見出し画像

世紀末プレイステーションバロック講義

 大抵のディケイド単位のヒヒョーは信じていないが、初代プレイステーションの時代というものはある。断じてミレニアムと言ってはいけない。プレイステーションの時代なのだ。

 Mylene Farmerの「プレイステーションの」アルバムを聴いてみよう。Mylenium Tourだ。失敬、早速ミレニアムと言ってしまった。プレイステーション的ハイライト(?)は2曲目のL'amour Naissantだろう。イントロの安っぽいホーンサウンドで僕らはポリゴン調のテクスチャーの世界に連れ戻される。ホーンの生音など使ってはいけない。リアルなホーン?そんなものbaroqueの大天使が吹くのか?ノストラダムスの予言が真実であったならば、ガブリエルはプレイステーションの音源を奏でていただろう。

 時代はまさにbaroque。荒野に屹立するgrotesque。マニエリスム全盛の時代に「次はbaroqueが流行る」と予言した若桑みどりの慧眼たるや。ここはポリゴンの砂粒が頬に当たって痛いだろう。ここは意味不明な建築物ばかりだろう。しかし頓丘にはなり得ぬ。ここはプレイステーション。僕らが作った遊び場だ。そうこう考えていれば、羅浮仙たるミレーユの口が開く。2023年現在、プレイステーションの最新機種はPS5だが、初代PS時代ほどの美しいキャラクターは現れていない。人間はポリゴンに勝てない。ポリゴン時代にのみ、羅浮仙は僕らの前に姿を現すのだ。もし君が異論でも唱えようものなら、僕が言うはただ一つ。舒而脱脱兮! 口を閉じてミレーヌを見給へ。その仙女の皎皎たるや!Quel monde…と大音量でそっと囁かれた瞬間に、僕らはジャケット写真にある白皙たるミレーヌで満たされる。この瞬間の法悦たるや!標母の恵にも思えど、韓の才無きを愧ずるのみ。

 プレイステーションのみが、唯この機械のみが窈窕極まる羅浮仙を羅浮山から引き摺りおろしたのである。何故か。僕らはチャイニーズ・ゴースト・ストーリーの照明光のもとでプレイステーションを理解する必要がある。

 チャイニーズ・ゴースト・ストーリー(以下、CGS)、それは1987年に誕生し、2000年(断じてミレニアムと言ってはならないのだ)までの世界の光と霧を完膚なきまでに征服した中国映画だ。無論ミレーヌだってイメージの面で影響を受けており、それに留まらず、この作品のようにワイヤーアクションに挑戦してしまうなど、その影響力の強さは計り知れない。

 否、ミレーヌにとってのCGSの話ではない。CGSのスモークこそがPSの時代の霧であり、あの青い光こそがPSの光なのだ。無双と聞いて一騎当千を思い浮かべる君たちには悪いが、三国無双と言えば1VS1格闘ゲームとしてしまうのが時代ファンたる僕の負茲である。あの剣と剣が交わるサウンド!10年前のCGSで幾度聞けることか!それに、僕らはCGSによる中華美女熱に感染したら10年はその病に魘されることを知っている。僕らは三国無双のメニューから中華美女の歌うテーマ曲を聴く。そして僕らは脳漿にまで闖入した女子十二楽坊の翳を追い出すことができない。そうそう、翳という文字は、元来は鳳凰の別名であった・・・

 最早これはインショウヒヒョーにもならぬ、フンイキヒヒョーである。動も妄言というところだ。それなのに僕は、王の二つの身体ばりに普遍をCGSが、個別をPSが支配した1990年代後半という時代を信じている。歴史区分は一般に王朝の名で指し示すだろう。これこそ、僕がこの時代をプレイステーションの時代と呼ぶ理由なのだ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?