マガジンのカバー画像

学術的(?)、研究者的(?) 考察

138
運営しているクリエイター

2024年5月の記事一覧

現代人に大流行の「自分をダメにする言葉」

本日は、現代人に大流行、いや、もはや現代日本文化と言っても過言ではないほど多くのひとが当たり前のように無自覚に日常で行い続けていることについて、綴ってみようと思います。

とはいえ、私は今までもこの「流行」について、「セルフトーク」という言葉や、「自動思考(言動行動)パターン」などという言葉で、何度も記事を書いてきたことでもあります。

しかしながら、今日は少し、普段と違う角度の説明も加えて。

もっとみる

その中で守られている選択と、囲われている選択は違う-が、受け取りかたでどちらとも思いこむことはできるかもしれない

急激に世界の広さが本当の意味で見えるようになってくると、それまで驚くほど狭い方向性や角度から物を言っていた(そして支配されよう支配されようという風に周りをコントロールしようとしていた)「自分自身の」言葉や見え方や思考回路と今の自分にギャップを覚え、それがゆえにしばしば「今までの自分」を受け止め寄り添い合わせてくれていた相手や環境に自分が支配され縛られていたのだ、と思い込む。
ちなみにこれは成長段階

もっとみる

あなたの優先順位は、あなたの中身ではなく、あなた全体を動かすこと

あなたの人生での優先順位は常に、
「あなたが自己実現をしながらあなた自身の人生全体を進めて行くこと」
です。
その中身の一部だけを動かすことが優先順位でもないし、
その中身の一部だけを「消す」ことが優先順位でもないし、

その中身の一部だけにフォーカスしてそればかりしか見えなくなったら、全体も動かないどころかそのフォーカスしている対象も動きません。
なぜなら、全部全体が動かなければ中身も動かないし

もっとみる

つぶやきーひとの学習と心

ひとはね、何らか反応してもらえたら、その反応の内容の良い悪いに拘わらず(そもそも善悪は存在しないのでひとの潜在意識はそれを区別・判別しない)、その反応されたもとの行動を繰り返すという傾向があるのです。
(寧ろ、その反応が印象的だったら尚更その反応を引き出した言動行動を何度も何度も繰り返すというゲームを無自覚に行います。)

突っ込んだり反応したりイラっとしたりする限り、その人は無自覚にその反応をあ

もっとみる

生活で視力を使えるとはどういう状態なのか―私が誤解されやすいところ・困っていること

私の、困っていること。
そして私自身の特徴でありながらも、それを家族にすら(いや、逆に近く長い付き合いの人であるほど、逆にひたすら隠し誤魔化してきてしまったがために)わかってもらうことがひどく難しいことについて、綴ってみたいと思います。

私は、ながらく、視覚障害であるとは思われていなかった時期がありました。
しかしながら、だからといってそれまで「視覚」で生活をしてきたかというとどうもそうではなく

もっとみる

読書の重要性―「読書」というだけのことが如何に「ヒト」が生きる上で必要なすべての要素を育てるか

私はここ2週間程、毎日、点字図書で借りてきた「銀河鉄道の夜」(宮沢賢治・著)を読んでいる。
私の目的としてはまず第一には点字を読む、ということ自体の訓練。
そこで、あらゆる事情が重なって、第一弾として宮沢賢治の銀河鉄道の夜を選ぶ運びとなった。

そのあらゆる事情というのはこの記事では割愛するが、そのうちの理由の中で大きなひとつが、今回の記事でお話したいことでもある。
元々その目的もあったのだが、毎

もっとみる

言葉が変われば現実世界が変わるーあなたの人生の困りごとは、言葉ひとつの使いようで解消していく

最近、ラジオで良く聞くフレーズ

新しい自分に今会いに行こう
勇気がなかったら後回しにしよう
勇気を探しに今歩き出そう

曲の歌詞の一部なのですがね。

これを聞いた時、なんともにやりとした。

この人もやるなあ、なかなか詐欺師だな、と(笑)
良い意味でね。

セラピストは、ある意味、時として詐欺師、ペテン師です。
というのも、言葉の使い方を巧みに心得ているから。

そして、同時に、潜在意識と対話

もっとみる

あなたの能力、育てるとか身につけるものだと、思っていませんか?

現代日本人にとても多いように感じていることですが…

例えばあなたは、
「私は別に何の能力も得意教科も特技もない。社会に貢献できることも自分の仕事として大成できるような要素も何も持っていない。私は平凡で、何もできないなあ。大勢の中のひとりだなあ。」
…などと、思っていませんか?
(今の日本人は、そう思わされるよう思わされるような潜在的教育が家でも学校でも社会文化全体でも行われるようになっていますか

もっとみる

「痛い」「眩しい」という言葉の一般的語弊

つい先日、私の主宰コミュニティで、ゲストも交えての座談会の収録を行った。
第1回目として、まずは、私自身の「視覚」の状態について。

私は、「眼球使用困難症」という呼び方をする他ない、という、要するに国の判断基準には当てはまらないが「視覚」自体を使うことが実質困難な、文字通り「眼球(というより視機能)使用困難状態」であるわけだ。
この辺りについては私の過去の記事をお読みいただきたい。

さて、とこ

もっとみる