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Dr. Hagens讚

 人體の内部構造を衆目に曝したDr. Hagensに就きて。何爲、其の貴なる医者をスコラ學の正当に位置する神學者として言祝ぐを看ず。羞摩羞し、羞摩羞しや。死體を滿たす液體の存在を識りながらSt. Thomasと較べずとは況や。

 基教の復活概念の殊に物質的なるは凄まじ。最後の審判は霊的存在の裁かるるに在らず。墓より起き上がりつるcorpusの裁かるるに在り。而して甦へる肢體は如何なる姿か。St. Thomas曰く、在る可き姿にて。二十一世紀に於いて諸國の草民に知らぬ者の無いdeoxyribonucleic acidの論理也。腕の欠損した貌にて死んだ者はgenumの天啓に依て完全な腕を得、裁かるる。幼き貌にて死んだ者も同じうして青年期の貌を得る。 

 腸内は如何に。穢れの詰まる姿にて甦へるか、否。復活に於いて汚穢は不要也。全き空洞にて甦へるか、否。Aristotelēs曰く、自然は真空を避ける。故に、腸内をして聖なる液體にて満たす可し。

 此處に於いて正統的神學のgenum的論理は秘教主義の星辰體の論理の楣を示す。蓋し人體の遂に行き着く姿とは、内部に星辰の如き流體の充滿する姿也。

 豈にDr. HagensをSt. Thomasの幻視する流動體に滿たさるる死體の実現者と呼ばん也。死體は脱水され、液體樹脂を流し込まれ、腐敗を知らぬ肉體となる。其の手法はplastinationと称さるる。而して流動體をして人體の基本構造と爲すDr. Harveyは動的バロォクの思想家也。却りてSt. Thomas=Dr. Hagensの液體は靜謐の中に在る。何故か。聖別に依りて。

 古代期希臘に於いて不變は飽怠であると與に聖別さる天の徴也。Sōkratēsの愁う可しは、愚衆に於いて不變の靜的世界即ち變化の無き唾棄さる可き世界なること也。聖なる存在は靜謐をその第一原理と爲す。變化の無い事。不變である事。永遠は靜的也。永遠は自耳を唯一の原因と作し、外的原因に衝き動かさるる事無し。Dr. Hagensのplastinationは人體を敎て永遠的存在と化さす。豈に其れ人體の聖別化と称さん。 

 Dr. Hagensこそ、St. Thomasの説く神學的流動體に依る人體の聖別化を爲したる正統的神學者也。私は羅馬に其の列聖を求むる。同じうしてplastinationを基教的復活劇の技法として聖典に記すを。

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