マガジンのカバー画像

思い出ノート

8
私が出会ったステキな人の思い出を綴ります。そして私自身の思い出も。
運営しているクリエイター

記事一覧

20世紀から21世紀

20世紀から21世紀

21世紀になる少し前考えたことがある。
21世紀になったら何が変わるんだろう?きっとすぐにはわからないが、
気がついた時20世紀と大きく変わったことがわかるのだろうと思っていた。
もうすぐ21世紀も四半世紀になる。

2003年に通信の大学に入ったインターネットで授業が受けられるとうたっていたが、すぐには行われなかった。徐々に進んで授業が増えたが全てがネットの授業になる前に卒業してしまった。その後

もっとみる
本との出会い

本との出会い

本との出会いは宝物探しのようなモノだと思う。
どんな素敵な宝石に出会うか?
初めは親や学校から与えられることが多いかもしれない。たくさんの本が身近にあれば本が好きになるとは限らない。始めは本を読めと言っていた親も本の虫が誕生するといい加減にしなさいと言う。子育ての時、子供が自ら読みたいと言った本は必ず買った。自ら選ぶことが大切だと思う。良書と呼ばれる本もあり、悪書と呼ばれる本もある。悪書?を手に取

もっとみる
私のおばあちゃん

私のおばあちゃん

おばあちゃんは明治生まれ。100まで生きた。小さな人だった。でも5人も子供がいた。私が知らない叔母もいたらしい。おばあちゃんは父の母。私の両親は石川県の金沢の出身。両親は戦後東京で暮らしていた。おばあちゃんは金沢住んでいた。私が幼稚園の時おばあちゃんに預けられた。私の記憶のスタートは金沢のおばあちゃんと暮らしたところからだ。母がいなくて寂しいなんて記憶は全くない。大人になって聞いた話だが母は私を不

もっとみる
孫娘とおばあちゃん

孫娘とおばあちゃん

春休みに孫娘が一人で遊びに来た。今年五年生になる。いつも家族で来るので一人電車で来るのは初めて。心配して迎えに行こうかと言うと、大丈夫との返事がLINEに返ってきた。ピアノのレッスンがあるから横浜には夕方になるよとの連絡。今時の子はしっかりしてる。
横浜駅まで迎えに行き、赤煉瓦で開催中のフラワーガーデンに行った。
可愛い花の前で写真を撮った。

おばあちゃん、お腹すいた。夕飯にはまだ間がある。キッ

もっとみる
横浜元町は進化し続ける街だった

横浜元町は進化し続ける街だった

「横浜元町ショッピングストリート」の歴史は横浜開港から始まり今に至っていると言われています。初めは外国人向けの商いから徐々にオリジナルのものづくりへ、そして元町商店街は「横浜元町ショッピングストリート」として進化を続けています。

思い出 1

私が小学校4年生の時、伯母が横浜の元町に連れて行ってくれました。当時東京の我が家に下宿していた伯母はDoremeで洋裁を習っていました。ファションに関心が

もっとみる
彼はいい奴

彼はいい奴

彼は後輩である。年は息子と同じくらい。
この前の職場は馴染めなかったようだ。
真面目・・すぎかな?仕事が出来ないわけではない。
正直でまじめがアダになるタイプ。

大きくしっかりした字を書く。ある人から時間が押してるから小さな字で
さっさと書けと言われてた。

負けるな、その字は君のいいところだ。
要点だけ書いてねと思うことはままあるが・・・

彼が入った時、3年同じ所で働いて。我慢しろとは言わな

もっとみる
彼女と桜

彼女と桜

今年は横浜でもまだ咲いている。
もしかして小田原で名残りの桜が見れるかな?
午前中の仕事を済ませ東海道線に。

電車の中で思い出していた。
思い出ノートに書いた友達と出かけた日を。
晴天の朝、小田原へ花見に行こうと思った。
出がけに湯河原の彼女に電話した。
昼過ぎで良ければとの返事。もちろん、じゃあ、小田原駅で。
私の突然の誘いに快く応じてくれた。
嬉しくてそそくさと支度して出かけた。
満開の桜が

もっとみる
彼女の思い出

彼女の思い出

マガジン「思い出ノート」を作った。
ここに書く機会が増えるのかなぁ?と思って第1話を書き始める。

明日、湯河原の幕山梅林に行くことにした。数年前の2月、湯河原に住む友達にメールをした。先延ばしにしていた湯河原の梅林に一緒に行こうと思って連絡した。「ここのところ旦那の体調が悪くて・・」帰りに寄りたいとの申し出も断られた。結局、梅林にも行かずじまい。翌月、友人の訃報が届いた。ご主人様でなく、本人の訃

もっとみる