキワ、ビーチボール、空気入れ、バスタオル、水着、着替え、冷たい麦茶を入れた大きな水筒を大きなレジャーバッグに詰め込んで。 その頃の海水浴場は、シャワー、更衣室、トイレ、焼きそばやかき氷、貸出用パラソルやござも、大体用意してあった。 ただ朝早く家を出発しないと、駐車場も含めていい場所がとれないから、 早朝に車で、9時

シャチと国後島、黒いリュック①

クルーズ船が動き出した時、目の前に座っていた彼は、いつの間にか船外にいて、リュックは置き去りになっていた。 初めての道東一人旅。 一番の目的は野生のシャチに会うことだった。 幼い頃から父の影響で海洋生物が好きになった私。水族館でシャチに会うことはできたけど、海を悠々と泳ぐ、自然でのシャチをいつかこの目で見たいと思っていた。 予定の時間に、私は緊張しながら一人船に乗り込んだ。 どの位置がベストなのかわからない。 「とりあえず2階に行こう」 そう思って階段をのぼった。 何となく

わたしと海

 海沿いの街で生まれました。  家はさほど海に近くはなかったけれど、どこかでいつも海を感じながら暮らしていました。  昨夜オーディブルで宮本輝さんの『幻の光』を聴きました。  海沿いの街に移ったヒロインが、海鳴りについて独白しているシーンがあって、私は自分が暮らしていた東北の町を思い出しました。  日中は何も感じないのに、夜になると轟轟と海鳴りが聴こえていました。   とても静かな町で、日中もほとんど人も車も通らないのに(夜は大きなトラックが頻繁に走っていたのに)海鳴りは

マヤカシの海。

一目惚れだったな。 湘南の海で、微笑みかけたの。 サーフボードを片手に、彼は誰よりも輝いてた。 背景にきらめく波よりも一層と強く。 思ってもみなかったな 微笑み返してくれるって。 2人で抜け出して見た、穏やかな夕方の瀬戸内海。 色々な青のグラデーションを作っていた波、覚えてる? すっと落ち着いていて、静かに包み込まれるよう。 気付かないうちに、するすると流れていく時間。 ずっと続いたらいいのに。 遠くの方に船があって、一緒に冒険したいなって思う。 夕日が静かに

海の色

冬から春へ変わっていく 海の色を見ていくのが 好きだった そう、彼女は言った 私の知らない彼女のこと 私の知らない彼女の 好きなもの 私はいったい 何を見ていたのだろう あんなに長く側にいたのに 私の知らない彼女は まだたくさんいるのだろう 私もね この海の色が好きなの 冬から春へ季節が移り変わるように 私たちの関係もまた 変わっていくのかもしれない でもそこにはきっと 確かな情愛があるのだと思う 生まれてからずっと 誰より近くにいた あなただから #みんな

わたしの街には海がない

わたしの街には海がない。海を見るには、隣の県にまで行かなければならない。「海派? 山派? 」なんて質問を時々耳にすることがあるけれど、その質問おかしくない? だって双方のスケールが違いすぎて比較対象にならなくないですか? と思っているわたしは当然海派である。海なし県で生きるわたしは、海に並々ならぬ憧れを抱いている。 わたしにとっての海体験はいつだって特別だった。 初めて見るわけでもないのに、海を見ると、いつも信じられなかった。 見える範囲ずっと続いている。切れ目も境目もない

逗子の海を泳ぐ

トライアスロンでは海を泳ぎます。ハワイ、スペイン、デンマーク、スゥエーデン、オーストラリア、フィリピン、タイ、中国、韓国、ベトナム、台湾、仙台、福島、佐渡、伊豆大島、新島、沖縄….。 色々な海を泳がせていただきました。海はどこかつながっているはずなのに同じ海はありませんでした。 国や場所によって違いますが、同じ場所でも季節、その時の気象状況によってまったく別の顔になります。 4月に泳いだ逗子を8月に再び泳いできました。 海水浴シーズンで、海の家やマリンスポーツを楽しむ

#わたしと海

音楽を聴きながら書いたので 流しながらお読み頂けたら幸いです。 拓郎の元気がない どうしたんだ?と尋ねても いつもは悪態付き合う関係なのに 俯いたままだった ふとキャンパスの方をみると 拓郎が想いを寄せていた人が 別の異性と明らかなマーブル模様 あーはん。失恋したな それ以上尋ねることもなく ただ一緒に 帰り際食堂にいって飯を食った。 貧しい学生にとって 安いレトルトのカレーは最高だった 普通に食欲のある拓郎に少し安堵した 拓郎の家にいき なんとなくだけど 彼の所

詩 | 接岸日誌

気持ちが落ちつかないとき 海がわたしを呼んでいる くよくよ悩んでないで あたしのもとへ来なさいと 道はどこにでも繋がってるから 同じ場所に佇んでないで あなたのまわりに広がる世界を 眺めてご覧なさいと 甘くてやさしい言葉に なんとなく いざなわれて なにも持たずに 海辺にやってきた 夏の少しかすんだ海をみて わたしの目の前には 広大な世界が存在することを いまさらながらに知る ただ水しかないあたしをみて! あなたの悩みなんて 大海の一滴にしか すぎないのだからと 海

車で片道6時間半、子どもの頃の私に逢いにゆく

「今年も絶対ぜーったい、牛深の海に行きたい!!」 誰よりも目を輝かせてそう訴えてくるのは、息子ではなくまさかの夫だった。 「え……こ、今年も行くのかい?」 タジタジな私をよそに、息子たち二人も「行きたい行きたい」の大合唱。 「牛深の海」とは、熊本県天草市牛深町にある「茂串海水浴場」のことだ。ウミガメも現れる美しい白浜。そこのすぐそばには、私の祖父の家があったのだが、老朽化のため数年前に取り壊し、更地になっていた。 思い出深い大好きな場所。ただ問題は距離だった。今住ん

海の日氷見さんぽ

ようやく7月の三連休。しかも天気は晴れー! ということで今回は富山県の氷見にやってきました。 前回の富山さんぽから日を開けず、再び富山へ舞い戻ってしまいました。だって富山のお寿司が美味しくて、また食べたくなっちゃったから……… 以下、氷見の一泊二日旅行の模様を写真多めにお届けします。

夏の頂点

白い龍  鎌倉の海のそばに住んでいる。海まで散歩に行くのが日課だが、大暑を過ぎてからはあまりの暑さに外にでることがままならず、家に籠って隔離生活みたいな日々を送っている。  ふとカーテンをあけて窓の外を見やると、見飽きた真っ青な空に見たことのない縦に長い太い雲が、白い龍のようにうねりながら天までまっすぐ伸びていた。ついに空にひびが入ったのかと思うような、東西をまっぷたつに割ってやろうとしているようにも見えた。こんなに目が覚めるほど垂直なものが空に浮かんでいるのを、今まで一

青い海に満月が浮かぶ国 パラオ

見出し画像はダイビングでの写真ではありません。 ダイビングはしたことありません。 これはパラオ素潜りの記録です。スモグラーです。 パラオは日本と時差がない。すごくいい。 直行便で約4時間55分。結構日本から近いけれどあまり知られてない気がする。 今あまり直行便はないのかな?でもグアム経由で行ったって楽しいからいいと思う。(時間に余裕があれば) ということでパラオの旅の記憶を綴っていきたいと思います。 パラオの国旗がまずステキ。 パラオの国旗をお土産に買ってきた

青と翠を湛えた式根島は、自然の宝箱だった

週末に、東京の伊豆諸島の一つである式根島に1泊2日友人と行ってきました🏝 金曜日の夜に東京竹芝から夜行船で出発。 旅のスタートです。 夜の東京湾はとても綺麗でした。 そこから10時間近く。座席は寝台型を取っていたので、朝までよく眠りました。 明け方に船のアナウンスで目を覚ましました。 朝の8時半ごろに式根島に到着…! 【海】エメラルドグリーンの海に泳ぐ魚たち まずは海水浴場…! 有名なはまぐり型の柏海水浴場へ。 上から海水浴場を見下ろすと絶景で思わず声が出てし

葉山へ弾丸旅行しました!

いつもありがとうございます。 株式会社SURFの鈴木雄登です。 2023年も下半期に入り、8月が近づいていますね。 早いものでお盆休みの時期に来ていますが、皆様はいかがお過ごしでしょうか。 私は定期的に都内から離れたエリアへ遠出をするようにしているのですが、今回は予定を決めず弾丸で葉山に行ってきたことを書こうと思います。 ~旅行に行くことを決め、すぐに準備をして葉山へ!~ 今までは自分一人で遠出していくことが多かったですが、少しアプローチを変えてみて少人数ですがスタッフ

夕陽の残像

あの素晴らしい海をもう一度な話し。

閲覧ありがとうございます。暑いですね! 暑中お見舞い申し上げます。今日は、夏ということで、「海」にまつわる思い出を書いておこうかなと 思います。 読んだ方に、誤解を与えてしまっては、いけないので、二回くらい書いておきますが、 わたしは、沖縄が大好きです。 わたしは、沖縄が大好きです。 二回くらい書いたので、わたしの本心は解っていただけたとして、書いていこうと思います。 わたしが学生のとき、仲良しの友人と2泊3日で 沖縄旅行に行こうという話になりました。別世界の海が見

詩 | わたしと海🌊

世に背を向けて 私はいま 水平線を見る 海の青と空の白のほか 視界に入るものはない 遠くに見える船に人を感じず 近くを飛ぶ海鳥に人を感じた どこを飛んでもいいのに 広すぎる海に呆然とする しかし やっと見つけた陸地には 居場所なんてない 今日も海鳥たちは 海と陸の際に生きるわたしと同じ

阿嘉島で碧に囲まれて

那覇の泊港から高速船で約1時間、阿嘉島に行ってきました。 まずは初日、お隣の座間味島を散策。 島らしい小雨が降ったりやんだりの天気だったけど、さすがの景色。 昼食はふらっと入った「かふーし堂」さん。 古民家を改修した、というか一体となったお店のテラスで沖縄そばをいただく。 古民家側に泊まることもできるらしく、宿泊していた常連さんと話しながらご飯を食べた。 (島に来てすぐのキョロキョロする姿を見られていたらしい) 食事を終えた後は、村内の連絡船で阿嘉島へ。 座間味島も

南米エクアドル~ガラパゴス諸島~イザベラ島の海と孫たち 婆ちゃんの仮想旅行(1)

いつもありがとうございます。⬆の写真は、ガラパゴス諸島です。 イギリスの長女一家は夏期休暇で今南米エクアドルに滞在中です。 スペインで乗り換えして行き、日本との時差は14時間だそうです。 長女一家から写真とコメントが添えられて送られて来ます。 何だか自分も行ったつもりになり 送られて来た写真を見て仮想旅行を投稿してみようと思います。 日本の夏はもの凄く暑いですね。 エクアドル=スペイン語で赤道と言う意味をご存知でしたか? 赤道直下の南米エクアドルの国は、いった

ブロンズ色の砂浜

デッドエンドを生で聴いたら泣いてしまう

いつからか歌詞カード片手に音楽を聴くことがなくなった。 今では少数派となったであろう、好きなバンドの新譜が出ればCDを購入し続けているリスナーにも関わらず。 それでも今回の「Nautilus」、SEKAI NO OWARI通算7枚目のアルバムは歌詞カードで必死に曲を覚えようとするぼくがいた。 デッドエンドのせいだ。 初めに聴いたときは「サビの語尾を切り上げる感じとか曲調がBUMPっぽいなぁ〜」とかいう浅い感想だったが、何度も聴き続けるとサビで涙が出るほどぼくの感情と共鳴し心

かつて人魚に憧れたわたしと映画「リトルマーメイド」

いつからだろう。 水や魚が好きになったのは。 幼少期、家庭用ビニールプールやお風呂にて、腕を通す用の小さい浮き輪に両脚をつっこんで尾ひれに見立て、1人人魚ごっこをして大層楽しかった記憶が朧げにある。 今思えば、水深さほどもない水の中で、びっちゃんばっちゃんと跳ね続ける絵面は、完全に釣りあげられた魚である。 また、プールに行けば、息の続く限り底に潜った。 頭上にゆれる水と煌めく光の筋を見上げては、海からの景色もこんな感じだろうか、とうっとり眺めるのが好きだった。 人間か

海の写真、だして

毎週月曜日は旅の記録を書いています。今日は、海の日です。海の日に因んで、海の旅を書こうと思いついたのですが、つい先週に海のそばの水族館の旅について書いてしまいました。 そこで、Googleフォトの検索窓に「海」と入力して抽出された写真から、何枚か紹介していきたいと思います。 室戸岬の写真。高知県は広くて、車で海岸線を移動しましたが、半日では半分も走れませんでした・・。魚が美味しくて、芋けんぴがおいしかった思い出・・。高知県は、有川ひろ「県庁おもてなし課」を読んで、僕も錦戸

生まれたいと願って、今ここに生きてる♡

昨日も朝から 近くの自然溢れる 落ち着く場所へと☺️ 木陰のベンチを見つけて 薄曇りの涼しいうちに 言葉を紡いでました いつもながら あっという間に 時間が過ぎてく✒️✨ インスタでは 毎日、沢山の言葉や 日々触れている自然など 発信重ねています🍀✒️ 誰かの心に響いて 背中を押したり 和んだり出来ればいいなと💓 昨日発信したうちの一つ 私は自己紹介にもあるように 生きる意味だとか 何で生まれたんだろうとか 私が居たって誰も喜ばない それなら居ない方がいい の

プールサイド 遠い夏の思い出

南の島のホテルに泊まっていた時、海には日に2回ほど入った。 それ以外の時間はホテルのプールサイドで過ごした。 観光やショッピングに興味はなく、ただ空と海を眺める毎日。 プールの中で泳ぐ人は少なく、木陰のデッキチェアで寝そべる人が目立つ。 外国人が多い。 パラソルの影でデッキチェアに横になり、本を読みながらヘッドフォンで好きな音楽を聴く。 熱く乾燥した風が下から吹きあがって来るのを感じる。 読書に飽きたらプールに入り、水の中から空を見る。 魚なら、こんな風に空を見るんだろ

【#わたしと海】胸の奥に刻印された記憶

ゴルフと温泉を楽しみに、仲間たちと車でショートトリップに出かけた。 高速を降りると、海街が目に入った。 子どもの頃に見た風景と重なった。 「何も変わってないね。この辺りは。なんか、懐かしい、、、」 そういった瞬間、幼き日の夏休みがフラッシュバックした。 その夏の思い出は、家族で毎年訪れた海水浴。 当時、まだ高速やバイパスもなくて、市内から海までは、車で約4時間、山道をひたすら超えてたどり着いた。 車好きだった両親は、運転も好きで、山道のカーブを楽しそうにドライブしてい

わたしのみなとみらい

みなとみらいに行くようになって18年、たぶんずっとわたしの人生を支えてくれていた。 初めてみなとみらいを訪れたのは13歳、中学校のフィールドワークにて。 親の同伴も先生の引率もなしで、県外の街を歩くという体験は初めてだった。 その時からしばらく、わたしにとってみなとみらいは「わたしが自分で行ける最も遠い場所」になった。 大学生の頃、門限がはちゃめちゃ厳しかった。 天文部に所属していたんだけど、門限は22時。部活のミーティングが始まるのは18時台。その後観測。活動場所から

手を繋いでもらえなかった江ノ島の海

結婚して約4年。もう夫と過ごす日々はすっかり日常になっていて、2人で出かけることだって何の特別感もありません。 そんな私たちにも2人で出かけることが毎回イベントで、それを「デート」と呼んでいた時期はあったわけで。 いつからデートと呼ばなくなったのだろう? それは曖昧でよく覚えてないけれど、初デートのことは今でもよく覚えてて。 もし「初デートはどこだったでしょう?」と聞かれて、お互い回答を揃えないといけないクイズを出されたとしても正解できる自信がある。 それほど印象的