夏の頂点
白い龍
鎌倉の海のそばに住んでいる。海まで散歩に行くのが日課だが、大暑を過ぎてからはあまりの暑さに外にでることがままならず、家に籠って隔離生活みたいな日々を送っている。
ふとカーテンをあけて窓の外を見やると、見飽きた真っ青な空に見たことのない縦に長い太い雲が、白い龍のようにうねりながら天までまっすぐ伸びていた。ついに空にひびが入ったのかと思うような、東西をまっぷたつに割ってやろうとしているようにも見えた。こんなに目が覚めるほど垂直なものが空に浮かんでいるのを、今まで一度も見たことがない。
その先端がどこまでつづいているのかたしかめたくて、眩しすぎる太陽をてのひらで覆い隠しながら上へ上へ目をやった。すると空を横に流れていく夏らしい大きな雲に突き当たって、ほんとうの先までは見えなかった。下はどこからはじまっているのだろうと思い二階へあがって窓をあけてみると、遠くの家々の屋根のなかへすっと消えていて、そちらもまた見えなかった。
垂直に伸びる雲がみえた人には幸運や希望がやってくる、とか、今のままですすみなさいというメッセージだ、などとしらべたら書いてあった。よくないほうの意味も書いてあったが、それはさほど信じられなかった。だって見たのだ、この目で。感じたのだ、あの白くて太い龍の命の姿を。
ウミガミ
日も暮れかけ、暑さもすこしは和らいだ頃、久しぶりに海辺まで散歩した。ちょうど海と浜の境界線上くらいのところで、見たことのない大きさの立派な海亀が死んでいた。神さまだ、と見た瞬間に思った。
奄美の堤防で波間を悠々と泳いでいるのがかすかに見えたことはあったが、こんなにはっきりしげしげとその体をみたのは初めてだった。体長は一メートル以上あり、首は木の幹みたいに太く、顔も人間の子供ほどの大きさがある。精巧にできた甲羅には貝のようなものがいくつか寄生している。長い手と短い足からは、直接触れずとも目で捉えただけでその感触が生々しく伝わってきた。地球にこんな生き物がいるなんて信じられない。私と海亀だったら圧倒的に海亀に軍配があがると思った。完全に打ち負かされている、と。
はげしく波が寄せると、立派な首がきゅっ、と九十度横になびいた。操り人形が天井から垂れた糸でうごかされているみたいに正確に、波しぶきを受けるたびに首だけがなんども曲がった。生きている、と思った。この巨大な亀は死んで世界になったのだ、と。海亀は、海神だ。
奄美で訪ねたあるおばあさんが言っていたことばを思い出す。わたしらは、海になんてよう近づきません。あそこには神さまがいる。神さまの領域だから人が簡単には入れない。泳ぎもしないし、散歩ですらいかないです。おばあさんほうが私よりずっと人間として正しいのかもしれない。
サンシャワー
数日前、歩いていたら急にスコールがきた。降ってきたな、と思ったそばからあっというまに猛烈な雨へ変わった。雨粒がいたい。帽子の先から長袖シャツの裾、ズボンの中までわらっちゃうくらいびっしょり濡れた。空は晴れている。いたずら小僧みたいな顔の巨大な雨降らし雲が私をどっかと見下ろしている。サンシャワー。泣きながらわらう。わらいながら泣く。サンシャワー。
海のスープ
日々似たようなものばかりたべている。暑すぎるからか、お米があまりおいしく感じない。それはとてもさみしいけれど、秋になったらまたきっとまたおいしいと思える。今は土鍋で蒸した夏野菜やきのこを、麦味噌、酢、甘酒、ねりごまを適当に混ぜて作ったタレにつけてたべている。すごくおいしい。野菜は地球の恵みだ。魚も肉も卵もなくても生きていける気がするけれど、野菜がなくなったらぜったいに生きていけない。野菜のない生活なんて考えられない。野菜は、野彩でもある。野を彩る命。変化球として高円寺のお店で昔もらったスパイス岩塩をタレに混ぜ込んでみたが、それもまた斬新でおいしかった。
すいかときゅうりを毎日のようにたべているので、さすがに内臓が冷えてしまうかなと思い、最近控えている。
韓国文学をよく読んでいる。ソン・ウォンピョンの「怪物たち」という短編小説になんどもわかめスープがでてきたので、読んだ日の昼に作ってみた。お湯を沸かし、中華だしがあればよかったが、なかったので代わりに野菜コンソメの素を使い、乾燥わかめと天然塩をすこし入れる。火を止めて、いりごまを足す。五分でできた。暑い夏にお腹を満たす熱い飲みものは、とてもおいしい。胃がゆりかごでやさしくあやされているような感じ。夜も、次の日もまた作った。はまるとしばらくそればかりになる。ちいさな浅い水溜まりでゆれるぺらぺらの海藻と塩気の効いたおいしいスープ。海のスープ。
八月八日
立秋。朝、思いたって般若心経を声に出してくり返し読む。ぎらぎら照りつける太陽のなか、えい、と気合いを入れて海まで歩く。あまりに暑すぎて、運動誘発性アナフィラキシーのある私は首も背中も脇の下もぜんぶ猛烈にかゆくなる。夏が、私のこんなちっぽけな体の髄にまで染み込んできて暴れている。帰ってシャワーを浴び、体を落ち着かせる。全身がヒリヒリ痛く、痒い。この痛みと共に生きてもう何年だろう。いつも通り仕事をする。尾道で出会ったおばあちゃんに手紙を書く。なかなか手をださずにとっておいたすこし高いミントティーを飲む。
今日あちこちで夏が頂点を迎えた。夏の行く先がみえた気がした。