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傷と刃物の数学的諸原則
コロンブスのアメリカ上陸以降の西洋とは武器軟膏の時代であり、魔術師達の跋扈する時代である。そして、武器軟膏の数学的諸原則(プリンキピア)の繦は未だに青い地球を掴んで離さない。
武器軟膏とは錬金術師兼科学者ヘルモントの名と共に語られる理論だ。刃物で出来た刺し傷があれば、刺した刃物に軟膏を塗る。そうすると刃物と傷の間の対応関係から刺し傷は治癒する。非科学の典型としてフロギストンと共に蚩蚩たるべき
トラックに轢かれて脳が飛び出る女児
メルヘンとは巌谷國士が力説し、我々の深層心理に巣食うとされるドロドロとした物語世界に他ならない。蓋し、赤ずきんのような物語化が為され尽くしたメルヘンや、それらに都会の事象を当て嵌めて形成した都会のメルヘンは語られども、郊外のメルヘンは語られていない。郊外のメルヘンと呼べども猶、実態を掴めてない。それは教習所のメルヘンだ。
教習所の教官からこんな話をされたのは私だけではなかろう。幼稚園の送迎バ
なんだってアナやエルサをバチボコに犯しちゃダメなんだい?
仕事の用事で、勤務開始時間には東京駅の京葉線に続く長い長い通路を歩いていた。
check!「リストカットや自傷の傷跡を消す」ことを謳う病院の広告
check!夢の国へと向かうであろう人物群
以上から演繹的に考えるのであれば、夢の国では自傷によって生じた傷跡は許可されていない。もちろん、自傷によるものでなくとも、全ての生々しい傷跡は許可されていないのだろう。苦しみ?痛み?飢え?そんなもの
そのモネとやらを電飾ブッ刺して綺麗にしてやろうかつってんだろ
アートを憎んでいる。明確に。全部パチモンだから。キモいから。
アートだ芸術だとゴミ大衆は豚小屋たるSNSで鳴くが、そんなゴミどもに先んじてケツイキありき。こんなデケエクソひり出した暁には、テメエのクソお袋は三日三晩ケツでイキ続けたんだろうよ──詩篇69章69節
岡本太郎は足元に積み上げられた小さな石の山に芸術を見、石子順造は河原に転がる石に芸術を見た。石をクソで汚すな瀆神者ども。芸術とい
地獄行き?はい!お願いしまーす!
何でも天国にいる。その地では地上の言語が話されておらず、ポリティカルな観点で正しい天上の言語が豊かに響いている。自分にその文法は理解ができないが、ニガーやイエローモンキーにあたる単語が存在しないことだけは理解ができた。そうそう、この地が持続可能なことは言うまでもなく…
という夢を見た。
天国というものは概してある程度世俗から離れた人間の約束の地だが、その地の行楽といったら挿入するたびに処
世紀末プレイステーションバロック講義
大抵のディケイド単位のヒヒョーは信じていないが、初代プレイステーションの時代というものはある。断じてミレニアムと言ってはいけない。プレイステーションの時代なのだ。
Mylene Farmerの「プレイステーションの」アルバムを聴いてみよう。Mylenium Tourだ。失敬、早速ミレニアムと言ってしまった。プレイステーション的ハイライト(?)は2曲目のL'amour Naissantだろう。
「サトゥルナリア!」
Marilyn Manson、言わずと知れたアンチクライスト・スーパースターである。彼の『Heaven Upside Down』収録の《Saturnalia》が含むアンチクライスト・スーパースターとしての自覚やジギー・スターダストへの憧憬は見直されてもいいんじゃないかと思い始めた。
ここからSaturnaliaはサトゥルナリアと読む。サトゥルナリア祭というものが古代ローマにはあった。簡単に