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食べてはいけないお弁当

20代半ばで家を出た。
いったんは地元に就職したものの、
思うところあって上京して就職することにしたからだ。

「妹が大学で家を出た時と同じで
 両親に泣かれたらどうしよう」

当時の私の一番の悩みだった。

幼い頃から、
「家事も育児も大っ嫌い!
 あんたらおらんかったら私ひとりで楽なんに。
 離婚して一人で暮らす方が楽や。」
と言われて育った私と妹は、母をなめてた。

まさか、そんなことを言い放っていた人が、
妹が家を出ることになった瞬間から情緒不安定になり、
家を出た後は妹の部屋に籠って泣いてばかりになり、
出来合い料理が大っ嫌いなのに、
食事を作ることすらしなくなるなんて
予想だにしなかったのだから。

母親に愛された実感ゼロで大人になってしまった私は
心底びっくりした。
話を聞いた妹も呆然としてた。
落ち込んだ母を見てない妹には、
私の話がにわかに信じられなかったと思う。

私がどうにかしなくてはと焦りながら、
車を運転できない母をドライブに連れ出したり、
時間をかけた買物や外食に付き合ったり、
彼氏か!というほどの優しさを母に降り注いだ。
週末や仕事で早く帰れる日はご飯作りを申し出た。
当時の彼氏には悪かったが、
「母の傍に居なくてはいけない」とうまれて初めて思った。

母の手料理が当たり前だった父も
連日の出前攻撃に参り、
母が立ち直るのを待っていた位だ。

そして、やっと母が元気を取り戻し、
昔からの趣味を楽しんできたという頃。
今度は、私が家を出ることに決めたのだから、
両親の反対は凄かった。

思い出したくもなければ書きたくもない。
上京する未来の自分への不安を消し飛ばすほどの
両親からの泣き落とし攻撃。

あんたら、いつから私の事すきやったん?
真顔で聞いてやろうかと思ったぐらい。

それでも一度決めたらひかなかった。
ここでおれたら、絶対にいつか親のせいにする。
そんな未来は欲しくなかったから。

そして予定通り上京し、
初めての一人暮らしにドキドキしながらも
自炊したり、部屋を整えたりと日常を回し始めた頃。
段ボールが母から届いた。

「家にあったら見て泣いてしまうから」
という理由で送られてきた、
私のアルバムや成績表や賞状たち。

そして、短い手紙と共に入っていた千円。
「これでいいもの食べなさい」

、、、お母さん、東京の物価知っとる?と
聞きたくなるような金額だったけど、
だからこそ、なんだか無性に泣けてきた。

さらに丁寧に丁寧に包まれたお弁当。
え?
これクールじゃなかったよね?

「たいしたもんじゃないけど食べて元気だし(なさい)」
と添えられた言葉に、常温輸送されてきたお弁当。

本能が訴える。
「食べたらだめやぞ」

だって、10月だったんだよ?
クールじゃないんだよ。
日付は確かに前日だったけど、
食中毒になっても一人暮らしじゃ病院にも行けない。
そして何日も寝たきりになったら、、、。
そもそも食中毒になったら、
仕事に行くこともできない。

でも。

無理やった。

泣きながら食べた。

お腹が痛くなろうとも、
病院行きになろうとも、
それならそれでいいやって思った。

愛情を口にすることができない不器用な母が、
私の為に一生懸命作ってくれた。
母の気持が入ったお弁当を
ゴミに捨てることなんてできんかった。

完食してから、母に電話した。

「お弁当美味しかったよ、ありがとう。
 お金もありがとう。
 年末年始にはゆっくり帰るね。」

できるだけ元気な声を探し出して
心の中で泣きながら電話した。

もともとお腹が丈夫だったのか腹痛も起こさず、
翌日はいつもより元気に仕事に行くことが出来た。

食べてはいけないお弁当の話。

最後まで読んでくれてありがとうございます。


#元気をもらったあの食事

#エッセイ


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