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#元気をもらったあの食事

だれもが日常生活で経験する「食事」だからこそ、そのエピソードはひとそれぞれ。みなさんの「元気をもらった食事」について、自由にご投稿ください。

クリエイターの参考作品

定番の記事一覧

家庭訪問先でステーキを食べて泣いた話。

「さあさ、もう焼き上がりますんで。」 玄関で靴を脱いでいると、にこやかにそう言われた。 もう、焼き上がり、ますんで・・・? 漂う焼けるお肉の、暴力的なまでにそそられるいい匂い。お昼に食べた給食はすっかり消化し終えている。ほどよく空っぽの胃が、物欲しげにきゅるきゅる動く。 ・・・ちょうどご夕食の準備中だったのだろうか。タイミングが悪くて申し訳ない。早くお暇しなければ。 そんなことを考えながら案内されつつ、部屋に続く廊下を歩く。 「さあさ、先生、こちらです。」 そして通さ

分かち合った夢と分け合った食パンと肉屋のコロッケ

24歳で上京した。 憧れのプロミュージシャンになるためだ。地元の愛知県から全国ツアーまでやれるようになっていたバンドを辞め、全く別の音楽性のバンドを組むために全てを捨てて上京した。 東京でバンドを組み、毎日の様にスタジオに入り曲を作り練習をするのはもちろん、レコード会社にデモテープを送り付け、ディレクターに直談判しに行き、音楽ライターを接待…考え付く限りの事をした。 しかし、練習以外の事はなんの役にも立たなかった。大人たちは口では調子の良い事を言っていたが、その実、何の実

1998年のカレーライス。

勢いで口走った啖呵にしては、あまりにおおきな岐路だった。 仕切り板一枚を隔てただけの、ミーティングスペース。24歳のぼくは、勤め先の社長からかなり理不尽な理由で、長い叱責を受けていた。ぼくは間違っていない。ここで謝っちゃいけない。そう決めていたぼくに、社長の言葉は人格否定の烈度をぐんぐん上昇させていき、ついには「辞めてしまえ!」と口走った。売り言葉に買い言葉とは、おそろしい現象である。ぼくは反射的に「じゃあ辞めますよ!」と応じ、ほんとうに会社を辞めることになった。誕生日を間

疲れたふたりの、負けねえぞのステーキ

2020年のはじめに世界的なパンデミックが起こり、あらゆる変化に対応し続けた。その年の終わり、わたしたちはほとほと疲れ切っていた。 そんな年末に、友人から「お正月に逃げ恥のスペシャルがあるんだって。一緒に観ようよ」と連絡があった。2016年に放送された大人気ドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』のスペシャル版が5年ぶりに放送されるというのだ。それは絶対に観ないとねと盛り上がり、ドラマの放送に合わせて都内のホテルを予約して、ドラマの前に美味しいものを一緒に食べよう。ドラマを観て、あ

日清オイリオ×noteで、投稿コンテスト「#元気をもらったあの食事」を開催します!

日清オイリオとnoteで、「#元気をもらったあの食事」をテーマに、投稿コンテストを開催します。 わたしたちが生きていくうえで欠かすことのできない、日々の食事。それは身体の栄養を摂るためだけのものではありません。 そのおいしさに感動した経験や、だれかと一緒に囲む食卓でのなにげない会話など、心のエネルギーにもなっているはずです。 そんな、食事を通じて元気をもらったことや心が動いたエピソードなどの投稿を募集します。 だれもが日常生活で経験する「食事」だからこそ、そのエピソードは

【祝】はんぺんチーズフライって、とってもエモーショナルな味がするんだね【編集部のおすすめ選出】

 掲示板に「210」の文字はなかった。  つまり僕は、受験に失敗したらしい。  同世代らの麗らかな声が響き渡る県立A高校玄関前。不合格なる酷な現実を前に、しかしそれでいて己が心はまるで鏡よろしく凪いでいた。  何せ十五歳当時の僕ときたら分厚い参考書よりも電撃文庫や富士見ファンタジア文庫などの、いわゆるライトノベルを手に取る頻度の方が遥かに多かったわけであって、当然最悪のシナリオも想定内、いやむしろ合格したら奇跡くらいの心持ちで端から勝負を諦めていたのだ。  幸い、滑り

平凡と思っていた「トマトと卵の中華炒め」を急に意識し始めた話

皆さん、トップ画像が何であるか、おわかりだろうか? そのとおり! 我が家の今晩の食卓に並ぶおかずの1品である。 この料理であるが「トマトと卵炒め」と呼ばれたり、「トマトと卵の中華炒め」などと呼ばれたりする。 名前に「中華」と入っているとおり、中国では非常に有名な家庭料理である。 中国語では「西紅柿炒鶏蛋(シーホンシーチャオジーダン )」とか「西紅柿炒蛋(シーホンシーチャオダン )」とか呼ばれている。 「西紅柿(シーホンシー)」というのが「トマト」であり、「鶏蛋(ジー

食べるひと

義父との懐かしい思い出です。 とにかく「食べる」ことが好きな人でした。 食べることが苦手で生きることに今ひとつ弱気というか消極的だった私には、義父はある意味、衝撃的な生き方をしていた人でした。末期癌だろうが、胃のほとんどを摘出しようがお構いなし。生涯「普通に食べて生きる」を押し通した(しかも食欲が全く衰えない)人だったので、とにかく凄い生き様を見たという気分でした。弱い私にはガツンと来る。 義父のように命尽きるまで 働き歩き食べて生きてく。 しっかり生きろよ自分!です。

記憶の塩むすび

「おかかと、もちチーズ。味噌汁セットで」 キャンパスの裏にあるおにぎり屋に初めて行ったのは、大学一年の秋。私はその日まで、おにぎりをそこまでおいしい、と思ったことが正直なかった。 美容室で何気なく手渡された雑誌の、"まごころが決め手!おにぎり特集"と書かれた1頁を見たときも、論理的でないことに納得できず、最後の晩餐に食べたいのはどちらかといえばパンだな、と思った。 しかし、ここのおにぎりは農薬や化学肥料を一切使わないふわっふわのお米に、丁寧に味付けされた手作りの具材。季

思い出を回顧させ、毎日を豊かにしてくれる料理

中学生にもなると、夕飯は菓子パンやケーキ、お弁当屋さんのカレーやコンビニの冷やし中華の日が増える。 それでも家族の手料理が食べたくて、2度ほど「夕飯作って」とお願いしたが、応えてもらえるほど時間の余裕がある暮らしではなかった。なんせ幼い頃に大黒柱が亡くなり、収入が大幅ダウンし働かざるを得ず、加害者との闘いもあった上、よく入院するきょうだいの看病があったからだ。 1日で家族と顔を合わせるのは朝の20分くらい。 中高大学生の頃は、食事をともにするどころか、会話の時間もなかった。

最大限の成果を作るための前提とは?

先日、カフェバーのスタッフと一緒に食事をしてきました! 「美味しい日本酒が飲みたい」 「うなぎの串焼きを食べてみたい」 ということで、やっぱり、ココ! 「新宿うな鐵はなれ」にやってきました! 以前、「新宿うな鐵はなれ」で食事をした時のnoteは、コチラ▼ まず、うなぎの串焼きを注文してみました! 皆、好奇心旺盛なこともあり、 結果的に、串焼き全種類をオーダーしました! 一品目の「肝焼き」が来ただけで、撮影大会が始まっちゃいました! ちょっとしたことですけど、 こ

その階段を降りたら

わたしには大好きな洋食屋さんがある。 ご夫婦でやられている、こじんまりとした、素敵なお店だ。 味はもちろんのこと、マダムの接客が本当に素晴らしい。 23歳の時、一年だけカフェで接客業をしていた。 その時の常連さんが、ここは美味しいよと言って教えてくれたお店だ。 なんと、もう10年以上通っている。 途中、引っ越したりもして、なかなか行けない時期もあった。 でも半年に一回、多い時は1ヶ月に一回は通っていた。 一番好きなメニューは、デミグラスソースのかかったメンチカツだ。

【永久保存】毎日飲むだけで人生が変わる!水筒で甘酒を作ってみよう

ふんわり糀家のレッスンの中で、他のどの発酵調味料よりも絶大な人気を誇る”甘酒”。 レッスンに参加出来ない多くの方にもお伝え出来るよう、動画とブログでわかりやすく作り方をお伝えします。 ▼わたしについて、ご興味ある方はこちらもどうぞ。 |材料はこれだけまずは、材料から。 <材料:約500ml分> ・麹(生)…200g(ふんわり糀家で使用しているのは岡山県のまるみ麹さんの米こうじです。) ・水…300ml ・温度計 ・水筒(口が広いものが作りやすいので、スープジャーがオ

人気中華料理店で学んだパラパラチャーハンの作り方

チャーハンを作ってベチャついて水っぽくなった事はないですか? ベチャつくのはご飯の水分が原因なんです 僕は地元の中華料理店でバイトをしていたんですが、家庭でできるパラパラチャーハンの作り方を店長から教えてもらった事があるんです! この記事では、パラパラチャーハンにする上で抑えておくべきポイントを紹介します 中華鍋じゃなく普通のフライパンでもできます この記事をいいねして、もうチャーハン難民から卒業して下さい!

¥200

かなしさはトマトソースと煮詰めて - 星野源「そしたら」と僕の話

今や時代のポップシンガーになった星野源さん。一昨年、彼が紅白歌合戦で披露した「不思議」は言わずもがなだが、不思議のシングルに収録されているカップリング曲が僕は大好きだ。 それが文頭で歌詞を引用した「そしたら」である。もともとはラジオ番組『バナナムーンGOLD』を担当するお笑い芸人、バナナマン日村さんの誕生日企画で作られた楽曲だったそうだ。あまりのその反響に、カップリング曲に選んだと星野源さんも自身のラジオ番組で語っている。 そんな「そしたら」の英語タイトルは「Tomato

日清オイリオとnoteで開催した、「#元気をもらったあの食事」投稿コンテストの審査結果を発表します!

2023年3月17日から約1ヶ月にわたって開催した、食事を通じて元気をもらったことや心が動いたことについて語る「#元気をもらったあの食事」投稿コンテスト。期間中(3/17-4/16)には、2,659件もの作品をご応募いただきました!読み手もパワーをもらえるようなすばらしい作品を投稿いただき、ありがとうございます。 noteでの応募作品一覧は、こちらをご覧ください。 審査会にて、審査員である古賀史健さん・桜林直子(サクちゃん)さんと、日清オイリオ noteコンテスト担当 に

給食と天使がくれた元気

気付けば上京して29年経つ。28年前にプロミュージシャンとしてデビューした頃、牛丼屋もマックもファミレスもこんなになかった。コンビニはまだ24時間営業ではなかったしインターネットも普及していなかった。そもそも携帯電話すら一般的ではなかった。 あれから29年。時代が目まぐるしく変わっていく中、現在も醜態を晒しながら細々と活動を続けている。 僕は1972年(昭和47年)生まれ。3月で51歳になった。愛知県の田舎で育ったので幼少期はまだカマドや火鉢、掘りゴタツが現役だった。初任給

料理という家事が「誰かの役割」から「誰でもできるタスク」に変わった

『ユーザーさんと一緒にスキ!のヒントを見つけたい』 そんな想いから始めたシャープ公式note。 シャープ公式note(中の人)です。 今回は、Twitterやブログでたくさんレシピの発信をしてくださっている 「ころ」さんのストーリーから、スキ!のヒントを探ります。 今では、 “ホットクック3台(2.4L,1.6L,1.0L)と ウォーターオーブン ヘルシオ(AX-XW500)で遊ぶ”「ころ」さんですが、 1台目のホットクックを購入した当初は、なんて融通が利かない機械なん

美容と健康とスーパーフード

美容と健康に気をつけている方にとって、スーパーフードという言葉はよく耳にするものかもしれません。 スーパーフードとは、栄養価が高く、抗酸化物質やビタミン、ミネラルなどが豊富に含まれている食品のことです。 スーパーフードを摂取することで、肌や髪の美しさを保つだけでなく、免疫力や代謝、心血管系の機能なども向上させることが期待できます。 では、どのような食品がスーパーフードと呼ばれるのでしょうか?代表的なものをいくつか紹介します。 アサイー アサイーはブラジル原産のヤシ科の

【二郎系】を食べたいけど、色々怖いわ~って人におすすめの神ラーメン店「豚山」

リラックスできる空間で二郎系ラーメンを食べたい二郎系ラーメンを初めて食べたのは大学生の時だった。頼み方が複雑だとか店員さんが怖め(そうじゃない店舗も勿論あるよ!)だとか聞いていたので、慣れている友人に連れていってもらった。結果的にめちゃめちゃ美味しかったけど、それから自ら進んで食べに行くことはなかった。理由は頼み方が複雑で店員さんが怖めだったからだ。 自分は空間に渦巻く雰囲気に割と影響を受けやすい方なので、あんなにも味が濃いラーメンが、緊張で無味だったのである。 わざわざお金

回転寿司の功績について真面目に考える私の話を聞いてくれますか?

眠たい目を擦って起きた先にある 早起きがすごく苦手な私なんですが絶対に早起きしないといけない時もある。 そう、それが 朝市。 朝市の雰囲気好きなんですができれば午前11時、いや無理はいいませんのでお昼飯時に最大の盛り上がりを見せていただけると嬉しいなんてゴニョゴニョなことは言いませんの私。 食べ物のためなら早起きをするのが私です。 目が寝てる。 ちゃんと目が寝てます。 朝市にずらーって並んでいるカニさんの写真を撮りたかったんだけど、カニさんの写真は撮っちゃダメ

大学芋に勿忘草を添えて

街を歩けば黄色に染まった絨毯を嫌でも目に入れてしまう時期、土の中から掘り起こす芋の様子をずっと見ていたい。祖父母に育てられて15年、一人で生きてきて10年。 あの15年が無かったら、この10年も無いのだろうな。 甘い匂いと焦がし醤油の匂いに包まれる秋は上手くいかないことの方が多かった。 ラーメン屋を営んでいた彼女からはいつも油っぽい匂いがしていた。そんな彼女の作るご飯は世界で一番だ。味が濃すぎる炒飯、ホロホロの肉じゃが、硬めに焼かれたオムレツ。 25歳を迎えて料理が上

フリーランス主婦、大興奮する。

最近なんだか日常が物足りず、かといって海外旅行に行くような余裕や気力はなく、狭い家の中でひとり、もんもんとしていた。 非日常が味わいたい。ぜいたくっぽいことをしたい。自分を労いたい。だけど不妊治療が常に頭にちらついて散財する気にならない…そのあたりの思考を周回して二週間くらい。「そうだ ホテルのレストランのオーダービュッフェ、行こう。」というキャッチコピーが舞い降りてきた(コピーのコピー)。 調べてみるといろいろあるけど、住んでいる近くにない。車を走らせ、とある高級老舗ホ

117km先のトンカツを食べに

大学に入学したての頃に一度だけホームシックになったことがある。 ホームシック、というよりは、家庭の味シック、というほうがしっくりくるかもしれない。あの日のことは、今でもはっきりと覚えている。 はじめて一人暮らしをした5年前、すべてが新鮮だった。あの頃は家賃や公共料金などを両親に負担してもらっていたとはいえ、初めて1人で暮らしはじめた家は自分の城だと思った。決して広いわけでも、使い勝手がいいわけでもない。それでも気に入っていた、わたしだけが暮らす場所。 それに加えて新歓、サー

友達が落ち込んでる時何て声かけたらええか分からん

 自分の事本気で愛してるけど、俺みたいなやつが身近におったらベジータが両手組んで頭ガンって殴るやつやりまくって殺す。死んでもまだ殴る。葬式で木魚の音に合わせて死体殴り続ける。止めに来た坊主も殴る。正直止められへん。幸い周りの人らが優しいから俺は殺されてへんけど、それも時間な問題な気がする。既に俺の事を認知してくれてるお笑いファンの人たちも、俺が屁理屈ベジータってことに気付き始めてもはやお笑い界隈で孤立するのも時間の問題になってきてる。ベジータとかいうイキりアホヘアースタイルっ

愛が隠し味の「思い出のおむすび」

こんばんは、めぐしです。 前回は美学のお話でしたが、、 美学って芸術とも言えますよね^^ 美学は美しい、芸術も美しい。 ということで、 今回は「料理の芸術」について 少し考えてみたいと思いました。 「今までで一番美味しかった料理は?」 って聞かれたら、 どう答えますか? もちろん美味しかった料理は 色々あると思うんですけど、 「一つだけ選びなさい」 ともし僕が言われたとしたら、 「お母さんのおむすび」 と答えます。 中でも、 小学校の運動会の時の お弁当の中

記憶に残る最高の一杯

小学校の時に通っていた塾で他校の友達が何人かできた。その中の一人にYという同級生がいた。Yは塾に来た初日に鼻血を出していた。それが彼の第一印象だった。 そんなYはとても気のいい奴で、自然と塾の日以外でも遊ぶようになっていった。他校の友達の家となると自転車を使ってもなかなかの距離感になってくる。30〜40分かけてお互いの家に行き来した。 そんなYの実家はラーメン屋を営んでいた。 こだわりのスープとチャーシューが売りのラーメン屋。Yはしばしば塾の時にトッピング用のメンマやチャ

元気が出る食事や食べ物を覚えておこう。そうすれば、ずっと健康で楽しい人生を送れる。

10月下旬からずっと体調が悪かった私ですが、数日前から食べてきたある食べ物のおかげで急に元気になってきました。しかも、長期間あまり声が出なかったのですが、声のかすれ(ガラガラ声)も取れてきました。歌の調子も良くて、以前同様にカラオケの満点もまた狙えるかもしれません(笑)。ちなみに、私はカラオケが大嫌いです(笑笑笑)。強制で歌わされることが嫌いで、そのような元上司たちを心から憎んでいます。これは真実です。 今回は、自分にとっての元気の出る食事や食べ物をチェックしておきましょう

入賞したよ

日清オイリオ×noteで開催された #元気をもらったあの食事 投稿コンテストに分かち合った夢と分け合った食パンと肉屋のコロッケの記事が入賞しました。 ありがとう!仮面ライダー!! ※俺は悪いことは全部「ショッカーの仕業」で、良い事は全部「仮面ライダーのおかげ」にしてしまう生粋のラヲタ(仮面ライダーオタクの不穏当な略)である。

¥100

おじいちゃんのポモドーロ

亡くなったその日の朝も、ちゃんと冷蔵庫にズッキーニとトマトがあるか、引き出しに玉ねぎとパスタがあるかを娘たちに尋ねていた。90歳まで元気に生きた私のおじいちゃんは、かつてイタリアのシチリア島の漁師だった。ジュゼッペという名前で、愛称はピノ。「ピノ」はイタリア語で「松」という意味でもある。母が中学生だった時、新しい仕事のために一家でイタリアの北の方へ引っ越して以来、七人の家族を集めて料理を作るというおじいちゃんの情熱は、最期まで消えなかった。 冬は寒い土地柄に合った、体も心も

キッチンと美味しい記憶

昨夜 眠りについてしばらくすると なにやら物音が聞こえてきた。 トントントン、カチャカチャ。 目をあけるとキッチンで 夫が料理をしていた。 とりひき肉でつみれを作り お野菜をテンポよく刻み 圧力鍋で豚の角煮を作っていて まるでお店のように キッチンはイキイキと賑わっていた。 つきあっていたころ すごく美味しいキムチチャーハンを 作ってくれた夫に感動したなぁ 色々と思い出す。 私が病気になってから 夫の料理の時間が増えた。 週末家族の助けを借りて みんなで料理を作り

喫茶店の沼にハマってしまった3月

今風のカフェしか興味なかった私が、シブい喫茶店にハマってしまった理由。 それは、僕のマリさんの『常識のない喫茶店』!!!という本がきっかけ。 これがとにかく、サービス業で働いた者には刺さりやすい、毒のあるエッセイに鷲掴みされ…。読んでいるうちに、実際に喫茶店に行ってみたい!となり、 3月はたくさんの喫茶店にお邪魔しました。 尾道浪漫珈琲 はじめての喫茶店デビュー。 サイフォンで淹れたコーヒーと名物のバターワッフル。 フカっ、サクっ、程よいあまっ。のあとのコーヒーが格別に美

たくさんのドーナツに支えられた1年間

ーどんな時も、私の隣にいたのはドーナツでしたー 最近、一年を振り返る系のnoteを書いてばかりです。 2021年のことは2021年のうちに書いておかないと行き場を失ってしまいそうなので、、。 そんなわけで、今回は今年1番お世話になったドーナツのことを書きます。 ドーナツのことは昔から普通に好きでしたが、今年に入って、その「好き」という気持ちが溢れました。 友達だと思っていたクラスメイトを急に恋愛対象として意識し始める高校生みたいな感じで。 そうなると、その気持ちに

婚活カオマンガイ

もう数年前のことになるが、30歳を目前に控えた頃、友人と婚活パーティに行った。 メンバーは自らのことを「四天王」と称するこの4人。 イェイ子(仮名) 病院勤務。 婚活経験なし。 休日は引きこもりがち。 たまの外出で昼飲みすることも。 趣味のゲームでは、オンラインで見知らぬ誰かと繋がり、インカムで話しながら何時間も闘う。 マミィ(仮名) 商社勤務。 婚活経験なし。 恋愛には奥手なくせに、阪神タイガースのことになると急に積極的になり、SNSを通じて観戦仲間を作る。 スポーツ全

また、ここから、のステーキ

私と夫にとって、大事な大事なステーキ屋さんがある。 そのお店との出会いは、かれこれ20年ほど前。 私は当時、専門学校に通っている学生だった。その期間は、都内の病院や高齢者施設で実習を受けることになっていたが、病院も施設も私の自宅からはだいぶ離れていた。毎日通うことが難しかった私は、叔父の好意で都内にある叔父の事務所を間借りしていた。 事務所の場所は「入谷」という地名で、最寄り駅は鶯谷駅となる。 近隣には合羽橋といって全国でも有名な問屋街があったり、もう少し足をのばすと外国

食べてはいけないお弁当

20代半ばで家を出た。 いったんは地元に就職したものの、 思うところあって上京して就職することにしたからだ。 「妹が大学で家を出た時と同じで  両親に泣かれたらどうしよう」 当時の私の一番の悩みだった。 幼い頃から、 「家事も育児も大っ嫌い!  あんたらおらんかったら私ひとりで楽なんに。  離婚して一人で暮らす方が楽や。」 と言われて育った私と妹は、母をなめてた。 まさか、そんなことを言い放っていた人が、 妹が家を出ることになった瞬間から情緒不安定になり、 家を出た後

ハルヲさんのロールキャベツって、手紙みたいだった。

昔、わたしがまだ小学生くらいだった頃、母の暮らす家には母の弟の叔父さんハルヲさんが住んでいた。 ハルヲさんはわたしにとって、お父さんでもない。 なにか友達のような存在だった。 だから、ハルヲさんのことをおじさんではなく、ハルヲちゃんって呼んでいた。 仕事はデザイナーをしていた。 ハルヲさんの事務所に行くと、いろいろな面白い形のオレンジ色の雲形定規や、色とりどりの鉛筆削り。 切り張りするための緑色のピンセット。 駒みたいに、芯のところに太い糸がぐるぐる巻きになって

お弁当箱の中身

おべんとうばこのうた 作詞:香山美子 作曲:小森昭宏 これくらいの おべんとばこに おにぎり おにぎり ちょっとつめて きざみしょうがに ごまふりかけて にんじんさん さんしょうさん しいたけさん ごぼうさん あなのあいたれんこんさん すじのとおったふーき … …… ………すぅ~っ(息を吸う音) ………… 精進料理にも程があるだろっ! 子供の弁当だろ!?こんなに夢のない弁当があるか?こんなにトキメかない弁当があるか?子供の嫌いな野菜オールスターズじゃん!そもそも

¥100

悪魔は魚が嫌い?

悪魔をも味方につけたソロモン王ですが、アスモデウスだけでは、ソロモン王に反抗しました。 ソロモンの悪魔を操ることのできる力を持った指輪を盗んで、逃亡しました。 しかし、アスモデウスは悪魔だったので、その指輪を使うことができませんでした。 稚拙なところが残念でしたね。 指輪を海に捨てて、自らはソロモン王に化けて、イスラエルを支配しようとしたのです。 しかし、ソロモンは魚の腹から指輪を見つけ出し、化けていたアスモデウスを倒し、従わせることになりました。 そして、時は流れま

あなたのおかげで、今日も楽しい一日だったよ。

万博記念公園で「OUTDOOR PARK」というイベントが開催された。 その名のとおり、アウトドアメーカーがギアの展示・販売をするほか、フード・ドリンクの屋台も出る。ポップアップテントなどの簡易テントを立てたり、シートを敷いたりする人も多く、アウトドア好きな人たちが集まって、思い思いに楽しむことができる。 ここ数年開催されているイベントで、キャンパーの私と夫も何度か足を運んでいる。今年も楽しみにしていて、日曜日の昼前に出かけた。 ただ、朝起きた時からあまり体調が良くなかっ

山蕗で思い出す

季節の旬を味わいたく、目に付く食材に手を出してから調理法を考えることが多かったように思います。 目には青葉山ほととぎす初鰹 この季重なりの俳句がわりと早くから好きでした。 子どもの私にも故郷の風景に重ねあわせ想像の出来る描写がそこにはありました。 視覚、聴覚、味覚、そして嗅覚、触覚の五感がフルで動き出す俳句だと思いました。 故郷愛知県三河地方は山も海も近く、この時期の山々は新緑の薄い緑と常緑の濃い緑が私の目には優しく、海は穏やかで静かな内海とどこまでも続く広い海原からやっ

エンドレスおはぎと祖父母の食卓

私は祖父母との食事の時間が好きだ。 その時間は愛おしさすら感じる。 祖父は一番おもしろい先輩経営者であり、祖母の知識は本のように私の世界を広げてくれる。 大学浪人時代、私は父の号令のもと祖父母の自宅に預けられた。 浪人の1年だけ、慣れ親しんだ関東から関西へと引っ越した。 引っ越し自体は苦ではなかった。 むしろ私にとって、祖父母宅こそが実家に近しい存在であったし、古の頃より二人が好きだったのですぐ指示に従った。 2人は快く私を受け入れてくれ、その日から3人での生活が始ま

夫の「おふくろの味」に秘められた事実

結婚してすぐのこと。夫から朝食の味噌汁に注文が入った。 「味噌汁を赤味噌で作ってくれない?」 義母は名古屋生まれだ。だから夫は赤味噌で育った。 私の両親は四国の出身なので母の味噌汁はずっと合わせ味噌だ。今住んでいる街も合わせ味噌が主流。当然、私は合わせ味噌の味噌汁が好きだった。 とはいうものの、当時はまだ新婚ほやほや。私も今のような自己主張をしない、かわいいかわいい新妻だったので、夫のために赤味噌の味噌汁を作るようになった。 真っ黒に見える赤味噌の味噌汁に、最初は違和感

元気がない人へ・やる気が出ない人へ

最近皆さんの記事を見ていますと、元気のない人ややる気の出ない人がいつもより多い気がします。実は私もそんな一人です。 今回は元気がない人ややる気が出ない人への動画を集めてみました。 ちなみに、今年の梅雨期間は例年より過ごしにくいです。低温にも関わらず湿度が高く、それが元気ややる気を奪っている気がします。私も子どもの頃から湿度が大の苦手でした。 【元気がない人へ】あなたのエネルギーを高める3つの方法とは? やる気が出ない時の対処法【精神科医・樺沢紫苑】 わかってるけど頑

冷蔵庫のホワイトボード

高校を卒業して就職した会社は、大変な会社だった。人手不足で、残業も休日出勤も多かった。私が入社2年目の春に、先輩が寿退社。私の部署が人手不足なことは関係なく、ほかの部署の手伝いまで任されるようになった。 本当に忙しかったころは、朝からなにも食べずに出社をして、仕事をしていた。お昼休みの時間になっても、休む気になれず、自席でずっとパソコンとにらめっこ。食欲が湧かなくて、母が作ってくれたお弁当を、一口も食べられなかった。誰にもばれないように、事務所のゴミ箱にお弁当の中身を、こっそ

長女が作る甘くほろ苦いチョコブラウニーが教えてくれた大切なこと

バレンタイン翌日のこと。 学校から帰ってきた高1長女。クローゼットの中のお菓子ボックスをゴソゴソし始めた。 「あれっ…ない…ない!オレオだれか食べた?」 あ!これやばい。ちょっと怒ってる。 即座に反応する小1三女。 「食べたよー、パパがいいよって言ったもん」 鋭いジャブを出し軽やかなフットワークで逃げる見事なヒット&アウェイ。 「ごめん、食べちゃったんだ」 「3パックとも?」 「うん、3パックとも……」 三女が小学校から帰り、オレオを見つけ「食べていい?」と聞

鶏肉と生姜だけの炊き込みご飯。シンプルを極めたら、3倍おいしく食べられました。

|料理もオンとオフがあっていい鶏肉と生姜だけで、シンプルな炊き込みご飯を作りました。 シンプルを極めてみたら、まるでひつまぶしのように、一口、二口、三口目…と変化を楽しみながら、3倍おいしく食べられたんです…! 料理って結構頭を使うもの。 だから、体がお疲れな時だけじゃなく、考え事や悩みが多くて脳がずっと働きっぱなしの時も「しんどい…」って思いがちです…。 そんな時に、材料・作り方の工程・洗い物が多いものって、もう見るだけで疲れてしまいます。 仕事においても「オンとオ

ささやかだけれど、大切なこと

29歳で都内の広告代理店に勤務していた頃、私は体調を壊した。 振り返ってみると、いわゆる燃え尽き症候群みたいになっていたのだと思う。 大学を卒業し、会社員になってからの私の20代は、ほぼ全てを仕事に捧げていた。 都会で自活してやりがいのある仕事を持っている女性でありつづけることを信じてやまなかった時だ。 女子校、女子大を出たこともあってか、「女性が社会で自立し、輝いて生きていくべきだ」という刷り込みを受けて生きてきた。 自分の人生を自分で掴み取るということに躍起にな

「泣きながら食べたことがある人は、生きてゆけます」。

心が弱ったりすこし元気が欲しい時 ちゃんと食べるといいよって。 親しい人が言う。 食べてから考えたらいいって。 心に染み入るように言ってくれる。 それがドラマの中での台詞だったとしても ちょっと凹みすぎてる時とかに そんな声を聴いたら、深夜のリビングで つつつっと涙してしまうことって誰でも あるような気がする。 食べるという行為はほんとうに不思議だ。 ファミレスのハンバーグランチだって 時には一口一口がじぶんの心に快速急行 ぐらいの速さで効いてくる時

Happy Birthday to KISS

大学時代、ケーキ屋さんでアルバイトをしていた。 お祝いや特別な記念日にケーキは付き物。 来店されるお客さまは、みんな幸せそうな表情をしている。 薔薇の花束を抱えてケーキを買いに来られた男性は、今夜プロポーズをするのかな。 人生の節目に少しでも携われるこの仕事が、わたしは好きだった。 大学2回生からアルバイトしていたケーキ屋さん、 ザッハトルシエ(仮名)。 ザッハトルシエではデコレーションケーキが人気で、ドラえもんやピカチュウのイラスト入りのケーキに、お子さまは大喜び。