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本音と建前 平安と鎌倉におけるUFO現象の断絶に関する覚書

 なんであれ断絶によって語るべきではない。大政奉還を宣言からの明治時代になった瞬間に「いっせーの!」でお侍さん方が一斉にちょんまげを切ったわけでもなければブルネレスキの前後で美術の本質が変わったわけでもない。

 さすがにエピステーメーみたいなカッチョイー言葉を使って断絶の歴史を語られたら「そうなんですね」と納得してしまうかもしれないが、それでも表現がカッチョイーだけなのではとの思いが拭いきれない。

 近代ってそういうものだからさ!中世はみんな神への信仰に生きてたからさ!写実的な表現を印象派がぶっ壊してからが近代芸術なんだよ!無論、全部つまらない。

──以上、建前──

 以下は断絶についてしか書きません。断絶系の議論が(私のように)嫌いなら早めにブラウザバックするが宜し。♨︎

 最近、頭に憑き続けている断絶がある。それは平安と鎌倉の間のUFO現象の断絶だ。
 
 UFO文化史的なものはユングあたりに説明してもらうとして、適当な涅槃図を何点か見てみよう。国立博物館のデータベースとか使うといいよ。確実に断絶がある。UFOがいるかいないか。そしてそれは12世紀と13世紀の間に、つまり平安時代と鎌倉時代の間にUFOの流入があり、断絶が起きているように見える。
 
 「UFOなんかいねえじゃん!」仰る通り。宇宙人の乗り物である空飛ぶ円盤(flying saucer)なんて仏画に描かれているわけがない。しかし適当なUFO出現映像を思い出してほしいが、あれ乗り物に見えますか?もしかしてあなた、UFOに乗って地球にやってきた宇宙人だからそんなこと言えるんじゃないの?

 「ヤバい体験」ということを考えてみましょう。一人の男にご登壇願おう。彼は飲み会好きなバカ息子だったが政治闘争で囚われたことによって鬱病の人になった。そんな時に「ヤバい人」から「私の家を直せ」と命令を受けてその言葉に従った。その後は「ヤバい人」の教えを広めていくが、彼の晩年に事件は起こる。ある日、彼が岩山にいると、空から翼を持った光り輝く人物が現れる。彼はその人物が「ヤバい人」からの遣いということを理解する。次の瞬間、彼は「ヤバい人」とお揃いの傷を授けられたのである。その数5つ。この場面を描いた絵画作品(絵画にされるほど偉いのだ!)を見るに、翼の人物から光線がピーっと伸びて彼の体に傷を与えているようだ。

 はい、みんな大好き中世・ルネサンス期の社会のスーパースター、アッシジの聖フランチェスコさんのことですね。

 お気付きかと思うが、「ヤバい人」はキリストでも宇宙人でも話が成り立ってしまう。逆に宇宙人にした方が我々にとっては馴染み深くなると思うのですが、如何でしょうか。宇宙人から命令されたり宇宙人から傷を授けられるなんて、何万回聞いた話だろうか!

 「ヤバい体験」はある程度の原型が考えられる。キリストに忠実な聖フランチェスコにとって熾天使だったものが、共産主義の脅威に怯えるアメリカの人々にとってUFOであったというだけなのだ。

 そう考えると、ある程度人類に共通するものがそれぞれの文化によって変形されたものの一つがUFOということになる。

 さて、UFO現象の特徴は「重力を無視」、「光り輝く」ということに集約されるかと思われる。実際、ヨーロッパでの妖精目撃体験談はこの点をUFOと共有するため、どちらが妖精でどちらがUFOか文章では分かりにくいことがある。

 「重力を無視」、このことは浮遊能力があるというだけではない。空に浮いた時の動きも重力を無視したものとなる。これがUFOのジグザグの軌道に他ならない。

──涅槃図の話は?──

 涅槃図にもジグザグの軌道があるではないか!それは空から(空から!)息子の死を聞いて駆けつけてきた摩耶夫人である。

 摩耶夫人は仏陀の母親である。腋から子を産み、その子の訃報に際して空から駆けつけるとは、まったく、この親にしてこの子ありというものだ。

 あの摩耶夫人とて瞬間移動が可能なわけではない。遠い地にいる家族の通夜に行くとしたら身支度をパッと整え、タクシーに乗って駅まで、そして新幹線に乗るものである。ということで摩耶夫人は考え得る限り最速の乗り物である雲に乗って息子のお通夜(?)に向かう。

 彼女の乗る雲は、作例によってはかなりのスピード感で描かれている。その軌道がUFO目撃談のものと類似していることは、雲であるが故に跡が残り、かなり分かりやすく表現されている。

 さてさて、ここからは検討するサンプルも揃っていないのでタイトルにもあるように覚書でしかないのだが、鎌倉時代の日本人はUFOを描きたいがために涅槃図の様式まで変えてしまったのではないかという話をしたい。

 造形作品を考えるのであれば、描かれている主題とか画家のバイオグラフィーより作品の基礎データが重要なのは言うまでもない。即物的な視点だ。この視点からすると、平安時代までの涅槃図は概して横長で、鎌倉時代からは縦長ということになる。この差が何を生むか、平安時代のものはその場に居合わせた人々や動物の臨場感が強調され、鎌倉時代以降はもう少し風景表現や数多の生物の表現がなされると言われるだろう(全くその通りでございます)。

 しかし、この縦長の画面は風景表現ではなくUFOの表現のためだという視点を提示したい。

 画面が縦長になることで数多の生物が描きやすくなることは理解できる、風景表現もそうだろう。しかし、長くなった画面が生物を敷き詰めることに貢献しているかというのはかなり微妙なところがある。長くなった画面の上部はほとんどが木々の葉で埋め尽くされており、生物の姿が無い作例が多数見られる。また、風景表現にしたって、横長の画面でも鬼気迫る表現がなされている。つまり縦長にすることで描けるようになったものはUFOしかないのではないか。

 横長の涅槃図にも摩耶夫人らしき人物は見当たる。しかし、UFOはいない。このことを武家政権の樹立という、日本において考え得る限り最大の政権交代や、それに起因する諸外国との関係の変化というコンテクストの中で考察する必要がある。

 作品単体で考察したとしても、縦長の作品が多くなったという即物的な問題は、そのまま宗教的な儀礼における役割の変化という、物質に還元できない問題に繋がる。まして、摩耶夫人が宗教的な作品で上から下へという方向に動くというのだから、バロック礼拝画のキリストや聖母の位置付けに近くなったと言えるだろう。

 となると、軽く考えて理由として思いつくのは聖母の幻影と同じ原型が伝わっていたとか、そんなところだ。同時代のキリスト教社会での聖母崇拝の勃興、そしてそもそもの地母神が姿を変えた形としての聖母ということを考える必要があるとは思うが、地母神が空からというのもなかなかに考えにくい。崇拝の型が聖母や地母神だとしても、諸外国との関係の変化によってその辺りがいきなり入ってくるか?とか崇拝の移動の速度とかの話にもなる。「この時代は〜」とか言わない真剣な調査が必要だ。文化史、民俗学的なアプローチが必要になるだろう。

 ともかく、12世紀の後半から13世紀の間にUFO(現象)は日本で、少なくとも日本の涅槃図の中で描かれるようになった。まだまだサンプルも少なく、全くの思いつきの域を出ないかもしれないが、UFOが描かれるか描かれないかという断絶を考察してみるのも良いのではないか。そしてその一つの指標として、UFOのために様式すら変えたように思える涅槃図は一考の価値ありなのだ!


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