- 運営しているクリエイター
#相手
他人からエネルギーを吸う人がいると、私は思う
科学的な証明は見当たらないし、分からない。私には心霊的なものは見えないし、分からない。
しかし、「一緒にいるとエネルギーが吸い取られる。」と感じる相手がいる。それは話すと理解に食い違いが生じ、どっと疲れるとは違う。言葉なんてものは必要がなく、同じ空間にいるだけで、力を抜き取られるのだ。その人は、一緒にいる私や周りから吸い取ったパワーで浮足立っていたり、ギラギラしているという感じのものである。もちろ
主体的に選ぶ環境を相手に与えるから、自分の仕事を選んでもらえる
コンプライアンス調査を依頼する外注業者は、予算、ノウハウ、秘密保持についての信用性から、一社しかなかった。当該外注業者は、他社の8分の1程の予算であるにもかかわらず、クオリティが劣らない。
よって、会議では該当一社の提案をする。
しかし、この提案がなかなか進まない。他に選択肢がないことは、日を見るより明らかであるにもかかわらず、愚痴や非難で溢れて進まないのだ。正直、どのようなコンプライアンス調査
やってもらって当たり前はないということに気が付いた
役職が上とか下とか、勤続年数が長いか短いかとか、年齢がどうか、そういうことではない。
ただ、相手とともに仕事をしていく上で何が必要か。どっちが上下ではなく、共に成果をあげる仲間として、人付き合いをしていく。
結果として、自然に「ありがとう」「お願いします」との言葉が出るようになった。
そうすると、日常でも誰かの労力に対して、成果は関係なくありがとうと感じる。
美味しくない料理にも、
イマイチな
人を試すと、試された方はいなくなってしまう。その時、他人を巻き込んで追いかけることは打開策ではない。
特に嫌いではなかった。職場では親切にしてもらっていたし、息が詰まりそうな雰囲気のときに話しかけてもらい、体が楽になったこともある。救われたことは数知れず。
しかし私は、彼女とは職場で会ったら話すくらいの距離が楽で、それ以上、関係を深めることは望まなかった。
だからランチも夕飯も、スーパー巡りも断っていた。誰に対してもであるが、関係を深めることは円滑に仕事を行う上でも避けてもいたのだ。
しかし親子
「すいません」より「ありがとう」を使う”3つ理由”
日々、社会で過ごす中で
相手にお礼を言うタイミングは
数知れず訪れます。
仕事を手伝ってもらったとき。
家事をやってもらったとき。
友達からプレゼントされたとき。
こちらからお願いする場合もあれば、
ときには予想できない場合もあります。
そうした場面で、ついつい口ぐせのように
「すいません」と使っていませんか。
じつは、その口ぐせは
あまりオススメできません。
たしかに…
かしこまった気