古賀史健

ライター。バトンズ代表。最新刊『取材・執筆・推敲』。その他著書・共著に『嫌われる勇気』『古賀史健がまとめた糸井重里のこと。』『20歳の自分に受けさせたい文章講義』など。週日更新しています。http://www.batons.jp

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    古賀史健の note、2018年以降のぜんぶです。それ以前のものは、まとめ損ねました。

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【無料】 『取材・執筆・推敲』ガイダンス

ガイダンス ライターとはなにかライターは「書く人」なのか ライターとはなにか。 なにを書く人のことを、ライターと呼ぶのか。 ガイダンスのはじまりは、この問いから考えていきたい。 字義どおりに考えるなら、write(書く)に行為者をあらわす接尾辞(-er)をつけたライターは、「書く人」である。しかし、職業としての「書く人」たちを挙げていけば、ほかにも大勢いる。小説家、詩人、エッセイスト、コラムニスト。いずれも等しく「書く人」だ。けれど、彼らをひとまとめにライターと呼ぶこと

    • 試し読みではなく、立ち読みなのだ。

      立ち読みについて、あらためて考えた。 思えばおとなになってから、立ち読みというものをあまりしていない。職業柄、本屋さんに足を運ぶ機会はそれなりに多いほうだと思う。そして行けば当然、さまざまの本を手に取る。手に取ったならばもちろん、中身を読む。しかしながらこれはぼくのなかで立ち読みではなく、品定めである。買うに値する本なのか、念のための確認をしているだけだ。そして「立ち読み」とはもっと、無目的というか時間つぶしの要素を含んだお気楽なものとして、ぼくはイメージしている。 たと

      • それでクオリティは上がってくれるのか。

        QOLということばがある。 クオリティ・オブ・ライフ。生活の質、と訳すこともできるし、生きていくうえでの質、くらいに訳すこともできることばだ。一般的には「QOLを上げる」との用法で使われている。首に合った枕を買うだとか、いいマットレスを買うだとか、高級なオフィスチェアを買うだとか、そういう生命活動の根幹に関わる部分で語られることの多いことばなので、生活よりも「生きていくうえでの質」がふさわしい三文字なのだろう。 で、ぼくにとってのQOLを上げる方策といえば、アレルギー性鼻

        • あのときの打ち合わせを振り返って。

          2011年の夏だったと記憶している。 当時、星海社新書の編集長を務めていた柿内芳文氏からインタビューの依頼が入った。聞けば、星海社新書の公式サイト「ジセダイ」に、ぼくのインタビューを掲載したいのだという。内容は「トップライターが教える原稿の書き方」。当時のぼくは、柿内芳文氏をはじめとする一部の編集者にこそ名を知られているものの、世間的にはまったく無名のライターだった。「ここを起点に、新書を書けるライターを育てていきたいんです」と彼は言った。 取材場所にぼくが指定したのは、

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          旅とごはん。

          人間は、一日三度の食事をとる。 むろん実際には、一日二度の食事しかとれないことも多い。それでも理想としては朝食、昼食、夕食の三度に分けるものとされている。そのおかげで、人間と一緒に暮らす犬や猫も、毎日のごはんを朝食や夕食として食べる。うちの犬でいうと、夕方の散歩を終えて帰宅したそばから「さあ、晩ごはんの時間です」という顔でこちらを凝視する。ごはんの準備に取りかかるまで、凝視をやめてくれない。 しかしながら野生に生きる動物たちに、朝食や夕食の区分はなかろう。食えるときに食え

          コスパに優れた答えを差し出すのではなく。

          学校は、だれのものか。 そう問われればみんな、生徒のものだと言う。学校とは、生徒(児童・学生含む)が学ぶための場としてつくられたものだ。なにをいまさら聞いているんだと話を閉じる。しかしながら制度としての学校を設計するのは、おとなである。コンテンツとしての授業を提供するのは、教師である。そしてなにより、教師はずっとそこにいる。入学式の日に生徒を迎え入れ、卒業式の日に生徒を見送る。そしてまた次の年度に、あらたな生徒を迎え入れる。なのでどこか、生徒は「お客さん」のように学校に籍を

          むかしには帰ることができない。

          冬の相棒といえば、布団乾燥機である。 わが家の寝室に、暖房はない。いやエアコンは設置されているのだけれども乾燥を嫌う自分はよほどのことがないかぎり、自宅でエアコン(暖房)を使わない。代わりに使うのが、布団乾燥機である。就寝の10分前、20分前くらいにセットしておくともう、大浴場におもむく旅館客のようなウキウキで冷えた寝室に向かうことができる。ふっくらと暖気を含んだ布団は、まさしく温泉である。しかも温泉と違ってのぼせることもなく、いつまでもぬくぬくのなかでごろごろすることがで

          振り返る間もなく明日は2月。

          行員矢の如し。 矢のごときスピードで札束を数える銀行員を指したことわざである。ちなみに近年は紙幣を自動で数える機械が導入され、ほとんど死語と化している。なんてつまらない冗談しか浮かばないほどに光陰矢の如し。なんだか1月、あっという間だった。これを12回、いやあと11回くり返せば2023年も終わるのだから、今年もなにがなんだかわからないうちに暮れを迎え、蕎麦をすすったりするのだろう。 そういえば年末年始、蕎麦をつくった。年越しに近所の蕎麦屋で食べたなんでもないかけ蕎麦があま

          読まれたら困る下書きと。

          「誰それの手紙が発見された」みたいなニュースをたまに目にする。 戦国武将だったり、政治家だったり、芸術家だったり、文豪だったりの手紙(またはその下書き)である。たいてい専門家による「当時の○○を理解するうえにおいて資料的価値は高い」といったコメントとともに報じられる。遺稿ならともかく手紙まで「発見」され、資料としてコピーされ、さまざまの人に読まれるわけだ。難儀な人生だよなあ、と思う。 それでこれ、いまの時代だったらどうなるのだろうか。 たとえばぼくのGmail「下書き」

          「忙しい」の正体を考える。

          たまには言ってもいいだろう。 忙しい。まったくもって、忙しい。一般的に「言わないほうがいいこと」とされていることばだけれども、言うのをがまんしたって意味がない。忙しいものは忙しいのだ。 で、忙しいのだからほんとうはここで書き終えたいくらいなんだけれども、さすがにそういうわけにもいかない。そこで「忙しい」の正体を少し、考えてみたいと思う。 まず「忙しい」には、「時間が足りない」の側面がある。たとえば一般的なお仕事でいえば納期。ぼくの場合でいえば締切。これが存在しない世界で

          どうでもいい記憶のなかに。

          子どものころに見た、クイズ番組の一場面。 クイズダービーだったように記憶している。司会は間違いなく大橋巨泉さんだった。問題は「ビートルズという言葉に、ある文字を加えるととてもカッコ悪いものになります。その文字を答えてください」というものだった。問題の画面には「○○ビートルズ」と書かれてあった。この○○に入る文字を答えよ、というわけだ。感覚・感性の話であり、いかにも大人の話であり、小学生のぼくにはさっぱりわからなかった。 そして、はらたいらさんが「楽団ビートルズ」と答えた。

          その広告を見てわたしが思ったこと。

          テレビをあまり見ていないので、当てずっぽうの話として言う。 電車やタクシーの車内広告を見るかぎり、ここ最近「転職」に関する広告が増えているな、と思っている。「うちに転職してください」という求人広告ではもちろんなく、「うちを使って転職してください」と訴える転職支援サイト、または転職エージェントの広告だ。知ってる会社もあれば、知らない会社もある。知らない会社が増えているということは、その業界が流行っていることの証左でもあるのだろう。 では、どうして転職支援サービスの広告が増え

          寒いときに考えること。

          みんな言ってるし、明日も言うだろうけれど、とても寒い。 寒いときにはどうするか。これまでのぼくは「寒いときには寒い国の人間に学べ」と思ってきた。具体的にはロシアである。ドストエフスキーの登場人物たちがどのように過ごしていたのかを思い出す。そうすると、サモワールという卓上の湯沸かし器を用い、熱い紅茶を淹れ、そこに甘いジャムを溶かすなどして飲んでいる。あとは当然ウォッカだ。古い訳の表記だとウォトカだ。お祭り騒ぎのときにはシャンパンを空けるものの、だいたいの場合においてロシア人は

          それをマラソンにたとえる、その理由。

          一冊の本を書きあげる作業は、マラソンを走ることに近い。 長い作業のたとえとして「マラソン」はいかにも凡庸であるし、ぼくはこれまで42.195kmのフルマラソンを走ったことがなく、徹夜仕事を終えてから直行した山梨で20kmだったか27kmだったかのハーフマラソンを一度走ったことがあるだけだ。つまり不適当なたとえを不相応な人間が使っていることを承知のうえで、あえて「マラソン」と言いたい。 走り(書き)はじめて間もない2〜3km地点くらいまでは、本番がはじまっているとの実感が薄

          こんなことを書いていながらおれも。

          ウソと呼ばれる言動には、おおきくふたつの種類がある。 ひとつめは「子どものウソ」である。これは「隠すウソ」と言ってもかまわない。たとえばお皿を割ったのに、割ってないと言い張る子ども。おもちゃを壊したのに、壊してない、自分は知らないと言い張る子ども。大人だって仕事やプライベートのさまざまな場で、似たようなウソをつく。ここでのウソは「怒られないこと」をおおきな動機としている。 ふたつめは「おとなのウソ」である。こちらはおおきく「盛るウソ」と言えるだろう。おれは地元でブイブイ言

          想像力とはなにか。

          これはほんの一例として。 いまよりずっと若いころ、正月に報じられる「もちを喉に詰まらせたおじいさん」のニュースを笑い話のように聞く自分がいた。むかし話のワンシーンのようでもあり、コント番組のようでもあり、(実際に起きた事故であるにもかかわらず)どこかおもしろがっていた。 しかしながら最近、これをとても恐ろしい事故として受け止めている自分がいる。自分の近親者がそうなりかねない年齢ばかりになり、笑いごとじゃねえぞ、と思うようになってきたからだ。もちろんぼく自身、あと20年や3