古賀史健

ライター。バトンズ代表。最新刊『さみしい夜にはペンを持て』。その他『取材・執筆・推敲』…

古賀史健

ライター。バトンズ代表。最新刊『さみしい夜にはペンを持て』。その他『取材・執筆・推敲』『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』『古賀史健がまとめた糸井重里のこと。』『20歳の自分に受けさせたい文章講義』など。週日更新しています。http://www.batons.jp

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    古賀史健の note、2018年以降のぜんぶです。それ以前のものは、まとめ損ねました。

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『さみしい夜にはペンを持て』刊行のおしらせ。

7月18日(火)、あたらしい本が世に出ます。 タイトルは『さみしい夜にはペンを持て』。ぼくにとってはじめての、中学生に向けた本です。どんな本なのか、どういう意味のタイトルなのか、なぜ中学生に向けてつくったのか。お話ししたいことはたくさんあります。少し長くなるかもしれませんが、お付き合いください。 どんな本なのか本が好きな人ならだれでも、本によって救われた経験があると思います。 ひどく落ち込んでいたとき、あの本に救われた。あの作者の、あのことばが生きる光を与えてくれた。あ

    • 人間ドックとメガネ、ぼくがつくりたい本。

      そういえば先日、人間ドックを受けた。 年に一度の恒例行事。CTとか血液検査とかの詳細は後日郵送されてくるけれど、とりあえず視力はまた落ちていた。メガネが欠かせない人間になりつつある。メガネ、なあ。 ぼくは本を書く仕事している。当然、たくさんの本を読むことも仕事の一部となる。いや、仕事として読むという以前に、読書好きが高じてこの仕事に就く、とされることが多い。幼少時代からのぼくも——いわゆる本の虫ではなかったものの——本は好きだったし、読むことを苦にした覚えはない。 けれ

      • あなたが好きなら、わたしは嫌い。

        好きな人が嫌いだから嫌い、という心性がある。 わかりにくく、誤解を招きやすい言いまわしだ。しかし、ことばを尽くして説明すれば、多くの人が「わかるわかる!」と賛同してくれるのではないかと思う。ほんとによくある心理の流れだから。 たとえば、うーん。具体的に固有名詞を出すと別の面倒くささが発生してしまうので、仮名を使おう。ここに『A』という本があったとする。世界的にも評価の高い、いわゆる文豪の代表作、古典とされる一冊だ。読んでみたいなあ、と思う。読めばおもしろいのだろうなあ、と

        • 日本語ってむずかしい。

          しんしんの興味、という日本語はありえるのだろうか。 ここ数日、アメリカ大統領選挙まわりの報道を、ひたすら追いかけまわしている自分がいる。もちろんぼくは日本人であり、すなわちアメリカ人ではない。だれが大統領に就任しようと、明日の仕事や人生に直接の影響があるわけではない(と思う)。それでもここまで興味津々なのは、なぜだろう。 そんなことを考えているうちに「津々の興味」なることばを思いついた。声に出して読む「しんしん」の音もオノマトペ感があって気持ちよく、積極的に使ってみようか

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        記事

          麻雀を知らないわたしが麻雀漫画を読む。

          麻雀のルールを知らない。 これまでの人生で、何度か憶えようとしたことはある。中学生のとき。高校生のとき。そして大学生のとき。なので、初歩的なルールというか約束ごとは知っているものの、役の種類であるとか、点数の計算法であるとかはぜんぜんわからない。もしも仲間に恵まれていたら、そのへんもマスターしたのであろう。幸か不幸かぼくの周辺には、麻雀好きがいなかった。 そんな自分が麻雀漫画を読んだらどうなるか。なかば実験のような気分で、福本伸行先生の『アカギ』を読み進めている。 読み

          麻雀を知らないわたしが麻雀漫画を読む。

          ホラー映画ばかり観ていた自分を。

          ホラー映画を観る人の気持ちがわからない、という人がいる。 ぼくのまわりにもたくさんいるし、日本全体でいえば何百万、もしかしたら何千万人といるのかもしれない。遊園地のおばけ屋敷はむかしほど流行らないし、純粋なホラー映画の数も減っている気がする(ぼくが子どものころは夏休みシーズンになるたび、恐ろしげなホラー映画・恐怖映画が公開されていた)。 かく言うぼくも、以前ほどにはホラー映画を選ばなくなった。いちばん好んで観ていたのは中学生から高校生にかけてのことで、当時はレンタルビデオ

          ホラー映画ばかり観ていた自分を。

          ふたつの「だいじょうぶ?」

          本日のランチ、はじめて訪れるタイ料理店。 ランチメニューは4つ。トムヤムラーメン、ガパオライス、カオマンガイ、そしてグリーンカレーだった。さて、どれを選んだものか。はじめてのお店ということで、いちばん無難なのはガパオライスと思われる。意外と怪しいのはグリーンカレーで、熱々、という概念がないのか調理法の問題なのか、タイ料理店ではしばしば、ぬるいグリーンカレーを提供してくるお店がある。 迷っていると隣のテーブルに座る白人男性が「Aだよ、A。Aおいしいよ」とぼくのメニュー表を指

          ふたつの「だいじょうぶ?」

          金髪に……するわけないか。

          金髪にしようかな、と思う瞬間がある。 瞬間だ。思う、とまでは言えない。気持ちを正確に記すなら「金髪に……するわけないか」くらいの、まさに刹那である。とはいえ綺麗に染め抜かれた金髪の若者を見ると「いいな」と感じる自分がいる。 当時の写真は一枚として残っていないものの20代の一時期、ぼくは金髪だった。会社を辞め、フリーライターとしての名刺をつくり、けれど業界経験も実績も皆無に等しく、しかも上京から半年あまりという時期で友だちすらおらず、さてどうしようかと困り果てたぼくは、髪を

          金髪に……するわけないか。

          終わることなき最後の悪あがき。

          あがき、ということばがあってそれは、足掻き、と書く。 あまりいい印象のことばではない。足掻き、という漢字が示すように、苦しまぎれにじたばたするさまを指して、「あがく」という。だいたいの場合においてそれは「悪あがき」とされ、悪あがきはまた「最後の悪あがき」として追い詰められた人間が無駄な抵抗を講じているさまをあざ笑うかのように、用いられる。 けれどもぼくは考える。 悪あがきがあるのならば、それと反対の「良あがき」もあってしかるべきではないかと。なんと読むのかしらないけれど

          終わることなき最後の悪あがき。

          なぜ犬の話は書きにくいのか。

          犬の話は書きにくい。 たとえば、きょうの note に100人の方々がアクセスしてくださったとする。いや実際にはもっと大勢の方々がアクセスしてくださっているのだが、正確な平均閲覧数でもって話を進めると生々しくなるので、まあ100人の方々がこの画面を開いてくださったとする。冒頭からぼくが犬の話をはじめると、「ああ、犬の話か」「おれには関係ないや」「どうせまた溺愛トークだろ」という感じで、半数以上の方々が画面を閉じるのではないかと想像する。犬や猫の話は、写真で見るぶんには何枚あ

          なぜ犬の話は書きにくいのか。

          むかしのひとの煙草みたいに。

          時計を見ながら、働いていた。 大学時代のアルバイト。またメガネ屋さんの店員時代。どちらも「お店」だったこともあり、閉店の時間が決まっていた。なので壁にかかった時計を見上げては「うわー、まだ五時前なのか」とか「もう二時間がんばれば」とか悲観に暮れたり、おのれを鼓舞したりしていた。 一方で現在、ぼくの仕事には明確な終業時間が存在しない。そのせいか仕事中に時計を見ることはほとんどなくなり、あったとしてもそれは取材や打ち合わせまでの時間を確認するためでしかない。何時まで働いたら(

          むかしのひとの煙草みたいに。

          専務を思い出した日曜日。

          むかし、メガネ屋さんで働いていたときのころ。 そのメガネ屋さんは当時、上場をめざしていた。社員へのストックオプション制度も設け、ぼくも店長さんから「ぜったい儲かるからお前も買え」と言われた。買わなかった。すでに辞めることを、こころのなかで決めていたからだ。というか安月給すぎて、そんなところにお金を回している余裕はなかった。 で、おそらくは上場準備の一環だったのだろう。取引先の銀行(いまは亡き富士銀行である)から本社に、「専務」と呼ばれるおじさんが出向していた。いや、実際に

          専務を思い出した日曜日。

          締切を破らないことの意味。

          むかし、書く仕事をはじめて間もないころ。 のちに芥川賞を受賞した、ある作家さんがエッセイのなかで、仕事を絶やさないコツについて書かれていた。曰く、「締切を破らないこと」。そして「ただの一度として、締切を破らないこと」。それだけだと彼は言う。 読んだ当時、ぼくは20代だった。もっとおもしろい原稿を、だれよりもおもしろい原稿を、と燃えている時期だった。さすがに仕事をする人間として、締切を破ったことはなかったものの、「締切を守る」がプロの第一条だとはなかなか思えなかった。もっと

          締切を破らないことの意味。

          ぼくが寄附を続ける理由。

          以前にも書いた話かもしれない。 ぼくは現在、いくつかの団体に毎月の寄附をおこなっている。国境なき医師団、日本赤十字社、国連難民高等弁務官事務所、それからシャラド・ライくんが運営するNPO法人「YouMe Nepal」日本事務局だ。これらのほかにおおきな災害などがあったときには、その都度じぶんにできる範囲で寄附することにしている。 こういう言い方がどう聞こえるかわからないが、寄附はほとんど自分のためにおこなっている。それは節税という意味ではなく、こころの問題として。 たと

          ぼくが寄附を続ける理由。

          それ以外を好きになってから。

          しばしば書くけれどもぼくは福岡の出身である。 そしてどうだろうなあ、上京してから数年のあいだは、なかなか東京という土地に馴染めずにいた。友だちもいなかったし、当初は仕事もなかった。どうにか仕事がまわりはじめてからも、「おれは『これ』をやりたかったんだろうか? 『こんなこと』をやるために上京してきたのだろうか?」との思いが拭えなかった。帰ることはしないけれど、福岡を懐かしく思っていた。 馴染めなかったのは仕事まわりだけではない。食べものにもまた、馴染めなかった。ラーメンの味

          それ以外を好きになってから。

          わたしを創刊することば。

          また『まんが道』を読んだ。 読み返すのはこれで何度目になるだろうか。性懲りもなくまた読んだ。いい作品は何度読んでもおもしろいし、読むたびに発見がある。つまりは、何度読んでも見落としていた描写があり、ことばがあり、感じきれずにいた描写があるということだ。 『まんが道』のなかで重要な役割を果たすものとして、『漫画少年』という雑誌がある。ぼくが生まれるよりもずっとずっと前に廃刊した、知らない雑誌だ。読者投稿欄が充実した雑誌で、若手漫画家の登竜門的な存在でもあったらしい。作中で、

          わたしを創刊することば。