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モデル 雅子 を追う旅

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「モデル 雅子 を追う旅」がんで他界したモデル雅子の半生を追ったドキュメンタリー映画。監督を務めた夫の大岡大介が、映画では描ききれなかった事柄や裏話を書いてゆきます。
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#モデル

雨の日に、素麺。

雨の日に、素麺。

雨が降っている。

引っ越したばかりで、まだこのあたりの路線には慣れない。とはいえ、小さな電車が走る、空が高い町だ。線路沿いに、少し店が並ぶ。線路の向こうに、軽くサッカーでもできそうな昔ながらの原っぱがある。食料品、服、本、飲食店などなど、少ないけれど必要十分な陣容の駅前店舗たち。「この出汁ポン酢買ってきて」と雅子に言われたものと、すりゴマ、大葉、などを買って、線路の踏切を渡って、ビニ傘さして雨に

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横浜で再スタート。

横浜で再スタート。

「モデル 雅子 を追う旅」を7/26(金)に公開して、はや一ヶ月半が経った。

作り始めたときは「東京のどこかミニシアターで1週間出来れば御の字」と思っていた。かと言って、プロのモデルを扱う映画なのだから、構えもプロでなければならない。かつて映画製作ビジネスを手掛けていたので、幸いにもある程度のカンは働いた。

それで一心に作り、口説き、巻き込み、ご理解ご協力を頂いて、映画「モデル 雅子 を追う旅

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雅子 vs 太陽。

雅子 vs 太陽。

2019年7月20日土曜日。
映画「モデル 雅子 を追う旅」公開6日前。

どんよりした天気が続いて太陽が恋しい。
夏生まれの雅子も、梅雨の最中はふさぎがちだったように思う。
「肌はイイんだけどねー」
と言いつつ頬っぺを指でうにうにしながら、
晴れない空を見上げていたこともある。

しかし梅雨が明けると、毎度雅子の奮闘が始まった。

屋上のオリーブに水をやる、と言って上がっていく雅子。
ついていく

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オリーブのこと。

オリーブのこと。

2019年7月16日火曜日。
映画「モデル 雅子 を追う旅」公開10日前。

雅子と二人で今の住処に住み始めたのは、2007年の3月末。
とりあえずリビングと寝室を大きく空けて、
荷物の箱を、書庫にする部屋と僕の仕事部屋に押し込みつつ、
少しずつ片付けていく。
それもそこそこ見えてきた5月くらいに、
どちらからともなく「屋上になんか植えたいね」と言い出した。

常緑樹で手入れが雑でも育ってくれるの

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2006年のこと(冬)

2006年のこと(冬)

↑ 二人で引っ越した新居の屋上から、もう1年経った冬の景色。
この頃は、まだ富士山が彼方に見えていた。

2019年7月8日月曜日。
映画「モデル 雅子 を追う旅」公開18日前。

そんなことで、ちゃんと紙も出し、共同生活が始まった。
それなりに睦み合い、それなりに放っておき、
それなりに諍ったりもしながら、まあまあの距離感だったと思う。
雅子はどう思っていただろう。
思い返せば、その時期はまだ、

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2006年のこと(秋)

2006年のこと(秋)

2019年7月2日火曜日。
映画「モデル 雅子 を追う旅」公開22日前。

イタリアから帰ってきて、夏のど真ん中をどう過ごしていたのか、あまり記憶にない。多分、僕自身はそれなりに忙しくしていたんだと思う。確か「木更津キャッツアイ ワールドシリーズ」の公開が2006年10月28日。その宣伝作りを頑張っていたのは確かだ。

一方で、きっと雅子も忙しくしていたんだと思う。こちらに転がり込んでくる、引っ越

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2006年のこと(夏)

2006年のこと(夏)

2019年6月29日土曜日。
映画「モデル 雅子 を追う旅」公開27日前。

前回に書いたようなことになったので、
「夏休み取ったら旅行に行こう!」となった。
色々検討した。
パリ。「夏行っても、どこも休みだよ」
トルコ。「うーん、なんか」
バリ島。「だから日焼けはさあ」
などなど悶着あった。
今にして思えば雅子は、
彼女の趣向が合うどの行き先が、
僕に合っているのかを考えていたと思う。

パリが

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2006年のこと(初夏)

2006年のこと(初夏)

2019年6月23日日曜日。
映画「モデル 雅子 を追う旅」公開33日前。

2006年の3月に試写会で出会い、フランス映画祭に通った。
フランス映画祭も終わって、けれどちょいちょい会い続けた。
日記もブログもつける暇など無かったので、
何月何日に何をどうしていたかなどの記録はない。
でも覚えていることはまあまあある。

街場の映画館でも一緒に映画を観るようになった。
たしか最初に観たのは「寝ずの

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2006年のこと(春)

2006年のこと(春)

2019年6月20日木曜日。
映画「モデル 雅子 を追う旅」公開36日前。

僕が雅子と出会ったのは、2006年の3月初旬。
僕が35歳の時分。僕はその前年1月に離婚していた。
「しばらく恋愛とか結婚とかいいわ」と思いつつ、
焦ることもなくボンヤリしていた。

会社では映画製作の仕事をしていて、その縁で試写会ハガキが度々舞い込んでくる。フラリとその試写会にお邪魔したら、「そんな隅っこにいないで、こ

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大事な習慣。

大事な習慣。

2019年6月18日火曜日。
映画「モデル 雅子 を追う旅」公開38日前。

取材を受けていて、
「雅子さんが美を保つためにしていた特別なことは?」
などと訊かれる。
「特別なこと」と言われても判らない。
特に高価な化粧品を使っていたわけでもなく、
毎日高価なエステに通っていたわけでもない。

強いていうなら「習慣」だろう。

できるだけ歩く。
朝食にヨーグルトと果物を必ず摂る。
夜20時以降は食

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文句があるなら、降りてこい。

文句があるなら、降りてこい。

2019年6月16日日曜日。
映画「モデル 雅子 を追う旅」公開40日前。

有り難いことに、何件か、
映画についての取材をして頂くことができた。
中には自宅まで来てくださっての取材もあった。
みな土足で踏み込むなどということはなく、
誠意に満ちて一所懸命だった。
本当にありがとうございます。

今後も、この映画を観て頂くために、
できるだけ取材にお応えできればと思っている。

そんな中、ちょっと

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距離感、だいじ。

距離感、だいじ。

2019年6月13日木曜日。映画「モデル 雅子 を追う旅」公開43日前。

先輩との親交をベースに、
「NPO法人スーパーダディ協会」に寄せてもらっている。
僕の役目は主に、動画収録担当だ。

「NPO法人スーパーダディ協会」

そのスーパーダディ協会が、今夜
「フウフゲンカシンポジウム シブヤ 2019」を開催した。
「2018」は昨年10月に開催され、
僕はその動画収録を担当した。
その内容が

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雅子と吉祥寺、少しだけ。

雅子と吉祥寺、少しだけ。

2019年6月12日水曜日。
映画「モデル 雅子 を追う旅」公開44日前。

季節外れの桜の写真。撮ったのは2011年4月10日。
分かる人には分かるだろう。
井の頭公園の池の桜だ。吉祥寺なのだ。

この映画の封切劇場「アップリンク吉祥寺」。
雅子が生きている間にはなかった劇場。
けれどアップリンクさん自体には、雅子は縁深い。
その所以は、映画本編に描いてある。

雅子といえば「銀座」「青山」「恵

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晴れ女、日傘の女。

晴れ女、日傘の女。

2019年6月11日火曜日。
映画「モデル 雅子 を追う旅」公開45日前。

昨日まで降ってた雨が止み、
今朝はすっきり晴れた。
雅子にまつわる雨の思い出は…と昨夜考えていたのだが、
酔っていたからかあまり思い出せなかった。

「わたしは晴れ女だからね」
と言っていたような気がする。
そう。雅子といえば「日傘」だ。

毎年3月から10月いっぱいまで、
昼間の外出時には必ず日傘を差していた。
目が紫

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