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大学芋に勿忘草を添えて



街を歩けば黄色に染まった絨毯を嫌でも目に入れてしまう時期、土の中から掘り起こす芋の様子をずっと見ていたい。祖父母に育てられて15年、一人で生きてきて10年。


あの15年が無かったら、この10年も無いのだろうな。

甘い匂いと焦がし醤油の匂いに包まれる秋は上手くいかないことの方が多かった。

ラーメン屋を営んでいた彼女からはいつも油っぽい匂いがしていた。そんな彼女の作るご飯は世界で一番だ。味が濃すぎる炒飯、ホロホロの肉じゃが、硬めに焼かれたオムレツ。

25歳を迎えて料理が上手だと言われることが多くなった。実家みたいで落ち着くとも言われる。その影には彼女のレシピがあった。

大事な試合の前の日、友達と合意の無い喧嘩をした日、好きなあの子にバレンタインのお返しを貰えなかった放課後、それらを良い思い出と化してくれたのはあの大学芋だった。

貴方は危なっかしいから料理くらい覚えときなさい。私たちはいずれ居なくなるからそうなったら一人よ。

そう言われて彼女から料理を教わってきた。分量なんてなかった。調味料は色で覚えた。自分の背よりも高い台所がいつしか低く感じるようになるまで、彼女の横に立ち続けた。



小学生になって初めて家に友達を招いた時、彼女が作ってくれた大学芋。母と父と食事をする機会がほぼなかった私にとってその空間は初めての大人数での食事だった。

友達と彼女と突く大学芋。安い油で揚げられたさつまいもの色は決して綺麗ではないけれど、中はホクホクであまじょっぱいタレがうまく絡んだ。美味しくて、暖かくて、みんな無言で口へ運ぶ。会話がなくても同じ食べ物へ同じ感情をぶつける。食事の共有が幸せの共有へと変わって行く瞬間だった。

歯が生え変わりそうな時期に食べると乳歯がポロリと落ちることも多々。年を重ねて反抗期。自分から作ってと言えなくなっていた。大事な試合の前は必ず作ってくれるのが愛。下手な試合をして会場から歩いて帰らされた時に待っていたのは無言の優しさを乗せたソレ。


喜怒哀楽の中で出された大学芋は食べ終わる頃には自然と笑顔で元気になっている。大好きな時間だった。


彼女が生きていた間に何回、レシピを教えてくれと言っただろうか。決まって答えはNOだった。

なんで教えてくれないの?と問いた日が彼女との最後の会話だった。

何か一つくらい私のことを知らなくてもいいじゃない。そのほうが気になってくれるじゃない。コレに忘れないでと暗示をかけているようなものよ。

彼女と会えなくなって10年。
秋を帯びた風に包まれる夜にいつも思い出す。
そのおかげで忘れずに済むとも言える。



大好きな大好きな祖母が作ってくれた大学芋はいつも私を優しい気持ちにされてくれた。


今後あの大学芋は一生食べることはできないけれど、忘れることもないんだと。



大学芋に勿忘草を添えて。






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