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わたしのみなとみらい

みなとみらいに行くようになって18年、たぶんずっとわたしの人生を支えてくれていた。

初めてみなとみらいを訪れたのは13歳、中学校のフィールドワークにて。
親の同伴も先生の引率もなしで、県外の街を歩くという体験は初めてだった。

その時からしばらく、わたしにとってみなとみらいは「わたしが自分で行ける最も遠い場所」になった。

大学生の頃、門限がはちゃめちゃ厳しかった。
天文部に所属していたんだけど、門限は22時。部活のミーティングが始まるのは18時台。その後観測。活動場所から家まで2時間強。無理。

ならば朝はどうか。観測はできないけど。
当時とある路線が開通して、当時住んでいた場所からみなとみらいまで、電車一本で行けるようになった。
朝4時頃家を出て、始発に乗った。

時間に拘束されないって、なんて素晴らしいことだろうと思った。大学生の時間に対する観念なんて取るに足らないものかもしれないけれど、パシフィコ横浜の脇を通って臨港パークに向かうあの広場が朝陽を受けて輝くさまを、今も忘れられない。

その後、普通に眠かったので、ベンチで8時くらいまで寝た。こんなだから門限が設けられるんだろうなと思わないでもない。高校〜大学の頃のわたしは、睡眠時間が5時間くらいだったので、駅のホームとかでよく寝ていた。電車で寝ていると、目的地で降りても、そのまま歩けずベンチに座ってしまうのだ……。

門限はともかく、うちは家族仲や両親の仲があまりよろしくなかったので、みなとみらいはわたしにとって「逃げられる場所の中で一番遠いところ」になった。海があるし、やたら広いし、大抵の感傷を受け止めてくれた。

みなとみらいは、一人で行く場所だった。仲の良い友人と一緒に訪れる場所としたことがなかった。わたしが人生で一番狂った男も連れて行かなかった。そいつに振られた時、感傷に浸りたくてまた一人で行った。
そいつは天文部の男だったので、わたしは天文部に行かなくなると同時に、門限まで時間的ゆとりのある日が増え、夜のみなとみらいに行く日も増えた。

その次に付き合った人は連れて行った。その次に付き合った人も連れて行った。その男のうち一人はDV男だったので、何かの折に喧嘩した時、死ぬほど怒鳴られ、大泣きで謝りながら山下公園を歩いた。トラウマにならなくてよかった。ちなみにもう一人の男は、予告なく北海道にUターン就職キメて帰った。
この人でもなかった、この人でもなかった。感傷に浸ることはとりあえずやめたかったんだけど、誰とも上手くいかなかった。

なんかもう男はいいか……と思ってからやっと、高校時代からの付き合いの友人と、定期的にみなとみらいを訪れるようになった。
わたしはクリスマス大好き人間なので、主にクリスマスマーケットに遊びに行った。おそらく二十代半ば頃。
やっと、感傷がなくても生きていけるようになった。

そういえば学生の頃、その友人に、横浜中華街のパワーストーン屋さんでわたしが作ったブレスレットを贈ったことがあるんだけど、こないだ会った時まだそれをつけてくれていた。もう十年くらい経つんだけど……。いい人。

友人に癒されて、今の夫に出会って、初めてデートした場所が横浜中華街と赤レンガ倉庫だった。手相占いに行った。赤レンガ倉庫付近では、なんかもつ鍋フェスみたいなのをやっていたんだよな。

もういいか、と思った。
わたしにとって、みなとみらいはもう、自分が行ける最果ての地でも、逃げ場所でも、傷心旅行の行き先でもなかった。当時付き合いたてだった夫が、資格試験の合格祝いとかうにゃうにゃ言いながら、可愛いピアスを二つもプレゼントしてくれた。

みなとみらいが「一人で行く場所」じゃなくなって、やっと幸せになれた。フォトウェディングの撮影の時、カラードレスを着る場所は、みなとみらいにした。

場所は王道の大桟橋。カメラマンさんのプランでは、夜景は主に大観覧車の方角をバックにして撮ることになっていた。
その向かいにはベイブリッジがある。ベイブリッジを見ながら写真を撮りたい! とリクエストした。カメラマンさんは、少し暗いけどやってみます、と快く了承してくれた。

みなとみらいで感傷に浸ったことのある人なら誰でも知ってると思うのだけど、みなとみらいの海の向こうには、ベイブリッジがあるんです。

大桟橋で撮る方はお試しあれ

みなとみらいがゴールだったんだな、と思った。
そして新しいスタート地点になった。
あれから、毎年1〜2回は必ず二人で、みなとみらいを訪れることにしている。

なんだかもうね……十代や二十代前半、記憶によっては今笑っちゃうようなことでもひどく傷ついて、でも人前でめそめそ泣くほうではなかったので、知り合いに会わない「知っている場所」に行って、夜な夜な感傷に折り合いをつけていたんです。

そんなことで? と思うようなことにいちいち傷つくくせに、被害者ぶってるんじゃなくて本当に被害者だったこともあったのに誰にも言わないで、大多数の大人からしたらくだらないと思うような感情でも自分だけはくだらないと切り捨てたりはしないでベイブリッジを見ていた、あの頃の自分に会いたい。

わたしは約十年後、一生しないと思っていた結婚をして、大桟橋で特に意味もなくビクトリーポーズを決めるんです。

みなとみらい、これからもよろしくお願いします。

いただいたサポートで、ちゃんと野菜を食べようと思います。