トラックに轢かれて脳が飛び出る女児

 メルヘンとは巌谷國士が力説し、我々の深層心理に巣食うとされるドロドロとした物語世界に他ならない。蓋し、赤ずきんのような物語化が為され尽くしたメルヘンや、それらに都会の事象を当て嵌めて形成した都会のメルヘンは語られども、郊外のメルヘンは語られていない。郊外のメルヘンと呼べども猶、実態を掴めてない。それは教習所のメルヘンだ。

 教習所の教官からこんな話をされたのは私だけではなかろう。幼稚園の送迎バスから降りた我が子を反対車線から呼ぶ母親。幼女は車道を走る。トラックに轢かれる。頭蓋骨が砕ける。脳が飛び出る。ショックを受けて、母親は自殺してしまいましたとさ。

 この話は教官の過去の思い出として語られた。しかし、恐らくこの話は読人不知なのだ。車両の免許を獲得するための場で語られている為、車両の危険性を示す挿し話となっているだけだ。

昔々、あるところにかわいらしいお姫様とそのお母さんがいました。

お姫様はお城で開かれる舞踏会を楽しみ、馬車に乗って帰ってきました。

馬車から川沿いに降りたお姫様を、お母さんは「こっちだよ」と自分のいる向こう岸呼びます。

お姫様は川を渡りますが、そこで鰐が水中から出てきてお姫様の頭をパクリ。

お姫様の頭は砕け、川の中に脳が散らばってしまいました。

お母さんは、向こう岸で悲しんでいました。

めでたしめでたし。

 道路の向こう側にいる女児も母親も、最後には死の世界にいる。そしてお母さんは、赤ずきんやシンデレラのように良いお母さんと悪いお母さんに分裂していない。産むと同時に、その手で我が子を捻り殺すことのできる母だ。それぞれ産むだけ、殺すだけの母親に分裂した御伽話など較ぶべくも非らず。そして血と臓物の神聖な溢出。神話よりも前へと人間の意識を遡った時に射出される赤い赤い光線。

 渡川、恐ろしき母、鮮烈な血のイメージ。メルヘンと呼ぶにはメルヘンでありすぎる。

 スカム・メルヘンとでも呼ぼうか。世のインテリゲンチャどもが教習所のメルヘンに目を向けたことがあったか。否、お願いだから目を向けないでくれ。学問なんかに貶めないでくれ。これは車を合法的に運転しようとした人間に降り掛かる呪いだ。種類を問わず車両の免許取得率は依然として高い。この多数派の日本人の頭の中には、脳と血を垂れ流す女児の幻影が潜んでいる。

 物語より前へ。その為には物語を読んでいけない。何の変哲もない日常に潜む血と臓物の溢出に耳を傾けよ。これが物語だ。これが真実だ。これがメルヘンだ。これが現実さ。

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