ウルティマオンライン 黒熊亭読書の秋2023応募作品 「秋の海」
「海を、見たことはあるか?」
突然、聞かれた。
ない。
ただ、うちのそばにある池からは川が流れだしていて、海につながっているのだと聞いたことはある。
この世界は、大きな水たまりの上に木の葉が浮いているような造りになっているのだという。
すべての地面、島の周りには水があって、船にのればどこへでもいけるのだと。
「じゃあ、見に行くか」
海は遠いところにある。
家畜の世話を考えると、遠出は得策ではない。
朝、家を出て、夕方には帰って来られる場所じゃないと出かけるわけにはいかない。
「やり方次第だな」
彼は、最寄りのムーンゲートから、ブリテンのムーンゲートまで移動して、その後ちょっと歩けば、小さな砂浜があって、海が見られると言った。
「リコールは、使えるのか?」
そこまで魔法のスキルはない。
大体このあたりで秘薬を手に入れるのは大変だ。もちろん落ちているのを見つけたら拾ってはおくが、私が使うのはいいところ、火種が何かの事故で消えてしまった時のためのファイアーボール程度。それも失敗しながら使うぐらいが関の山。
魔法を日常的に使うのは、秘薬を買える街に住んでいる人か、モンスターを狩るハンターか…ともかく私の日常には、あまり魔法は必要ない。
彼は、自分のバックパックから、スクロールを取り出して言った。
「もう、夏は終わったからな、秋の海もいいだろう、これを使えば、朝出かけて、夕方帰れるさ」
海。太陽の光を反射して、空のように青いらしい。
水は冷たく、川のようには流れずに、波があり、白く泡立つその波から、水を汲んでパンを焼く屋台があるという話を、父がしてくれたことがあった。
海のそばには、暑い場所でしか育たない木があって、珍しい飲み物や、食べ物が売られている。
その「ココナッツ」という木の実を、持って帰ってくれた、あれは私がまだ、かなり小さい頃だった。その不思議な手触り、その木からとれた繊維をつかったという織物で出来た小さなかばんは、私の宝物だった。
海…。
家のそばのため池とは多分、違うのだろう。とても大きい、向こう岸が見えないような水を、私はまだ、見たことがない。
***
「王都には、そういうところへ人を連れていく仕事があるのさ、金持ちをな。働いているうちに思ったんだ、なぜ、俺たちがいけないことがある?ってな」
彼はちょっと、うれしそうだった。
海では、そういう人たちは、何をするの?
「主に、飲み食いだな。それから水浴び、あとは砂浜を歩いたり、景色を見たり、というところか」
水浴びか…。この季節にはちょっと寒いかもしれない。
とはいえ、「主に飲み食い」ということであれば、家にある食料品をもっていけばいいだろう。
トウモロコシの粉で作ったパンや、一昨日に焼いた肉入りのパイに、夏、樽に仕込んだ林檎酒や、醸造したてのエール。
最後にゲートをくぐって旅をしたのは…まだ父が生きている頃だった。
ブリテンといえば、王様のおひざもと。きっと洗練された人々が歩いているのだろう。
私は、自分のブーツをそっと見た。
夏が過ぎ、裸足で歩かなくなってから出した古びたブーツは、頑丈一点張りのドラゴン皮。30年もつと職人がうけあったそれは、元は父の持ち物だ。
自分で染めた、薄い茶色の手織り麻のスカートは、ちょっといい色だと自分では思うけれど、きっと王都へ行ったら、作業着みたいに見えることだろう。
彼が来てくれることがなければ、私は多分、小鳥のように歌を歌っても誰にも聞かれず、ひとりで自分に話しかける生活をしていただろうから、こうしてどこかに連れ出してもらえることはいいことなのかもしれないけれど。
「明日は、早いからな」
彼は夕食後にはすぐ、寝床へ引き上げてしまった。
******
いつものバックパックに、着古した青いジャーキン。彼はなぜか片手にバスケットを持っていた。
私も、さすがに、木箱に入れて抱えていくというわけにもいかず、自分で編んだかごを持っている。
「ピクニックというわけだな。これは王都に売っている、それ用のセットなんだ。こういうことを考えるやつが儲かるのさ」
彼は意味ありげにバスケットを持ち上げて見せた。
スクロールで、彼がかけるゲートが私達をブリテンのムーンゲートに運んでくれる。
彼の言うままに、ムーンゲートから北東へ歩くと、砂浜についた。
白くて細かい砂に、なんとなくブーツが似つかわしくない気がして、脱いで裸足で歩いてみる。
あたたかい砂の感じが新しい。
沼の泥や、畑の土とは違う乾いてさらさらした感じを目を閉じて味わっていると
「貝殻が落ちてるからな、これを」
彼が、サンダルを私に差し出した。
白い…多分鹿革のきゃしゃなそれを、そっと砂に置いて。
履くのがもったいないような、かわいいサンダル。
風が、海の方から吹いてくる。
なんとなく、新鮮でさわやかな匂い。
私に見えるのは、海と…そして自分のサンダルだけ。
誰もいない、海。
「波が白く泡立っているところで、水を汲んでパンを作ると美味いそうだ」
彼は焚火をして、水を汲み、ブランケットを砂に広げている。
あー。フライパンと粉を持ってくれば試せたのになあ。
パンを焼いてみたかった…。
そういうと、彼は「水だけ、持って帰ればどうだろうな」
と言った。
林檎酒はまだ若くて、あのピリッとした味はあまりせず、醸造したてのビールも、まだ酔ってしまうほどの強さはなかった。
でも、初秋にふさわしい恵みの味で、とうもろこしパンとよく合った。
「こっちもどうだ」
彼が出してくれたお酒は、背の高いグラスに入っていて、細かく泡立ち、とてもいい匂いがした。
「ちょっと強いかもしれないがな」
彼が言うのには、これは王都で売られているシャンパンというものだそう。
ブドウで出来ていて、発泡するように醸造するのだとか。ユーの醸造所で出来る一級品??
高そうな匂いと味に、圧倒される。
彼の眉が上がって、にやりと笑ったその顔が、成功を確信したギャンブラーのようで、私もつい、微笑み返してしまう。
彼の笑顔は、いつだって伝染するのだ。
波の音を聞き、裸足で水に入って、手をつけて水を跳ねかして、子どものように私は海を楽しんだ。
冷たくて、青くて、波があって…。
**********:
帰って家畜の世話をして、夜を迎える。
耳に残る波の音。
あの白い砂浜には、今も波が打ち寄せ、冷たい水が砂にしみ、夜の空を映した黒い水が、星を眺めているのだろう。
海。私の海。
地面も空も、星も、海も誰のものでもないのなら、私のものだと思ってもきっといい。
ずっと忘れない。
彼は、私に海をくれた。
あのあたたかい砂も、冷たく、新しい匂いのする水も、どこか湿り気を含んだ風も。
おやすみなさい。
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