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デッドエンドを生で聴いたら泣いてしまう

いつからか歌詞カード片手に音楽を聴くことがなくなった。
今では少数派となったであろう、好きなバンドの新譜が出ればCDを購入し続けているリスナーにも関わらず。
それでも今回の「Nautilus」、SEKAI NO OWARI通算7枚目のアルバムは歌詞カードで必死に曲を覚えようとするぼくがいた。

デッドエンドのせいだ。
初めに聴いたときは「サビの語尾を切り上げる感じとか曲調がBUMPっぽいなぁ〜」とかいう浅い感想だったが、何度も聴き続けるとサビで涙が出るほどぼくの感情と共鳴し心に響く楽曲になっていった。

まだ聞いたことがない人はぜひ聴いてみてほしい。


今回はそんなデッドエンドの話。


曲は人生を必死に駆け抜けてきた”僕”が行き止まりにぶつかる描写から始まる。”僕”は間違えた場所まで引き返そうと自分の思い出を振り返っていく…


セカオワの曲には進行に従って物語が展開していくものがけっこうある。
例を挙げれば、不自由な水槽の中にいる人魚が自由な海に飛び出す「マーメイドラプソディー」、毎日に苦しむ僕が今日を変えるために少しだけ前を向こうと動き出す「銀河外の悪夢」など。

このデッドエンドも同じように曲の中で”僕”が行動し、それによって見える景色が、心情が変化していく。


過去に経験したツラい思い出。
教室に居場所がなくなって家に閉じこもったあの時。
名前も知らない人からの冷たい視線に、気付いているのに気付かないふりを続ける苦しさ。

そんな暗闇の中に確かにあったはずの人との出逢い、自分の気持ちを理解してもらえた嬉しさ、純粋に気持ちが昂った瞬間を、真っ黒に塗りつぶして埋もれさせていないか。
怖くて俯いていたけれど、空は青く澄み渡っていたのではないか。
見落としていたものを拾い上げると、過去はこんなにも綺麗だったんだと気付く。

「前を向くために過去は振り返らない」というのも一つの強さだが、「後ろを振り返って未来に立ち向かうための武器を見つける」のも強さだ。


”僕”は間違えてなんかいなかった。

追想を終えて”僕”は再び行き止まりに戻ってくる。
行き止まりだと思っていたものは行き止まりじゃなかった。

壁に耳を当てると、これから出逢う想い出の音が聴こえる。
「この壁を乗り越えるためにどうしようか」

心に灯った小さな希望にスポットが当てられて曲は終わる。


”僕”はぼくだった。
太陽に向かって走り続けても目が眩んでその先なんて見えない。
太陽に背を向けてやっと大切なものがはっきりと見える。
光と影。なんてありふれた表現だけど、心に影を落とす悲しみも光に満ちた喜びも同時に存在しうるものだ。

「僕の人生は何もかもが素晴らしかった」
ラスサビでそう断言するFukaseの力強い歌声にぼくは涙が出た。


***


アルバムの収録順として、頭の3曲の並びも非常に良い。

1曲目のタイムマシンも物語が進行していく形の曲だ。
ここでも”僕”は過去に戻ろうとする。
君を失った3年前のあの日から前に進むために。
しかし過去に戻った”僕”は、君に出逢ったことでいまの”僕”があることに気付き、君のいない世界で生きていくことを決める。
そんな歌。

(MVのドラマも最高)


2曲目の最高到達点はワンピースとのタイアップソング。
弱さを味方につけて、何度でも復活して駆け抜けていく姿に胸が踊る。
サビの「多分」は最初聴いたとき違和感があったけれど、聴けば聴くほどなくてはならない大切なフレーズだと分かる。


そして3曲目がこのデッドエンド。
大切な人を失った悲しさも、ルフィのような底抜けの明るさもこの曲にはないけど、等身大の”僕”がぼくに重なる。
過去を振り返って落ち込むぼくを、また失敗したらどうしようと不安に駆られるぼくを、肯定してくれる曲。



4月13日、深海へ行く。
この曲もきっと演奏されるだろう。
その時ぼくはどんな表情をしているだろうか。

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