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桜散る海を

桜の花びらのようだとも、ピアノ教室の先生の綺麗な爪のようだとも思った。


私の母、祖母の実家は海辺の小さな村落にある。すぐ近くに遠浅の砂浜が広がる、曾祖母の家に遊びに行くのが幼い頃の楽しみだった。
海風に吹き上げられた細かな砂が、そこかしこに散る土間でサンダルを履き、古い木造の家から浜辺に向かって駆け出してゆく。
浜までの家々の軒下には青い網が広げられ、そこには釜から茹で上がったばかりの真っ白なシラスが干されていた。

そういった家のおばさん達はいつも忙しく立ち働いていたが、私を見ると
「ほい、手ぇ出しやぁ」
まだ温かいシラスをひとつまみ差し出してくれた。首を横に振ると
「こどもが遠慮なんかするもんでゃにゃあて」と、掌に乗せてくれる。
浜に向かって歩きながら白い小さな魚を口に入れるとほんのりしょっぱくて、海から吹く風がそのまま口の中に飛び込んできたような味だった。

防波堤によじ登って見渡せば、遠く遠くどこまでも濡れた砂が広がる遠浅の海。ところどころ引き潮に取り残された水溜まりが陽光を反射して、きらきらと輝いている。サンダルをポケットに突っ込み、固く締まった砂の感触を楽しみながら歩いた。
蟹が作った小さな砂団子を指でそっとつぶしたり、水溜まりの中に泳ぐコチや海老を追いかけたり。

水を溜めて口を縛ったビニール袋のような物体が点々と落ちている。これはクラゲのなれの果て、毒の棘を持っているから、けして触ってはいけないと祖母から教わっている。
砂でできた糸屑の小さな山はギボシムシの糞塊。表面にイボが整列している、白くてまぁるい固いのはウニの骸だ。

楽しい、危険な、不思議なものが海には溢れていて、潮が満ちてくるまでの間子どもの私を遊ばせてくれたが、特にとびきり美しいものを探すのが好きだった。

目を凝らすと、砂の上に薄紅色の小さな煌めきが落ちている。あの頃の浜には桜貝の貝殻がたくさん散らばっていた。そっと指で掬い取って掌の上に乗せて眺める。その名前の通り、桜の花びらのようだとも、当時通っていたピアノ教室の先生の綺麗な爪のようだとも思った。ごく薄い貝殻だから、摘まんだ指先にほんの少しでも力を入れると、すぐに割れてしまう。
てのひらに乗せられるだけ沢山集めて、水溜まりの水に手を浸し静かに洗う。さらさらゆらゆらと揺れて桜貝はいっそう艶を増していき、私は貝殻の囁きに耳を澄ませるように黙ってずっと見つめていた。

持ち帰ろうとしても、乾いた桜貝は更に脆く、粉々に砕けてしまう。
桜貝は、幼い私に「儚さ」を教えたのだった。

40年以上経って、私は海から遠く離れた街に住んでいる。曾祖母は勿論、母、祖母ともに鬼籍の人である今となっては、遠浅の浜とも疎遠となった。
潮の香と、桜の花びらが散り落ちたようなあの海を、時折懐かしく思い起こしている。

#わたしと海

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