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傷と刃物の数学的諸原則

 コロンブスのアメリカ上陸以降の西洋とは武器軟膏の時代であり、魔術師達の跋扈する時代である。そして、武器軟膏の数学的諸原則(プリンキピア)の繦は未だに青い地球を掴んで離さない。

 武器軟膏とは錬金術師兼科学者ヘルモントの名と共に語られる理論だ。刃物で出来た刺し傷があれば、刺した刃物に軟膏を塗る。そうすると刃物と傷の間の対応関係から刺し傷は治癒する。非科学の典型としてフロギストンと共に蚩蚩たるべき似非理論とされている。

 問題はこの猥雑な塗薬の数学的諸原則が天体と天体の間で作動しているその一点にある。ニュートンはヘルモントだ。ヘルモントはニュートンだ。天体間に働く、合理的・機械論的認識では観測不可能な力だ。万有引力だ。僕らの諸原則だ。

 近代人の語る合理的認識とは、概して非-アリストテレス的認識だ。アリストテレス的認識では対象を燃焼させるための原子は存在し得る。フロギストンが前時代的に感じられるのは、僕らがデカルト以降身につけた機械論的世界観に依る。機械論的世界を玉突き事故の世界と換言しよう。全ての事象はその運動の大元を辿ることが可能だ。その原因は神かもしれない。しかし、その運動を為す物体自体に力が宿っているのではない。

 物体そのものに宿る力を認めるか否か。燃焼させる物体そのものたるフロギストンの前近代性はこの点にて結ばれる。玉突き事故であれば、分子と分子の間のメディウムは不可欠ではない。しかし、アリストテレスやスコラ哲学者はその黄昏に至っても真空や無を頑なに認めなかった。AがBに力を及ぼすためにAとBを媒介する分子の充溢した世界のみを想定していた。機械論的世界では、Bが動く理由はAによって加えられた力に依る。そしてAもまた、その運動に力学的原因を持つ。それでもアリストテレス=スコラ哲学は断じて稚拙ではない。火と傍で暖まる人間を想定すればよい。経験を公理として形而世界の幾何学を編む認識と、ガリレオや追随者に顕著な形而世界を数理に従属させる秘教的認識を較ぶべし。そして「合理的」「経験主義」を言祝ぐのは誰であったか思い出してほしい。充溢を対象とする前近代的科学を嘲笑うのはまだ早い。

 そう、刃物と傷口の間にも対応関係が存在し、且つ媒介項が存在しなければならなかった。対応が媒介され伝達されるからこそ武器軟膏は効力を持っていた。そして僕らはまだ天体間に対応する媒介項を認めなくては宇宙を認識することができない。万有引力の理論は未だに有効なのだから。僕らは長い17世紀を生きている。

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