地獄行き?はい!お願いしまーす!

 何でも天国にいる。その地では地上の言語が話されておらず、ポリティカルな観点で正しい天上の言語が豊かに響いている。自分にその文法は理解ができないが、ニガーやイエローモンキーにあたる単語が存在しないことだけは理解ができた。そうそう、この地が持続可能なことは言うまでもなく…


 という夢を見た。

 天国というものは概してある程度世俗から離れた人間の約束の地だが、その地の行楽といったら挿入するたびに処女に戻る少女とセックスし放題というイスラムの天国観のように、俗極まる。故に俗世にいながら想像が容易なことが特徴的であろう。

 以上を踏まえると、天国という場所は信じられないほどつまらない!それは強度が多少大きくなった日常に過ぎないのだ。確信している天国の様相はこうだ。聖書にも記載されたマナがある。スシローやサイゼリヤを心行くまで食べることができる。現世では一日に規定の量の漫画を無料で読めるだけだが、天国ではいくらでも読めるのだろう。ここまで桃源郷のようだが、裁判はある。審判者としてのキリストの彫刻は見たことがあるかい?その裁判は君たち善人の良心が動かす。仮に裁判の結果に君たちが納得いかなかったら、スマホから署名やらX's(そう、天国にもXは存在するのだ)でお気持ちを伝えよう。そのX'sされた良心によって常に善人のお気持ちに寄り添った完璧な判決が下される。

 最高だね。絶対行きたくねえよ。

 論証を飛ばして議論を一気に飛躍させるが、結局のところ、こういう大多数にウケる(だけの)つまんねえものは、大多数にウケるというだけでナチだ。天国はナチだし、ナチは天国だったんだと思う。ナチは根幹に極端な思想があったわけではない。こちらが少し頭を使って話すと思想が思想が言う中道ども。お前らがナチだ。一生天国から出てくんな。天国であるナチの皆様の良心に従った最高の裁判で人種、障害、年齢、性別といった要素を裁いたんだろ。天国らしいじゃん。

 「みんなのために」動く奴らがどんなにつまんねえか考えてみよう。実に天国らしい動機!この場合、概して「みんな」も「みんなのため」に動く奴も特定の立場にあるわけではない。となると「みんな」というのは不特定の大衆であるわけで、資本家とか労働者とか国粋主義者という枠組みの集合から考えると補集合的だ。そして「みんな」の気持ちを考えると許せない奴がいるだろう。良心に従って裁いてやればいい。これが天国。サイゼ食って無料の漫画読んでみんなの敵をぶっ殺す。

 倫理的に考えて天国ほどひどいところも無いのは自明だが、自分なんかは倫理に明るくないので端的につまらないことが最悪だ。いつどこで食べても同じ安モンの飯をウメエウメエ言って貪るのが人としての尊厳とかに関わらないと思っているのだったら問題は無いです。このまま天国暮らしを続けていただきたい。そして豚の飯とか言われたらキチンと皆様のお気持ちに沿った最高の裁判で裁くんだぞ。いいね?

 対して地獄はなかなかに面白い場所だと思う。《快楽の園》みたいに様々な奇形がいて、そいつらが互いに奇形を蚩蚩と笑う。クソ天国にいる奇形は、コンビニ飯で顔色と体型が崩れたヒトモドキが関の山だ。

 地獄では踊ることができる。スコラ哲学をめぐる俗説に「何百年も針の先で天使が何人踊れるかを議論していた」というものがある。バカなんじゃねえの?天使は踊らない。踊るのは悪魔の特権だ。天国ではお気持ちに障ることが許されない。故に常に静かだ。皆スマホで下手な絵の三文漫画を無料で読んでいる。こんな最低コンテンツを目に入れるよりも踊ることを選んだのが悪魔と呼ばれる存在だ。悪魔と踊ろう。

 もちろん地獄ではニガーもイエローモンキーもユダ公もチョンもジャップもクソ尼もマンコ野郎もチンカスもオカマも口に出していい。各々がクソ野郎だということを自覚しつつ、とめどなく笑う。新しい表現ができたら指を刺された本人も大笑いするだろう。クソポリティカルコレクトネスではない。コレクトネスの世界。

 さて、教会の入口の楣は、向かって左側が天国で向かって右側が地獄という描かれ方をする。先入観を抜きに見てほしい。どっちが面白い?


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