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思い出ノート

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私が出会ったステキな人の思い出を綴ります。そして私自身の思い出も。
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記事一覧

どの国に住みたい

どの国に住みたい

34年前、アメリカのボストンに住んでいたことがある。はじめての海外生活カルチャーショックもあった。
帰国後思ったこと。
「これからの時代、自分が住みたい国に自由?に住めるようになるかもしれない。生まれた場所だけでなく、自分が住みたい国、自分が住みたい場所を選ぶことができるかもしれない。」
そんなことを思った。
notoに参加して何を書こうと考えたことの一つに「どこの国に住みたい」を入れておいた。先

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遠〜い昔の思い出ひとり旅

遠〜い昔の思い出ひとり旅

前回2年前の旅の思い出を書きました。
今回はずーっと時間を遡ります。
もうかれこれ30年近く前、確認すると1997年のことでした。娘とアメリカに住んでいたことがあります。私がインターンシッププログラムで小学校に日本文化を教えに行き、校長先生の家にホームステーして1年過ごしました。

プログラムが終わった夏休み。帰国前に娘はYMCAのキャンプ、私はニューヨークからワシントンD.C.までのひとり旅にで

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思い出の夏旅

思い出の夏旅

2022年の夏でした。50年らいの友人達と星空を見に行きました。まだコロナ禍でしたが決行することに。長野の阿智村で星空を見るツアーです。
私はせっかく信州に行くのだから休みを増やして半分はひとり旅することにしました。

横浜から横浜の切符を手にして、まずは阿智村に向かいました。

横浜の駅弁当は崎陽軒。シュウマイ弁当が有名ですがこんなのもあります。車窓からの富士山が美しい日でした。

本当に良い天

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横浜元町ピピのおばちゃん

横浜元町ピピのおばちゃん

私がおばちゃんを知ったのは大学生の時だった。友達が元町にあったピピに連れて行ってくれた。ピピは小さいお店、カウンターとテーブル2つ7〜8人でいっぱいになる。ピピのメニューで好きだったのがやきうどん。出来上がる直前に何かをかけてくれた。ワイン?それからふくよかなお酒の香りがするサバラン。大人の味だった。
忘れられないのがクリスマスケーキ。半年?くらい酒に漬け込んだドライフルーツやナッツ。粉は少ししか

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孫娘とおばあちゃん、コアラを抱きに行く

孫娘とおばあちゃん、コアラを抱きに行く

夏休みにはならないけれど、2人でオーストラリアのケアンズに行く事になった。春休みに1人で横浜まで遊びに来た孫娘(小5)とです。以前、上の孫娘とシドニーに行った事があり、その時もう少し大きくなったら海外に連れて行く約束をしていた。週末を使っても2日休むことになるけど、どうする?と聞くとラーケーションで休みにならないよ。なんじゃ?特別な事がある時使える休みらしい。有休かい?ズル休みにならないらしい。ア

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20世紀から21世紀

20世紀から21世紀

21世紀になる少し前考えたことがある。
21世紀になったら何が変わるんだろう?きっとすぐにはわからないが、
気がついた時20世紀と大きく変わったことがわかるのだろうと思っていた。
もうすぐ21世紀も四半世紀になる。

2003年に通信の大学に入ったインターネットで授業が受けられるとうたっていたが、すぐには行われなかった。徐々に進んで授業が増えたが全てがネットの授業になる前に卒業してしまった。その後

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本との出会い

本との出会い

本との出会いは宝物探しのようなモノだと思う。
どんな素敵な宝石に出会うか?
初めは親や学校から与えられることが多いかもしれない。たくさんの本が身近にあれば本が好きになるとは限らない。始めは本を読めと言っていた親も本の虫が誕生するといい加減にしなさいと言う。子育ての時、子供が自ら読みたいと言った本は必ず買った。自ら選ぶことが大切だと思う。良書と呼ばれる本もあり、悪書と呼ばれる本もある。悪書?を手に取

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私のおばあちゃん

私のおばあちゃん

おばあちゃんは明治生まれ。100まで生きた。小さな人だった。でも5人も子供がいた。私が知らない叔母もいたらしい。おばあちゃんは父の母。私の両親は石川県の金沢の出身。両親は戦後東京で暮らしていた。おばあちゃんは金沢住んでいた。私が幼稚園の時おばあちゃんに預けられた。私の記憶のスタートは金沢のおばあちゃんと暮らしたところからだ。母がいなくて寂しいなんて記憶は全くない。大人になって聞いた話だが母は私を不

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孫娘とおばあちゃん

孫娘とおばあちゃん

春休みに孫娘が一人で遊びに来た。今年五年生になる。いつも家族で来るので一人電車で来るのは初めて。心配して迎えに行こうかと言うと、大丈夫との返事がLINEに返ってきた。ピアノのレッスンがあるから横浜には夕方になるよとの連絡。今時の子はしっかりしてる。
横浜駅まで迎えに行き、赤煉瓦で開催中のフラワーガーデンに行った。
可愛い花の前で写真を撮った。

おばあちゃん、お腹すいた。夕飯にはまだ間がある。キッ

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横浜元町は進化し続ける街だった

横浜元町は進化し続ける街だった

「横浜元町ショッピングストリート」の歴史は横浜開港から始まり今に至っていると言われています。初めは外国人向けの商いから徐々にオリジナルのものづくりへ、そして元町商店街は「横浜元町ショッピングストリート」として進化を続けています。

思い出 1

私が小学校4年生の時、伯母が横浜の元町に連れて行ってくれました。当時東京の我が家に下宿していた伯母はDoremeで洋裁を習っていました。ファションに関心が

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彼はいい奴

彼はいい奴

彼は後輩である。年は息子と同じくらい。
この前の職場は馴染めなかったようだ。
真面目・・すぎかな?仕事が出来ないわけではない。
正直でまじめがアダになるタイプ。

大きくしっかりした字を書く。ある人から時間が押してるから小さな字で
さっさと書けと言われてた。

負けるな、その字は君のいいところだ。
要点だけ書いてねと思うことはままあるが・・・

彼が入った時、3年同じ所で働いて。我慢しろとは言わな

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彼女と桜

彼女と桜

今年は横浜でもまだ咲いている。
もしかして小田原で名残りの桜が見れるかな?
午前中の仕事を済ませ東海道線に。

電車の中で思い出していた。
思い出ノートに書いた友達と出かけた日を。
晴天の朝、小田原へ花見に行こうと思った。
出がけに湯河原の彼女に電話した。
昼過ぎで良ければとの返事。もちろん、じゃあ、小田原駅で。
私の突然の誘いに快く応じてくれた。
嬉しくてそそくさと支度して出かけた。
満開の桜が

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彼女の思い出

彼女の思い出

マガジン「思い出ノート」を作った。
ここに書く機会が増えるのかなぁ?と思って第1話を書き始める。

明日、湯河原の幕山梅林に行くことにした。数年前の2月、湯河原に住む友達にメールをした。先延ばしにしていた湯河原の梅林に一緒に行こうと思って連絡した。「ここのところ旦那の体調が悪くて・・」帰りに寄りたいとの申し出も断られた。結局、梅林にも行かずじまい。翌月、友人の訃報が届いた。ご主人様でなく、本人の訃

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