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冷蔵庫のホワイトボード

高校を卒業して就職した会社は、大変な会社だった。人手不足で、残業も休日出勤も多かった。私が入社2年目の春に、先輩が寿退社。私の部署が人手不足なことは関係なく、ほかの部署の手伝いまで任されるようになった。
本当に忙しかったころは、朝からなにも食べずに出社をして、仕事をしていた。お昼休みの時間になっても、休む気になれず、自席でずっとパソコンとにらめっこ。食欲が湧かなくて、母が作ってくれたお弁当を、一口も食べられなかった。誰にもばれないように、事務所のゴミ箱にお弁当の中身を、こっそり捨てた。家に帰って、空になったお弁当箱を、黙って台所に置いていた。
会社の人に、私がお昼ご飯を食べていないことを、知られたくなかった。母に、母が作ってくれたお弁当を、食べられなかったことも、ばれたくなかった。誰にも、こんな姿を見せたくない、母が朝から準備してくれていたのに、食べれなかった自分が申し訳ない。食べ物を粗末して、最低だ。罪悪感で心がいっぱいになっていた。

そんな生活をしていた時に、遅番勤務が始まった。お昼過ぎに出社して、日付が変わるころに退社する。自分の部署の仕事も、手伝いをする部署の仕事も、両方担当していた。
家族は日勤の仕事だったので、私が起きる時間には、家族は出社をしていて、だれもいなくなっていた。夜に家に帰っても、誰も起きていなかった。金曜日の夜に、夜更かしをしていた姉と、雑談をするくらいだった。私が、土曜日も出勤なことを気遣って、「早く寝な」と、会話を切り上げてくれたこもあった。

そのころ、実家の冷蔵庫には、小さいホワイトボードが貼ってあった。マグネットでぺたっと貼り付けられるタイプの、A4コピー用紙と同じくらいの大きさの、ホワイトボードだった。
ある日、ひっそりと現れたホワイトボードは、特に用途は決められていなかった。落書きをしたり、見たいテレビ番組のメモを書いたり、先発ピッチャーのローテーションから、セ・パ両リーグの順位表が書いてある日もあった。(家族みんな、野球好きだった)
遅番勤務から帰宅して、居間の電気をつけると、冷蔵庫のホワイトボードの文字が読めるようになる。たまに内容が変わっているのを見ると、ああ、今日は書きたくなることがあったんだなあ、とすっかり姿を見なくなった家族のことを想像した。
冷蔵庫を開けると、その日の晩御飯のおかずが入っていた。起きてからご飯を食べていないからなのか、仕事のプレッシャーから解放されたからなのか、真夜中には食欲があった。冷蔵庫からおかずを取り出し、電子レンジで温めて、鍋に残った味噌汁をコンロで温めてお椀によそった。炊飯器を開けてご飯をよそって、また電子レンジで温めた。母の料理が、ゆっくり食べれる時間が、ここしかなかった。

いつものように真夜中に帰宅した。居間の電気をつけて、ホワイトボードの見ると、まっさらになっていた。前日まで何が書いてあったかも、いまいち思い出せなかった。
晩御飯を食べ終わって、台所でお皿を片づけた。ふと、冷蔵庫の前で足が止まった。目の前には、まっさらになったホワイトボードがある。
最近、できたてのご飯食べていないなあ。
炊き立てのご飯に、だしの香りが立った味噌汁。母が「味見してないから、美味しいかわかんない」と言いながら食卓に並ぶおかずたち。私が日勤だったころの、食卓の風景だった。ああ、あの時、私なにが好きだったっけ。
少し考えてから、私はホワイトボードマーカーを手に取った。まっさらなホワイトボードに文字を書いた。
「からあげが食べたい」
もう二十歳も過ぎてるのに、晩御飯のリクエストするなんて。なんだか小学生みたいで恥ずかしいと思ったけど、私の心の声は消さないでおいた。

次の日、仕事から帰宅して、居間の電気をつけた。ホワイトボードに文字が書いてあった。
「またからあげ作るね」「無理しないでね」
母の字だった。まさか、と思いながら冷蔵庫を開けた。大皿いっぱいに、からあげが入っていた。
嬉しいやら、気を遣わせて申し訳ないやら、いろいろ考えて頭がぐるぐるする。頭がぐるぐるしたまま、電子レンジでからあげを温めた。
久々に食べた母のからあげは、美味しかった。できたてとか、電子レンジで温めたとか、そんなことが気にならないくらい、無心で食べていた。

数日後、ホワイトボードに文字を書いた。
「上司に、会社を辞めますと言ってきました。」
その日の夜、帰宅すると、母の文字があった。
「がんばったネ。ちゃんと言えて偉いよ。」

できたてのからあげを、ゆっくり楽しむことができる、数か月前の出来事だ。


#元気をもらったあの食事

追記
日清オイリオさんとnoteの投稿コンテスト「元気をもらったあの食事」にて「審査員特別賞(桜林直子(サクちゃん)さん賞)」を受賞しました。

母に、報告もかねて読んでもらったところ、覚えてない、と言われてしまいました。
母にとっては、忘れてしまうくらい些細な出来事だったと思うと、母の偉大さを痛感しました。このコンテストがなければ、知らなかった母の姿を知ることができました。
コンテストを企画してくださった皆様、読んでくださった皆様、ありがとうございます。


この記事が受賞したコンテスト

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